昨日に引き続いてですが、個人的に関心を持った部分があります。
NSAは仮に215条の文言に違反しているとしても、CONGRESSは
2010年と2011年の同法改正のときにFISCの運用について知っていて
その部分についての改正をしていないので、暗黙で認めたことになり、
違法ではないと主張していたのです。
それに対して、暗黙で承認していたというためには、内容を具体的に知っている
必要があるが、実際にはそうではなかったと認定しているのですが。
2010年改正時には議会から行政府にプログラムに関する資料の提供を求め、
応じはしたものの、資料の閲覧について次のような制限があったというのです。
1 閲覧の場所、期間が限定されていた
2 閲覧場所にはスッタフを連れていくことができない
3 内容についてスッタフと議論してはいけない
さらに2011年の時は、下院についてはインテリジェンス委員会所属の議員だけ
閲覧が許され、その他の議員は完全に暗闇に置かれていたというのです。
つまりNSAサイドは議員たちに内容を知らせないままで改正をさせることに腐心
していたというのです。
当然、議会でもその他でも、このプログラムについては公的に一切議論がされて
いないのです。
投票する議員本人たちが内容を全く知らなかったり、ほとんど理解できていない
のですから、是非の判断などしようもありません。
したがって、判決では黙示の承認があったという主張は認めませんでした。
私が驚いた、ショックを受けたのは、このような実務です(閲覧場所を限定するなど)。
どうやらこういう実務はかなり日常茶飯事的なようなのです。
議会の形骸化、民主主義の形骸化です。
また、この判決には補足意見があるのですが、それによると、マル秘指定というのは
現実に害がある場合というよりは、ほとんどが関係者をEMBARRACEさせない
ためのようだとありました。
これは納得です。
国民の生命・財産が危険だというのは為政者にとっては国民をコントロールする最良の
方法です。
補足意見では、要するに、法律は議会が決めることだとしながらも、憲法制定当時の
アレクサンダー・ハミルトンの言葉
「・・・ To be more safe, they at legth become willing to run the risk of being
less free.」
で締めくくっています。
その通りだと思います。