もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

海軍乙事件を顧みる

2021年06月12日 | 軍事

 連合艦隊司令長官を失って日本海軍を震撼させた二つの事件がある。

 一つは山本五十六元帥の戦死で海軍甲事件と呼ばれ、二つ目は古賀峯一海軍大将(元帥)搭乗機が行方不明となったもので海軍乙事件と呼ばれる。甲事件は広く知られていると思うが、あまり取り上げられない乙事件の方が日本海軍が被った傷は大きいとされている。
 乙事件のあらましは、1944(昭和19)年3月31日、連合艦隊司令部移転のために司令部要員が分乗していた2機の二式大型飛行艇(二式大艇)が撃墜され、1番機座乗の司令長官は行方不明、参謀長福留繁中将座乗の2番機はセブ島沖に不時着し、参謀長以下9名がフィリピンゲリラの捕虜となった。古賀長官が企図した「艦隊司令部は陸上で指揮を執り、必要に応じて適宜な海上部隊に乗組む」という構想は、現在では効果的な運用法とされて列国が導入している司令部構想の先鞭に位置するものであったが、指揮官先頭に拘る大臣・軍令部からは安全な場所への逃避と看做されて古賀大将は元帥を遺贈されたものの戦死ではなく殉職とされた。
 連衡艦隊司令長官の戦死も重大事であるが、真に重大であったのは福留中将機に搭載されていた日本海軍の最重要軍事機密文書がゲリラを通じてアメリカ軍に渡ったことである。機密文書は1944(昭和19)年3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書とされており、これらの文書はアメリカ本土で翻訳・活用されて、以後の海軍作戦(「あ号作戦」、「捷一号作戦」など)失敗の一因ともされている。しかしながら、機密文書を奪われたことを軍令部等は過少に評価して、解放された福留参謀長は責任を問われることもなく以後も要職を歴任していることや、新Z号作戦計画書の部隊運用構想を修正することなく使用し続けたことは、日本海軍の秘密保全や防諜に対する認識の甘さを示しているように思われる。
 在外公館や司令部が危殆に瀕した場合に秘密文書等を焼却・破棄・破却することは常識であることを考えれば、秘密文書の破棄を逡巡して持ち続けた連合艦隊司令部員の失態は明らかであり、かつフィリピンにおけるゲリラの脅威を深刻に捉えていなかった司令部の防諜意識の欠如は指摘されるところかと思われる。

 自衛艦でも沈没等の危機が迫った場合には、乗員を退艦させる「総員離艦」の手続きが定められており、その際には秘密文書が敵方の手に渡らない方策が採られている。このことに対しては、常識的な秘密保全の意味以上に、海軍乙事件の教訓も一部投影されているように思っている。
 おりしも、神奈川県の情報調査会社経営者が、10数年間に亘って在日ロシア大使館員に軍事情報を渡していたことが明るみに出された。現在は海軍乙事件当時に比べて、防諜のためのハードウェアは格段に進歩していると思えるが、防諜・秘密保全に従事する人の保全意識は相変わらずであるように感じられる。


ワクチン接種に思う

2021年06月11日 | コロナ

 高齢者対象の1回目接種を地方都市の集団接種場で受けた。

 東京の大規模接種場での接種所要時間は40分程度と報じられていたが、検温~受付~接種の各所で待ち時間が生じたために15分間の予後観察を含め入館から退場まで2時間で接種を受けることができた。全国民を対象とするワクチン接種は、行政・医療・被接種者の全てがこれまでに経験したことのないことであれば、2時間の所要時間も当然のことと思われる。
 会場は、人流れや待機場所を考慮してレイアウトされるとともに、多くの誘導員が配置されており担当者の努力と献身は感謝の一言に尽きると思った。更には、末端の自治体にまでワクチンを滞りなく配分・供給する関係者の苦労も偲ばれる半日であった。
 自衛隊生活でも、規模は小さいながら人流を考慮すべき類似の行事があるが、対象者が壮健であることに加え、少々の不備は号笛と強圧的な指示で乗り切ることができた。しかしながら、高齢者の集団接種にあっては、自分を含め五体に何らかのハンデを持ち、理解力も低下し、境遇・価値観が多様な、「不特定多数者」をコントロールしなければならず、将に大変な作業である。幸いにして昨日は、指示に抗う者や、不平をぶつける人もなく、整斉と接種が行われていたように思う。
 パンデミックの終息には国民の7割が抗体を持つ必要があるとされており、妊婦・アレルギー者・年少者等の対象除外者やワクチンによる抗体獲得率が95%超であることを考慮すれば、対象者(現在16才以上)の全員がワクチン接種を受けなければ目標を達成できないとされているが、諸外国の例を見ると宗教的理由、ワクチンへの恐怖等々の理由から、対象者の7割近くになると被接種者は頭打ちとなっているようである。
 最悪に思えるのは、ワクチン接種を拒否する人が、他の人に接種拒否を教唆・煽動することである。これらの人々は善意で、人類愛で、信念に基づいてとしているのであろうが、接種によって抗体を得たいとする人には傍迷惑なもので、新興宗教勧誘と同根の押し付け・独善・権利の侵害に似ていると思わざるを得ない。接種対象者を12歳以上とした京都府の伊根町には、100件を超える反対意見が寄せられたらしいが、その多くは県外からのもので中には脅迫に近いものもあったとされており、抗議を寄せた人々はノアのように啓示を受けたものだろうか。

 抗体の有効期間が尽きれば再びワクチン接種を受けなければならないことから、毎年ワクチン接種を受けなければならない可能性もある。ワクチンの開発、接種に要した資産を全世界で見れば既に天文学的数字にな上っていると思えるし、年中行事ともなれば各国は将来にわたって大きな負担を負い続けることになる。
 コロナの起源が蝙蝠にしろウィルス研究所であるにしろ、中国であることには変わりないが、当の中国は「蛙の面に小便」的な鉄面皮で、奇禍としつつも国威伸長の好機としている。


歳時記の今昔(党首討論)

2021年06月10日 | 社会・政治問題

 本日は「時の記念日」である。

 購読している産経新聞のコラムと漫画が「時の記念日」を扱っているが、他のメディアはどうなのだろうか。少なくとも、漫然と眺めているテレビのニュースショウでは触れられていないようである。
 「時の記念日」は昭和60年代頃までは新聞・テレビで確実に報じられたものであったが、次第に報じられることもなくなって自分の歳時記では影の薄い存在となっていた。時の記念日の他にも「虫歯予防デー」「読書週間」「二百十日」「二百二十日」「八十八夜」「全国植樹デー」のように、一世を風靡したものの何時しかメディアから姿を消したものも少なくない。
 聞くところでは、1年365日何らかの「〇〇の日」があり、協会や組合を持つ業界には必ず記念日が設定されているようである。では、一部の歳時記が何故に世間から忘れられてしまったのだろうかを考えると、歯科医師が溢れて歯科治療は何時でもできるために虫歯予防デーは意義を失い、林業が衰退するとともに植樹した針葉樹が土砂災害や花粉症の原因とされることから植樹自体が根拠を失い、ということの他に、建国記念の日は歴史学会が懐疑的であり、台風は1年中発生していることが知れ渡り、気象庁が宣言して初めて梅雨を認めるというように、権威が認めたものしか信用しないという国民の意識変化も関係しているように思える。
 産経抄では、《「時の記念日」は大正9年に政・財・教の重鎮が立ち上げた「生活改善同盟会」が制定した》とされているので、欧米に倣って時間単位を基にした規則正しい生活普及が趣旨であったように思える。また6月10日としたのは《天智天皇10年4月25日に漏刻(水時計)が設置され時鐘が鳴らされたという日本書紀の記述を太陽暦に換算して》となっている。「時の記念日」が意義を薄れさせた理由は、列車ダイヤに見られるように日本社会における時間の観念は世界標準を遥かに超えている現状から、その使命を終えたためと云う方が適切であるように思える。

 薄れゆく歳時記について書いたが、新たな歳時記となるかも知れない事柄も存在し、その筆頭は「内閣不信任案」である。今や通常国会会期末の定番で重要法案の先送りを目的とする野党戦術であるが、既に重要法案の去就・処理が定まった今国会でも野党は恒例行事に拘って提出を模索している。もはや何の意義も見出せない不信任案提出は、桜には花見酒がつきものとする歳時記感覚であるように感じられる。
 一方、昨日2年ぶりに行われた党首討論こそ歳時記と捉えて代表質問に次ぐ高みとして通常国会の冒頭に置くことを期待するものであるが、政権交代の準備が整ったと豪語する最大野党の立民党首が開催に尻込みし、漸く開かれた昨日の状況は討論とは呼べない委員会質疑の延長的体たらくでは、歳時記昇格は絶望的であるように思える。


高橋洋一氏・竹中平蔵氏の言を読み解く

2021年06月09日 | 与党

 元内閣参与の高橋洋一氏がTwitterでの発言を批判されて更迭された。

 改めて書くまでも無いと思うが、高橋氏は日本のコロナ禍の現状についてジョン・ホプキンス大のデータを列挙した上で「この程度の『さざ波』で五輪中止とかいうと笑笑」と呟いたとされる。氏のTwitterを見ていないので各国の感染率を試算した。医療態勢が整っているであろうことと、データ隠しが少ないであろうG7における感染者の対人口比を高い順に並べると、アメリカ10.1%、フランス8.9%、イタリア7.0%、イギリス6.7%、ドイツ4.4%、カナダ3.7%、日本2.9%となっている。日本ではPCR検査や抗体検査母数が少ないために無症状感染者が統計に現れていないという反対意見があるので、対人口死者比についても並べてみたら、イタリア0.2%、イギリス0.19%、アメリカ0.17%、フランス0.16%、ドイツ0.09%、カナダ0.06%、日本0.007%となり、日本の感染率や死亡率はG7中で最低であるように試算できる。
 改めて、この数字を念頭に置いて高橋氏の発言を眺めると、あながち暴言と切り捨てるのは明らかに行き過ぎであるように思えるが、ネット上に見られる高橋氏への批判コメントの多くが、一様に「これだけ人が死んでいるのに・・・」という枕詞を付けて述べられているので、科学を越えた単なる情念の差異に起因する攻撃であるように思える。閑話休題。
 竹中平蔵氏がテレビ番組で「(世論の6・7割が五輪中止としているが)世論は間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違いますから」と述べてこれまた批判されているが、熱情に浮かれた世論が国を誤らせた例は数多いと考える。古くは衆愚政治と揶揄される直接民主制で国を失った古代ギリシャ、近世には、世界に冠たるドイツを標榜するヒットラーに政権を託したドイツ、米英討つべしという世情が大東亜戦争を決意させた日本という好例が有り、EU離脱を国民投票という世論で選択したイギリスの正否は現在進行形で示されるであろう。
 これらのことは、熱情下・危機下における世論や多数決が極めて危険であることを教えており、それを防ぐために多くの国は憲法に緊急条項を設けて国の存亡が問われる場合には憲法の一部を停止・凍結して、時の指導者に大きな権限を付与する仕組みを準備していると思っている。これらのことを踏まえて竹中平蔵氏は「世論はしょっちゅう間違える」と表現したものと思っており、堀江貴文氏が「まァそうだわな」と賛意を寄せたのも肯けるものである。

 高橋氏や竹中氏は統計や歴史を基に持論を述べているもので、コロナ全集中のあまりにヒステリックに即応するのではなく、一呼吸おいて冷静に吟味・対処する必要があるように思える。
 反対意見を瞬殺する愚は、日本統治の功罪を学門的に解明しようとする動きすら「親日」と一蹴する隣国が反面教師となって我々に教えてくれているではないだろうか。


膝丸と頼光四天王を学ぶ

2021年06月07日 | 社会・政治問題

 NHKBSの番組で、膝丸なる銘刀の存在を知った。(番組を見た方は、以下を斜め読みされたい)

 番組では、京都大覚寺所蔵の寺宝「薄緑(重要文化財)」を膝丸とし、源頼光の土蜘蛛退治に使用されたとされていたことに興味が湧いて勉強することにした。膝丸は大覚寺所蔵品の他にも数振存在するとされているが、大覚寺の寺宝に絞ることとした。
 銘刀「膝丸」は頼光の父満仲が「筑前在住の渡来人鍛冶」に作刀させたもので、同時に「髭切」と呼ばれる刀と揃いで作られたとされている。伝承では罪人を試し切りした際に膝まで切れたというのが刀名の由来とされている。その後、刀は所有者の武勲等に応じて呼び名が変わり、源頼光の土蜘蛛退治後は「蜘蛛切」に更に酒呑童子征伐後は「鬼切り」とも呼ばれ、源為義の代には夜に蛇の泣くような声で吠えたことから「吠丸」と、為義から譲り受けた娘婿の行範は「源氏重代の刀を自分が持つべきではない」として熊野権現に奉納、後に熊野別当から贈られた源義経は「薄緑」と名を改めて現在に伝えられているとされている。平家討伐後に源頼朝と仲違いした義経は兄との関係修復を祈願して「薄緑」を箱根権現に奉納、その後、箱根別当から曾我五郎に渡されて曾我兄弟の仇討ちを経て源頼朝の手に渡り、そこで「髭切」と再び対に戻ったとされている。
 これ以後の「膝丸」所有者や大覚寺の寺宝となった経緯、清和天皇の6男貞純親王の孫にあたる源満仲の嫡子である源頼光の家系が清和源氏の正統であるように思うが、満仲の6代後で大和源氏系統と思われる為義(女婿行範)が「源氏重代の秘刀・宝刀」を所有していた経緯にも勉強が及んでいない。
 自分は、源頼光を土蜘蛛退治や大江山酒呑童子退治の講談で聞き知っていたが、公団は一様に頼光を「らいこう」と呼んでいたので、自分も「らいこう」の方がしっくりする。特に、四天王は講談では主君頼光よりも輝いていたように記憶している。改めて四天王を調べると、
〇渡辺綱
 頼光四天王の筆頭。剣術の名手で京都を騒がせていた鬼・茨城童子を一条戻り橋で征伐。絶世の美男で「光源氏」のモデルともされる。
 茨城童子を討った刀は「鬼切安綱」として現在も北野天満宮に奉納されているらしい。
〇坂田金時
 足柄山の金太郎の成長後。怪力をもって多くの要解体時に活躍。
〇卜部季武
 身長2メートルを超す大男で、糸で吊るした針を正確に射貫くほどの弓の名手。
〇碓井貞光
 得意の大鎌で、碓氷峠に巣食う大蛇を退治するとともに「四万温泉」発見者とされている。

 番組では、特別公開された「膝丸」に妙齢の女性の一団が食い入るような眼差しをを向けていた。「刀女」と呼ぶのだろうか、彼女等の知識と思い入れは尋常ではなく、とても八十の手習いでは肩を並べることは不可能と思った。今後は、前述した「勉強の至らぬ箇所」を学ぶことで終わりにしようと思う。