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生きること:過去と未来とエスペラントと

ブログを続けることの難しさ!

2011-02-26 09:10:29 | エスペラント

 今、ブログ継続のむずかしさを感じています。昨秋エスペラントの入門講習を引き受けました。はじまるまで2ヶ月ほどの期間があったので準備も慌てないで出来ました。でも、継続することなど考えていませんでした。その準備に追われているのです。昔のメモを読み返すと論理的な説明の仕方などすっかり忘れているのです。つまり、エスペラントは慣れで読み書きおしゃべりしているもののそれ論理的に説明する必要などこの数年なかったのです。

 教本は子どもが主人公ですから決して難しいものではありません。でも、学ぶのは大人です。彼等は豊富な社会経験があります。その経験を生かせたら学ぶ時間を短縮し早く応用できるようになるのではと思うのです。自分がエスペラントを学び初めたころ何か不満だったのか、なぜすぐに進歩しなかったのか考えました。エスペラントの文法の構造等は分かっても、語彙不足から応用し、実践することができなかったでした。やはり単語を知らなければ言葉は話せません。

 私の経験では一度であった単語は正確に覚えていなくとも聞いたことがあるという、懐かしさとか、親しみとか感じます。ですから例文を沢山取り入れて教本に無い、単語を浴びせかけています。そして講習生が日本語とかその他外国語とかに関する自分の知識と結び付けて沢山の言葉を記憶してくれたら嬉しいと思っています。といっても準備はなかなか大変です。古いメモを見ながら格闘しています。

 これはブログが更新できない言い訳です!

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ザメンホフの生涯(エスペラント文庫)

2011-02-20 09:36:47 | エスペラント

 昨日、エドモンド・プリヴァー著ザメンホフの生涯を原書で読んだ人たちの話を聞いたのでふと思い出して探しだしたのが、学生時代に神保町で見つけた本です。

 1933年出版されたものですから当然旧仮名使いです。その頃はそれほど読み難いとは思わなかったのですが今読むと読み難いですね。出版時の値段が40銭でした。私が支払ったのは30円か40円でした。

 面白いのが後ろにある人工語の年表です。一番古いものは1550年に発表されています。言葉を作った理由は色々でしょうが、古い時代から人類が互いに知り合いたいと望んでいたという証の様に思います。その中で僅かに残っているのが1880年に発表されたヴォラピュックと1907年発表のイード、そしてエスペラントです。ヴァラピュックとイードは使用者数百人と聞いています。フランスのモンペリエの大会でヴォラピュキストに話しかけられたことがありますが、広めようというより研究しているようでした。

 久しぶりに思い出の本を引き出してザメンホフの生涯に思いをはせました。敗れた表紙の補修も当時のままです。訳者松崎克己氏とはどんな人物かと調べましたが分かりませんでした。

 本には12000円の値段がついていました。

 

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4人だけの同窓会

2011-02-16 09:36:36 | 家族・友人・私

 友人の一人がもう10年以上もがんを患っています。昨年ポリープができたそうで除去。体調が良くなったので梅を見に出かけるというのに誘われました。夫は仕事上の付き合いもあって彼女やもう一人の友人と途切れることなく交際を続け、時には同窓会にも参加しているのですが私はなぜ思い出話は苦手で一度も参加したことがありません。

 会いたいと言われ考えました。もしかしたら私達は明日終わりを迎えてもおかしくない年齢になりました。互いに悔やむことの内容に月曜日に梅見の会に参加しました。49年ぶりの再開でした。

 手始めに東海道線二の宮駅で下車、徳富蘇峰記念館に行きました。ここは良かったですね。学芸員がとても丁寧に情熱をこめて蘇峰や新島襄にいて語ってくれました。庭も含めて2時間以上もここで過ごしました。同志社大学関係の方が良く訪れるそうです。資料も豊富でした。トルストイが好きな私の興味を引いたのはトルストイ宅の庭園で拾ったという崩れかかったカエデの葉でした。若いころ読んだ本の記憶では蘇峰とトルストイは結びついていませんでした。知識を新たにしました。明治の文化史興味のある方は時間がある時にじっくりと訪ねる事をお勧めします。矯風会の久布白落実氏が蘇峰の姪であることも初めて知りました。

 懸命に生きている病人に人は何を話すべきでしょうか。自分の忙しさを語るわけにもゆかず、質問にぼそぼそと答えるだけの私でした。とてもとても疲れました。もう一人O君を呼べば5人で同窓会の湘南支部ができると3人ははしゃいでいました。

 もう一人の同行者は今も現役で大学の講師をしています。熱心なクリスチャンで、活動家す。横浜のYWCAの一階の喫茶店『花花サロン』の事を話せばよかった。きっと機会がある時に宣伝してもらえただろうにと自分の今にについて話さなかったことを今になって後悔しています。夫は電話すれば良いと言います。ですが本当に頼もうとするのなら電話では軽すぎる、思いが伝わらない考える私です。

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古いメモ帳

2011-02-12 10:08:08 | エスペラント

 先日古いメモ帳を見つけました。引っ越してもう5年。メモ帳の存在など忘れていたのです。

 エスペラントを学んだことのある人はエテルナコメンツァントと言う言葉をごぞんじでしょう。永遠の初心者と言う意味である。ボナン ターゴン エスペランティストとも言います。挨拶だけがエスペラント後は民族語でしゃべる人でエスペランティストの中には結構多いのです。

 私のエスペラントはほとんど独学です。下の子が中学生になった頃、つまり30年ほど前の事ですがこのままではいくらエスペラントが好きでもエテルナコメンツァランになると感じていました。そこで本を読んだ時に気になる単語を抜き出しメモを取ったものです。講習を継続することになったので使えそうなものはないかと眺めたらなかなか面白いのです。殆どが動詞と前置詞の用例です。今日は数量に関する前置詞 da がでてきます。なんとdaだけでもレポート用紙4枚にわたるメモがありました。多分数年かけて集めたものでしょう。数量に関する文でもdaを使ってはいけない例文までびっしりと書き込んでありました。もう、忘れた内容です。

 やはり、他人に頼っていては長く学習しても身につきません。自分に合った方法を見つけ出しほんの少しづつ努力すればエテルナコメンツァントから脱却できるのだと感じています。エテルナコメンツラントにならないためにどう学習すべきかを講習生にどう伝えるかがこれからの課題かもしれません。

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べんとう袋と笑えるできごと

2011-02-07 08:56:03 | 家族・友人・私
昨日午前中べんとう袋を二つ作りました。孫が日本で買った弁当箱が壊れ、彼女がぐずぐず言っているらしいのです。ドイツに弁当箱があるのかないのか知りりませんがキティちゃんの絵のある弁当箱をとても気に入っていたようです。

 べんとう箱を買った時、姪に貰った弁当箱もあると私が言ったのを思い出したらしく送ってもらえるかと言うことでした。そんな訳で袋もつける事にしました。絞りの藍染の小さな布切れをどうしても使いたくて布を足して作りました。地味だろうと100円ショップで赤い玉を買い飾りにしました。べんとう箱が二つあったので不公平にならないように弟の分も作りました。もう袋にはバサーで見つけたアップリケをつけました。のんびりと2時間楽しみました。店を探し回る時間より早くできたと満足しています。

ベランダにシイタケのホダ木を置きました。晴天が続くので水やりが必要でした。5個生えてきました。だいぶ大きくなったので焼いて食べようと思ったのですが・・・。その夜食べ忘れたら水やりもすっかり忘れてしまいました。数日後思いだして日よけの段ボールを取り除いてみたらなんと木に生えたままシイタケは乾燥シイタケとなっていました。

 本当にこの冬の空気は乾燥していたのですね。夏に会う姉にお土産にしようと干し大根も作り始めました。

 ゆうべひさしぶりの雨でした。また生えてくるでしょうか・!

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IU 詩詠伝より (8)

2011-02-05 11:33:34 | Weblog

Tro frue venis ci

 

 

                   Tro frue venis ci

ekflori sur la ter’,

al brila sunradi’

fidante kun esper’.

 

    Ankoraŭ papil’

 ne venas nek abel’ ;

nur regas tie ci

ja frosta la kruel’.

               

                Ho, vane ci floret’

                  forvelkas en sufer’,

                  kaj la same la poet’

                  malgajas en mizer’.

el la Verda Parnaso

 

おまえが来たのは早すぎたのだよ

 

  おまえが来たのは早すぎたのだよ

  この地上に先にでしょうと

  かがやくお日さまの光に

  希望をもって信頼して

 

   まだ ちょうちょも

  やってこない みつばちもだ

  ここに支配しているのは

  ただつめたいざんこくさばかりだ

 

  小さな花のおまえはむなしく

  なやみのうちにしぼんでゆく

  おなじように詩人も

貧窮のなかにうち沈んでいる  

(緑葉集 ―1932― より)

 

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なんでこうなる?

2011-02-01 10:28:34 | 家族・友人・私

 友人の癌が再発したそうです。卒業以来会ったことがありません。夫は友人の夫とも知り合いなので年に数回会っています。何度もこんど会いましょうと電話で言われているのですが・・・。癌の治療法も進んでいるのですね。良く出歩いているようです。先日は夫と他の友人と3人んで、11月には6人で会ったのです。どんな話をするのと尋ねるとよもやま話とのこと。私はそういう会合は苦手なのでついつい失礼していましたが、2月半ば会いに出かける事にしました。

 彼女の息子は軽井沢でコーヒーショップをしています。その息子さんのコーヒー豆をいつもプレゼントしてくれます。私には世界コーヒーグランプリと言うのは分かりませんか、幾度か賞を貰い今は審査員をしているということでした。夫は買ってあげた方が良いと言いますが、普段私が特売で探すコーヒーの値段と比べると桁違いに高価です。我が家の家計には贅沢すぎると私は買ったことがありません。

 さて、お返しは何にしましょう。マフラーを織る事にし、明るい色をと思うもののもう何年も染めていないので色の種類が少なくなっています。黄色を基調に緑を入れたら、菜の花畑の色になりそうです。小さな織り機には織りかけのマフラーがかかっていました。1月生まれの息子に贈ろうと正月に織り始めたのですが、体操を崩し投げ出していました。誕生日は過ぎたけれど昨日頑張っておりあげました。もう体力が無いらしく頑張ると吐き気がします。間に合うかどうかわからないけれどプレゼント頑張ってみましょう。

 ラオスからの便りに返事を書いていませんでした。急いで数行便りを書きました。彼はブログを読んだ方から紹介された日本人ですが、通信教育を受けた後ほとんど独習と言うことでした。短い手紙を交換することで学習が進めば良いと願っています。実は書く度に進歩していることが覗えるのです。

 日本語を独習しているというポーランドの若者から便りが届きました。ひらがなを全部覚えたので辞書が欲しいが手に入らないと言って来ました。日本語の辞書は漢字が読めないと引けないと思ったのだけれど、せっかくの勉学心を砕きたくないので、辞書を引くにはカタカナと漢字の勉強も必要と書き、インターネットの漢字辞書を今朝送りました。

 まだ、ドイツから来た便り二人分に返事を出していません。

 そうそ、夕べベルリンから電話があり、孫娘が日本で買ったキティーちゃんの弁当箱が壊れてしまったとべそをかいていました。姪がくれた弁当箱があるのですが送るなら弁当袋もつけてやりたいと思います。すべきことが次から次へと増えてゆきます。

 なぜ、物事が押し寄せて来るのでしょう!もう少しのんびり暮らす工夫が必要と思うのですが・・・。

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