今回の福島詣で、一つの大きな目的でもある「保科正之公の墓参」が叶う段取りとなりました。
野口記念館から、磐梯山の麓にある土津神社へ向かいます。
坂道を上り、大きな石碑と真っ白な鳥居を見付けた。
上ってきた坂道を振り返る。
案内看板
鳥居
由緒ある土津神社の鳥居が真っ白とは?!
何かしら謂われがあるのだろうが、・・・・。
鳥居の脇に立つ案内看板
奥へ向かいます。
御神燈の先境内
巨大としか言えない石碑がそびえていました。
台座の亀、当初南に向けて据えられたが、一晩で逃げ出した為北向きに据えられたそうな、・・・・。
確かに、じっとしていました。
南南西の方角
石碑の後方の看板
ここから整理された石畳を上るようです。
神社の見学は此所で休止。
車で宿泊先へ到着、受付を済ませてから、参道の中程へ
町道が横切る場所
左手には丸い井戸が見えます。 円淸水と言う史跡
参道石畳遺構解説看板
石畳を上ります。
正面に祠が見えてきた。
支え棒が一寸邪魔です
周囲を一周できるよう整備されていますが、門は閉じられては入れません。
家紋が威厳を見せ付けます
門の隙間から中を覗きます。
中央に立つ屋根付き石碑
[玉川上水に親しむ会]の先輩から昔撮られた写真を見せて頂いた。
こんな巨大な石なのか!?
とても分かり易い!
しかも雪が降り始めた12月に、突如行かれたそうな、・・・。
右に写っておられる大先輩のカメラマンさん、この数年後亡くなられました。
勤務先の亡くなったた会長と同級生、
写真が取り持つ縁は深淵。
出来るだけ正面から撮りました。
墓石の紹介パネル
右回りで周囲を回ります。
ほぼ真西辺り、お墓が見えます。
ほぼ一周した辺り、墓石が一番良く見える場所。
「土津神噴鎮石」と描かれている巨大な石碑。
この下に、保科正之公が眠るそうだ。
180度のパノラマで
良く整地されては居ますが、木立が邪魔して石碑など一寸見えにくい。
340年という膨大な歴史
神社そのものは戊辰戦争の影響で燃え、明治中期に再建されたらしい。
とは言えこの史跡、340年以上の歴史を刻んでいる、
改めて合掌して、宿泊先へ戻ります。
保科正之氏、徳川家光の兄弟という産まれながら、
高遠へ遣られ、
江戸幕府の重鎮となり、
会津藩を建て直し。
地元の住民から愛される武士(政治家?)
今の時代に、この様な志を持った「政志家」の登場が待ち遠しいこの頃
遠い昔の夢物語だろうか?
素晴らしい人か、凄い政治家とは、自分で名乗るものでは無く、後世の評価に委ねるべきだろう。
等と、一市民がほざいたところで何も変わらないか?
しかし、願い続けなければ、何も変わらないだろう
とは言え、保科氏の教えを守った為、
最終的には会津藩が青森へと追いやられた要因かとも想像しているfumi-G
時の流れに棹を差し、乗り越える変革も必要そうです。
人生って、難しく、愉しい。
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