衆院予算委員会で求められた、制服答弁議論が門前払いされた。
質問したのは国民民主の橋本幹彦議員(元空自・当選1回)が、制服自衛官の国会答弁論議を求めた際、最終的には理事会の判断と安住委員長の裁可で門前払いの様相であったらしい。
橋下議員は、議論深化の前提として
1 国会における防衛論議は机上の空論
2 慣例が制服答弁議論の深化を妨げている。
としているが、まことにその通りと思う。
理事会・委員長の頑迷な慣行踏襲は「シビリアン・コントロール」のためとされているが、自衛隊の戦力と配備に無知な国会議員では、防衛体制の構築と武力行使の是非をコントロールすることは望めないのではないだろうか。防衛予算を防衛官僚に丸投げした結果、正面装備は体面を保っているものの、後方の弾薬や部品の備蓄・保有は危機的で、戦闘機のカニバリズム(数機を部品取り用として犠牲にする)など自衛隊の継戦能力が危機的であることが明るみに出たにもかかわらずにである。この兵力整備失敗の責任は、当然コントロールすべき政府と予算を審議し監査する国会が負うべきであるが、誰も責任を追及し得ないのは、議員諸氏がシビリアンコントロールの本質を理解していない結果であると思う。
シビリアンコントロールに関しては、アメリカ合衆国上院軍事委員会の任務が端的に表しているように思える。
Wikipediaで当該委員会は《合衆国憲法及び連邦法の規定により国防について討論し監察することを第一の任務としている。国防政策に関する事柄の包括的な調査及び評価を行い、各年度の国防授権法に基づき、兵器装備に費やされる支出、兵士の待遇、その他の国防に関する多くの問題など、軍事技術の研究開発から人事制度まで国防に関する諸事を担当し、陸軍省、海軍省、空軍省を含む国防総省を監察している》とされているし、委員会に制服を呼んで説明・陳述させるのは一般的に行われている。
このことから云えば、現在の国会で行われている防衛議論は「群盲象をなでる」もので、シビリアンコントロール先進国から見れば幼児の言葉遊びの域を超えないだろう。
折しも、立憲民主党は来年度予算審議の際に修正を迫る項目を公表した。そこには、年収の壁引上げ等の追加と並んで、防衛増税の中止も盛りこまれているが、防衛増税で整備するとした基地攻撃能力が「何故に必要でないのか」を議論し尽くしての要求とは思えない。多くの国民が、中朝の膨張・暴発に危機感を抱いているのに、自衛隊=防衛をコントロールすべき国会が、政局としてしか防衛予算を扱わず、政権維持だけが目的の石破政権も「防衛力の現状に目をつぶって」なにがしかの修正に応じるであろうことは十分に考えられる。
かの小西議員は、自分に対する自衛官からの個人的面罵を「シビリアンコントロールに対する重大事」としたが、これと同様に今回の自衛官に発言の場を与えないのは、「農民の窮状を知ろうともせずに、文民(政治家)は偉いので制服は黙って従えば良い。ましてや農民ごときが殿様に直答するなど言語道断」と云う封建領主と農民の関係に似ているように思える。
自衛官が国会で発言する機会は、軍事上の失敗で国民がスケープゴートを求め、国会がスケープゴートに制服を差し出す時にしか訪れないのではないだろうか。
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