86年間過ごした岡山の地を離れ、東京へ来てから既に6年が過ぎた母。
我々だけでのケアは早めに挫折、徒歩でも15分足らずのケアハウスへお世話になっています。
とは言え、知り合いも少なく、訪れてくれる人も時々。
しかしながら、ケアハウス内では、ほぼ毎日イベントがあり、介護士や医師のチェックを受けながら元気に過ごしています。
毎週休日には顔を出すのが私の役目ではありますが、最近ではサボることもあり。
代わりにかみさんが頻繁に顔を出し、話を聞いてくれています。
23日は、ちょっと早めのひな祭り食事会(?)を決行!
実は、インフルエンザ対策で入所者の外出禁止期間中。
1階ロビーには飾りつけがしてありました。
右奥では、デイサービスの方々が昼食中。
左側でも談話中の方々が・・・・。
申込書に指定事項を記入、検温を受け36℃。 面会者カードが受け取れます。
部屋に入ると、お待ちかねの様子。 お茶の準備がしてありました。
窓のそばには、元職員の方からの差し入れのハナキリンが、真紅の花を咲かせています。
母には大好きな散らし寿司
好きな食べ物はいつもほとんど変わらないので、それを中心に準備します。
我々には来週に備え、一寸軽めのセット。
此処からたまご、貝柱、赤味のご飯抜きを献上。 (半分づつ食べて、夕方にまた食べるそうです・・・。)
窓際の鉢植えのアップ。 赤いハナキリンが咲いていました。(キリンみたいに撮りたかった)
赤い花には棘がある
母は、水杯をして、終戦直前中国へ渡り、兄家族を帰国させた豪快さがあり、
戦後には父が巣鴨に入れらる不運もあった。
私が小学生の頃だったろうか、食事時「お代わり!」と、茶碗を勢い良く差し出すと涙を流したことがあった。
近所は農家の家ばかり、我が家にはお米を買うお金が無かったのです。
命を支える食事、自分の食べるものが無くても私に食べさせてくれました。
それを知らず、「お代わり!」
このことを知ったのは、私が子供を授かってからでした。
今でも、この事を思い出すと、目頭が熱くなります。
この思いを「次の世代に、形は変わっても、自分なりに伝えたい。」
感謝を込めて、母を見守って行こう。
ありがとう、おふくろ
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