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生きること:過去と未来とエスペラントと

学習会

2018-07-29 08:04:55 | エスペラント

 昨日は台風が来るので予定されていたエスペラント会の学習会の時間が変更になっりました。学習会に出なくなってから久しい。内容はベルギーからの来客(父と子)の講演とのこと。父親は2015年フランスでのエスペラント世界大会に行われた大会後遠足の時の世話人ということでした。その遠足に参加しいろいろとお世話になったので挨拶がてら参加しようかと開催時間の変更をメールで読んでから決めました。

 出会った見たらどこかで遠足のために働いたかもしれませんが、案内してくれた人ではなくてがっかりしました。父親は私の大事な仕事の一つは息子をエスペランティストに育てることだと幾度か強調していましたが、エスペラントは話すけれど、現代子というかあまりはっきりと性格がわからない青年でした。

 オムレツ屋で昼食を共にしましたが、父子の注文品が一番に提供されました。お先にと私たちが言うと父親はベルギーではみんな一緒に始めますという。息子はオムレツの上にとんかつが乗り、その上にカレーがかけてあるものを注文したのですが、すべて崩し、食べる前に田植え前の田んぼのようにすべてこねました。父親がそれは行儀が悪いと注意すると僕は子どもだから構わないと言いい、全員の注文品が来るまでこね回していました。かと思うとベルギーではビールは16歳で飲めるので友人と集まると10本は飲む、父親は1本しか飲めないとか変なことを自慢していましたが、会話を続けるのが難しい相手でした。このような青年がある程度大人になったときどんなエスペランティストになるのだろう、生まれた時からエスペラントを習い、使っていたとしてもエスペランティストとして有能とは限らない、エスペラントに興味を持ち、自分で苦労して学んだ人の方がエスペラント界にとっては必要な、あるいは頼もしいエスペランティトになるだろうと感じたのでした。

 

 帰りの地下鉄でとちゅうから父親と一緒に姉と弟が乗ってきました。小柄でしたが5歳と3歳ぐらいでしょうか。弟は自分で座ろうと椅子に手をつき飛び上がったのですが勢い余って窓枠に'ゴツン’と大きな音を立てて頭をぶつけました。脚が絡まって座れません。’おお、行き過ぎた’と私は声をかけてその脚を直してやりました。同じ駅で降りたのですが、姉が’バイバイ、さようなら’と言うと弟も’バイバイ’と手を振りました。姉の方は’ねえ、タッチしよう!’と手を出してきたので孫たちにするのと同じようにタッチして別れました。さわやかな子どもたちでした。

 

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台風

2018-07-28 10:12:43 | 雑感

 雨はうれしいが台風は困ります。関東の通過し、また関西中国地方に向かうとか。前回被害を受けた方々の不安はどれほどかと!

 トマトは雨にぬれると割れてしまうと聞いていましたので赤くなったのを30個ほど収穫。モロヘイヤも柔らかい部分は収穫し、ゆでて小分けにして冷凍しました。雨が降ればまたすぐに成長するでしょう。胡瓜は二本収穫し、塩漬け風にするため塩をまぶして冷蔵庫へ。昨日とったミョウガ10本とシソの葉も塩をまぶしてビニールの袋に入れてしっかりと空気を抜いて冷蔵庫へ。こうしておけば、酢の物その他にも利用可能です。

 雨といえばラオスのダムの決壊も気になるところです。Nたちのいるところは離れていますが、ラオス訪問の際にとても親切に気遣ってくれたNの姉一家はカンボジアに近いところにいるということでした。

 ラオスの発電所建設の主導権はほとんどタイがとっていると、数年前ラオス在住の日本人が教えてくれました。彼は土木関係の仕事で海外青年協力隊隊員としてラオスに行き、治水事業に携わったと言っていました。タイは自国の国民が漁業ができなくならないように、発電所はメコンの自国側に作らず、ラオス側の本流並びに支流に作り、電気を輸入する方法をとっているそうです。ラオス国家が協力といっても巨額の賄賂が動くそうで、それまで細々と漁業で生計を立てていたラオスの民が知らないうちに発電所建設が始まり、気が付けば生活の基盤が無くなっていたというのは当たり前の現象ということでした。

 

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今日の昼食

2018-07-26 08:44:02 | 家族・友人・私

 今日の昼食はうどんでお食べようかと思っています。昨日しし唐が30個ほどとれたので近くに住む姪に電話しました。取りに来ると言います。胡瓜も2本あげられそうです。彼女はうどんが好きなので時折近くのうどん屋で落ち合うのですが最近忙しくてご無沙汰していました。7月に彼女は2度も田舎に行きました。兄の一時入所が決まったそうなので少しは気分も楽でしょう。

 最近亡くなった姉がよく夢に現れます。そういえばもうすぐエスペラントの世界大会が始まります。ブログを休んでいる時、古い書類等を整理しました。まさに思い出がボロボロとこぼれてきました。姉亡くなってもうすぐ1年。月の経つのは早いもです。

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野菜

2018-07-25 08:11:36 | 衣・食・住
 毎日暑く地面もプランターも乾ききっています。今朝雨が降っている夢を見たと思ったら本当に雨が降ったのでしたが、ウッドデッキが濡れているだけで地面は白く乾いたままでした。
 我が家の野菜は順調に育っています。ミニトマトは食べきれないものを30個干してみたのですが、3週間たっても形が崩れないので味見したらまずかったので捨てました。<半分に切ったものは2日で乾燥しました。皮が固いのでそのまま乾燥させるのは無理なようです。

 胡瓜も食べきれないので友人にも手伝ってもらっています。ただ昨年まで現れなかったカメムシが出現しています。薬を播くわけにもゆかないので叩き落していますが、羽がありますから、また起き上がり飛んでくるのかもしれません。
 苦労して探し出したモロヘイヤの種も芽を出し、成長し、友人と分け合って食べています。

 しし唐は沢山なるのですが時々辛いものがあります。これは突然変異なのでしょうか。特定のものになるのではないらしく、植えた三本から一つづつとって噛んでみましたがどれも辛くありませんでした。

 ゴーヤはまいた種は発芽が悪かったのですが、こぼれ種が沢山芽を出し成長しました。沢山実をつけています。来週ごろから食べられるでしょう。
 昨年は細かく切って乾燥さえてから冷凍保存しました。乾燥ゴーヤはゆずに入れてジャムを作り、今年の3月ぐらいまで食べ続けました。今年も食べきれなかったら乾燥させることにします。乾燥させると量が減るので冷凍の場所も取りません。

 モロッコいんげんは盛りが終わったようです。蔓を切ってまた再生させるなどというのは無理でしょうか。試してみたい気もします。/strong>
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ラオスの教育

2018-07-21 09:09:50 | ラオス人を家族に持つと
 先日、Nが言いました。日本とラオスの学校の授業内容があまり違うので驚いていると。例えばラオスには体育とか音楽という授業はない。自分が小学生の時に何を勉強したか考えたら、算数と国語の読み書き以外に何を習ったかさえ思い出せないと。
 おそらく、寺子屋式の読み書きそろばん(計算)がラオスの基本的な教育だったのだろうと私は推測したのでした。。

 一昨年2回ほどタイにいる息子のもとを訪問し、一週間ほどづつ滞在ました。2度目の時にNの子育てに危機感を覚えました。2男TがぐずるとNはすぐにミルクを与えるのです。1歳になったばかりの時まだしも、1歳半になっても同じだったのです。原則、息子たちの子育てには口出ししなことにしているのですが帰る前に息子に言いました。子どもがぐずる時、いつもおなかが空いているわけではない。Nは子どもの要求を理解していない。このままだとTは成長できないと言い残してきました。

 その言葉はNにきちんと通じていたようです。先日、Nが言うにはラオスでは子どもがぐずるとすぐミルクを与えるだけだと。日本ではそうではないと分かっているが、自分はどうしたらよいかわからないと。

 私が、この親子にしてやれることは何だろうかと今、暗中模索です。
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兄の入院

2018-07-19 06:28:32 | 家族・友人・私
 もうすぐ92歳になる兄が入院しました。田舎で一人暮らしです。入院の経緯はよくわからないのですが、貧血で倒れていたのをヘルパーさんが見つけ救急車で病院に運んだらしいのです。肺炎も起こしていたということでした。
 姪は休暇を取って横浜と秋田を往復しています。ケアマネージャーは施設入所を勧めてくれているそうです。本人は病気でもないのに救急車で拉致されたと言い、入所を拒否しているようです。何を話しても不機嫌で、頑なに話し合いを拒否している、心が壊れてしまったのだろうかと姪はメールを送ってきました。

 いつも良い人(子)でいるわけにはいかないのです。意に沿わないことでも人はしなくてはならないことがあると姪にメールしました。
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おお!7月

2018-07-16 07:43:20 | taglibro: 日記
 ブログも長いこと休んでしまった。昨日Ⅿたちはラオスに飛び立った。木曜日一緒に食事をする約束をしたのにⅯは16時に塾に行ったきり18時近くなっても帰ってこない。 母親のNは薬局で姉のためにお土産として湿布薬を買いたいが何を選んだらよいのかわからなかったので私に選んでほしいという。Ⅿは外で自由に遊べるのが嬉しくて学校から帰るとすぐに外に飛び出し、なかなか帰宅しないということなので公園に出かけることにする。

 Ⅿの父親も外遊びが好きでした。小学一年生の時だったでしょうか、友人のピアノのレッスンについて行き、自分も習いたいとピアノを始めました。ところが外遊びもしたいので、レッスン用バックに目覚ましい時計を入れて公園で野球やサッカーをし、目覚ましが鳴るとレッスンにゆき、レッスンが終わるとまた公園へ。埃だらけの体でピアノに向かうのは先生に失礼だと言い聞かせても、公園の水道で顔や手は洗ってゆくからと遊びをやめませんでした。先生は男の子は小学校高学年になるとピアノをやめてしまう子が多いので、来てくれるだけでもうれしいといってくれました。中学・高校になって試験の期間に休んでも、いつ替わりのレッスンを受けますかと電話をくれるのでとうとう高校3年になるまで続けたのでした。

 夕食は回転寿司。回転寿司店のあるビルの一階にあるドラックストアでNの買い物をする。その間子どもたちは二階の子どもの遊び場で遊んでいました。その遊び方がすさまじい。全身でぶつかってふざけている。それに弟のTや同い年位の女の子を含めた幼児たちも体当たりしてゆくのには驚きました。親に呼ばれてさようならする時には‵ジャアね!’と手と手のタッチを忘れないのは乱暴な取っ組み合いをしていても子どもたちは互いに加減しているということなのでしょうか!?

 食事をしながら、Ⅿにラオスでまた新しい友達ができるねと声をかけると学校を数日休むことが気に入らなかったのでしょうか、不服そうな表情で私を無視していました。 
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