今年(2018年)2月頃から、腰、尻、腿にかけて痒みが出てきた。3月になると痒みが酷くなったので軟膏(ムヒ)を塗るようにしたが、1ヶ月経っても改善しない。「ムヒの効能範囲ではないかもしれない、ただの乾燥肌とかでは無く、何かの皮膚病かもしれない」と思って、4月中旬から別種の軟膏を使うようにしている。・・・と書きながら思い出した。「畑に皮膚病に安全でよく効く薬があるじゃないか」と。
皮膚病に安全でよく効く薬については→アロエを参考していただくこととして、ここでは「3ヶ月近くも続いている痒みはいったい何なんだ?何が原因だ?」を考えた。
腰痛が、「もしかしたらヤバイかも」と思ったのは去年(2017年)の5、6月頃であるが、ノーテンキな私は「そう酷いことにはならないだろう」と楽天的に考え、その後も腰を酷使する農作業など続けて、そして、10月下旬になって腰の痛みが酷くなり、尻から腿、ふくらはぎにかけて痺れが走るようになってやっと、「こりゃいかん」とノーテンキも気付いて、「何とかしなきゃあ何ともならんかも」と思うようになった。
何とかしなきゃあと思ったのだが、バカ(私のこと)はバカ(私のこと)のやってきた自由気ままな生き方の後始末に時間がかかってすぐには何とかできない。腰の痛みは一進一退、休ませていると楽になるが、少しでもきつい仕事をすると痛みはぶり返す。そうこうしている内に、痒みが出て、赤い発疹のようなものもできた。
「痒みは腰痛の痺れと何か関係があるのだろうか?」と考えたが、痒みは薬を塗っておけば楽に耐えられる。腰の痛みや腰から尻、腿、ふくらはぎにかけての痺れがきつい。痛いと痺れにより大きく意識が向くので、痒みはそう気にならず軟膏に任せておく。
腰の不具合で2~3センチは縮んだかもしれないが、前(20年くらい前)に計った時は身長170センチちょいあった。その身長で20年頃前は体重が70キロ近くあって、その頃は体調も良くなかった。酒をたらふく飲むことに溺れ、つまみをたらふく食うことにも溺れていた。その頃は肌荒れもあり、脂肪種摘出手術などもやった。
「いかん、太り過ぎだ、痩せなきゃ」と一念発起し2001年頃から食事量を減らすとともに、お菓子、ファストフードなどの、どんな化学物質が入っているか知れない食い物を断ち、運動もして、2002年には65キロ内外、2003年には61キロ前後と徐々に体重を減らし、2011年以降は60キロ台に戻ることはなく、300坪の畑を始めた2012年夏以降は56キロ内外となる。もちろん、体調も良くなった。
去年(2017年)夏に腰痛を患い、運動量は減っているのに秋頃から体重が減り始めた。10月には54キロ台、年明け1月にはついに53キロを切った。高校1年の頃の体重だ、「いかん、痩せ過ぎだ、太らなきゃ」と思う。その頃、友人達からも「お前は痩せすぎ、甘いものも食え、肉を食え、肉は老化防止になる」などと助言があり、それらの助言に従い、意識して多く食べるようにし、そして徐々に太っていった。
3月20日に55キロ超えし、4月18日には58キロ。3ヶ月で5キロ増となった。食い過ぎか?と思う。鏡に映る自分の顔、頬が弛んできている。
そして、お菓子や駄菓子、スーパーの惣菜(食品添加物が多い)などの食い過ぎか?とも思う。肌荒れは、そういった不自然な食事のせいかもしれない。
記:2018.4.27 島乃ガジ丸
子供の頃からごく親しくしている従姉M、彼女の友人の何人かも子供の頃から親しくしてもらっていた。先日、その内の1人Sさんと2日連続して会った。場所は2日とも別の従姉Hが店主をやっている喫茶店。久しぶりに会ったのに初日はひどく説教された。「何で結婚しなかったの?これから生活はどうするの?」といったようなことから、
「あんた、死んだ魚のような目をしているよ」、「頭はまともに動いているの?どこか病気なの?」、「このまま弱っていく年齢じゃないでしょ!」、「誰かのために、世の中のために、まだまだできることがあるでしょ!生きていかなきゃいけないでしょ!」などと叱咤され、「今のあんたは、もう死んでいるわよ」とまで言われた。
1日目はそのようにひどく叱られたのであったが、2日目はしかし、「大丈夫?元気だしなよ」など、逆に慰められたり激励されたりと、ずいぶんと優しくされた。
彼女と会って話をしているその時の私は普通の私。特に落ち込んでいるというわけでも無かったのだが、子供の頃から私を知っていて、大人になってからも20代後半から30代まではちょくちょく会っていた彼女の目には「落ち込んでいる状態」に見えたのかもしれない。ともかく、2日目の彼女にはとても癒された。幸せ気分になった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2018年2月、引っ越しが決まって、旧居の後片付け、引っ越し作業を続け、同月26日から新居で暮らしている。初めは畳間に布団を敷いて寝ていて、1ヶ月以上も経た3月7日にやっとベッドを運び入れ、その夜からベッドで寝ることができた。
ベッドで寝るのが私の普通である。お陰で、夜中に1~2回は小便で(たぶん老齢による頻尿)起きるが、概ねは足して7時間前後の十分な睡眠ができている。その睡眠もたぶん、レム睡眠ノンレム睡眠を規則正しく繰り返していると思われ、夢を多く見る。
十分な睡眠ができるようになって2ヶ月近くになるが、その間、たくさんの夢を見ているが、特に記録しておこうと思うような面白い夢、奇想天外な夢は無い。夢の中の登場人物も普通の人、ほとんどが友人知人、あるいは、死んでしまっているが父や母。
上記の文章も最近見た夢の1つ、これも記録しておこうと思うほどの内容では無かったのだが、夢から覚めた時、「今のあんたは、もう死んでいるわよ」と言うSさんのセリフが頭に残っていた。漫画の『北斗の拳』にそのようなセリフがあったことを思い出し、そうか、「私はもう死んでいる」のかと思って、目覚めた後も記憶に残った。
腰痛が酷くなっていた去年(2017年)11月以降、生きていけるかという不安感に陥った。不安感は、この先食い物を生産できるか?畑辞めて他の仕事ができるか?生活の糧は稼げるか?友人知人たちと付き合っていけるか?などといった不安。
不安感から思考はさらにネガティブになり、このまま腰痛がさらに酷くなったらと考えるようになる。すると、役に立たない人間になる、誰からも相手にされないようになる、何もできないので何もしない、明日の希望も持たないなどと思考が闇に走る。
そんなネガティブ思考は、引っ越しが決まって引っ越し準備を始めた2月には薄れていき、生来の呑気者は「なるようになるさ」という気分でいたのだが、不安感は心のどこかにまだ少し残っているのかもしれない。夢の中でSさんに説教されている私は、明日の希望も持たない「あんたはもう死んでいる」状態だったのかもしれない。
去年(2017年)11月以降の不安感についてもう1つ思い出したので最後に、
畑の回りには時々、飼い主が捨てたと思われる犬が野犬となって徘徊している。それまで、野犬に会っても私はそう恐怖を感じなかったのだが、腰の弱った今、走ることもできない今、野犬に襲われたらきっと彼の餌になってしまうという不安感もあった。
記:2018.4.23 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次