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生きること:過去と未来とエスペラントと

東電の工程表は絵に描いた餅

2011-05-31 09:11:54 | 平和

 今朝、モーニングサティライトを見ました。原発事故の話でした。炉心が溶けるメルトダウンを起こしていることは事故直後からわかっていたはずなのにあのような実行不可能な工程表を出したのは国民や福島県民のパニックを防ぐ狙いだったろうということでした。

 今の危機的状況は数年続きその後の処理に数10年、最終的解決の目処がつくまで100年はみなければならないと専門家が話していました。私は原子力には門外漢なので先日弟から来た手紙を紹介します。

 

昇らぬ太陽,沈まぬ原子炉

 

東電の上層部は年収7200万円とか。50%返上しますと言われても庶民感覚からは納得できかねます。

社宅や保養所など沢山保有しているのに原発被災者の避難所として提供しようなどという話がどこからも出てこないのは

何故でしょう。東電にも労組はあったと思うのですが,一人としてこういうことにモノ申す人間はいないのでしょうか。

 

炉を冷やすためとは言え,水をじゃぶじゃぶ掛けるだけで溢れたみずをどう処理するのか明確な展望もないようです。

10万トンを超える水を1万トンのメガフロートに蓄えるなら10杯は要るだろうと思うのですが。

 

車の中で聞いたのでNHKだったかどうか記憶していませんが1586年に若狭湾周辺でM8クラスの大地震があり,

山のような大津波で人も家も流されたという記録があって,ルイスフロイスの日記にも同じ記録があるそうです。

Netで調べると沢山の記述があり,以下はその例です。

http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1306426833/260

http://homepage1.nifty.com/zpe60314/ajishin28.htm

関電では古い記録にあるのは知っていたが確認できないので無視したとか言っているようです。

 

カナダからの逆輸入で京大原子炉の研究者についてつぎのようなレポートがありました。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2462

[迫害され続けてきた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち 、危険性を訴えたら監視、尾行された]

 

今日のニュースでは俳優の山本太郎が子供に年間20mSvの被曝限度はひど過ぎると発言しただけでテレビ出演できなく

なっているそうです。

 

都合の悪いデータは無視し,都合の悪い発言をする人物は社会的に抹殺しようとする体制は民主党になっても何も変わらないようですね。

 

5.28

 

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与野党の争いはコップの中の嵐 !

2011-05-30 08:50:30 | 家族・友人・私

 昨日久しぶりにボランティア先で岩手出身の仲間と会いました。先週帰郷したそうです。実家は被害がなかったそうですが三陸に足を伸ばし被害を見てきたということでした。映像では思い浮かばないほどの惨状だったそうです。

 仲間数人で現在の政治状況が話題になりました。

 私たちから見れば自民と民主は同じ穴の中のむじな!2党の争いはコップの中の嵐に過ぎない!どちらにも原発を推進した人物がいたのです!そういえば福島に原発建設を勧めた○○議員は事件後全くマスコミに顔を見せない!責任は自民・民主両党にあるのに自民は自分の責任を明確にしていない!解決の方向を示すべきだ!

 頭は頼りにならない!だけど頭を挿げ替えただけで解決できる問題ではないでしょう!小田原でもセシウムが規定量を超えた!校庭の表土削ったからと言って本当に放射能を除去できるの?一日や二日で放射能値が下がったなどと野菜の出荷制限が解除される、本当に信じられるの?

 普段は政治的な話などしない仲間たちが素朴な意見を発していました。これが庶民の本当の気持ですがどこに訴えたら良いのでしょうか。

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人の噂も75日と言うけれど…

2011-05-28 08:56:08 | 雑感

 今日は東日本大震災から11週目の土曜日です。

 政治家の動きがおかしいと思いませんか。人の噂も75日と言いますが今日は震災から77日目にあたります。ただ震災は噂ではなく現実であり、家や家族を失った人が大勢おり、国民の多くは放射能の恐怖に怯えています。毎日の食事も、本当にこれは放射能に汚染されていないかと心配しながら食しています。

 震災問題は全く解決していないのに、政党を超えて一致協力してこの国難を乗り切ろうと約束したと思っていた国会議員たちが国会で問題処理の不手際を追及するというニュースが流れています。不手際を追及する前にこのように処理すべきであるという方法を示す提案はなされているのでしょうか。

 私たちの目にはいつの問題でも『不手際追及代案なし』の空論が目につきます。今、選挙などしていて良いのですか。不手際追及は復興のめどが立ち、放射能問題が解決してからでもできる!政治家よ!全身全霊で復興問題に取り組め!あなたたちは国民の税金で生活していることを忘れるな!

 と、思っているのは私だけでしょうか。

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ドイツの子ども

2011-05-25 10:07:29 | 福祉と教育

 いつであったか近所の女の子2人やってきました。我が家のウッドデッキを見たいというのです。我が家は庭がなく駐車場の上に造ったウッドデッキがかろうじて庭の役目を果たしているのです。二人はデッキの上から下を眺めため息をつき一人の子が言いました。私ここで誕生会をしたいと。

 今の日本の子どもたちがどんな誕生会をしているのか知りませんが先週5歳になった娘の写真を息子が送ってきたのでその中からさし障りのないもを2枚選びました。

 みんなでおしゃれしてケーキを食べるのは日本と多分同じでしょう。その後みんなで床に座った紙で工作し妖精に変身、そしてまたおやつを楽しんだようでした。私も妖精が好きですが今の日本の子どもたちはどうなのでしょうか。2年前ベルリンで公園を散歩している時藪の中から段ボールの盾と剣を持った4~5歳の子が飛び出してきました。笑っている私に『ドラゴン!』と叫んでまた藪の中に飛び込んでゆきました。最近こんな子どもの遊びをあまり見たことがないのです。

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浜岡原発と土地の隆起

2011-05-23 11:56:26 | 平和

 今朝のニュースで驚いたこと。浜岡原発からわずか2キロメートルしか離れていない場所が過去の地震で2.8メートルも隆起していた言う。

 浜岡原発停止が唐突に決められ、財源不足云々と言って静岡県知事も突然黙りこんだのはこのためだったのでそうか。たとえ運転を中止したとしても原子炉は残っています。原発に影響を及ぼす地殻変動が起こる可能性があるかもしれません。政府の決断がとても速かったのはこのせいだったのでしょうか。

 今朝、放射能の流れを見ていた息子が、韓国南部にまで気流が到達していると話していました。私は思わず『お気の毒に…』と言いました。

 日本が起こした事故だから日本人が被害を受けるのは腹立たしいけれど仕方がないとしても他国にまで影響を及ぼすのはとても肩身が狭いです。

 1990年代社会主義諸国にいろいろと変化がありました。スペインのバレンシア大会の時だったと思います。スロべニアの女性が国情について聞かれ突然怒り出すのに出くわしました。彼女は『私は休暇に来たのです。そのことを話に来たのではありません!!』と怒鳴っていました。会う人会う人に聞かれていたのかもしれません。私たちもこの夏、エスペラントの世界大会にいったら質問攻めにあいそうで気が重いです!!

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ローマの心霊スポット

2011-05-22 08:06:34 | エスペラント

 横浜エスペラント会にはハマロンダヴェスペーロという交流会があります。毎月第3週の土曜日に講習会が終わってから行われます。言葉は発表の内容がエスペラントについてのものは日本語で構いませんが、話題がエスペラント以外の時はエスペラントで話すことになっています。

 昨日はイタリア人のポンピリオさんの不思議なローマについでした。スライドを使ってふだんの観光旅行では行けないローマの不思議な話が紹介されました。法王に首を切られた錬金術師の作った開くことのできない扉の話、人間の骨が横たわるカタコンベ。カタコンベを訪れた教師と生徒たちがローマから離れた小さな町に3日後に出てきた話、また、不思議な泉や幽霊の話。ローマ市庁舎前にあるマルクス・アウレリウスの騎馬像の馬が3本足で立っているか。それはローマ人が数字の4を嫌うからだとかいろいろ楽しかったです。

 心霊スポットに興味を持つのは日本人だけではないのですね。

 来月は新宿の中村屋に飾られてあった中村彝の肖像画で有名な、そしてエスぺラトを使って放浪した盲目の詩人エロシェンコの話です。

 横浜エスペラント会の交流会には会員以外も参加できます。詳しくは横浜エスペラント会にお尋ねください。昨夜は席がなくなるほど盛況でした。交流会の後は事前申し込の懇親会もあります。

 

エロシェンコについては

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3

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ザメンホフの詩

2011-05-21 07:09:20 | エスペラント

 久しぶりにエスペラントの創始者ザメンホフの詩を読みました。学生だった頃講習会の帰り道みんなで口ずさみ暗誦してしまったものもあったのにすっかり忘れていました。

 ザメンホフの創作は少ないです。手紙は沢山残っていますが私が読んだことのある詩は9篇だけです。新しい言葉に対しる質問や意見が多く、また言葉の確立のために世界の名作を翻訳することに時間と心を砕いていた彼は、創作する時間などなかったのでしょう!

 日本人のエスぺランティストの中には詩は難しいという人が多いように思います。でも初心者にはぜひザメンホフの詩を読んでほしいのです。創作年代と彼のその時の生活、エスペラントの置かれていた社会事情など照らすて読むと彼の苦悩と希望が伝わってきます。

 たとえば La Vojo 『道』。 1896年の作品です。1887年にエスペラントは公表されましたが多くの支持者はロシアにおりました。1894年文豪トルストイがエスペラント支持を表明します。それが裏目に出たのです。トルストイの思想を快く思わないロシア政府はトルストイが賛同することを陰で弾圧していました。そしてエスペラントもロシア国内の運動を禁止されました。もちろん雑誌も販売禁止となり、ロシアの読者を失いエスペラント運動は大きな打撃を受けるのです。

 このようにエスペラントの歴史と合わせてザメンホフの詩を読むと詩に込められた彼の心が強く伝わってきます。

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老化を促進する物質

2011-05-19 09:37:23 | 家族・友人・私

 昨夜居間に行くと夫が言うのです。『今日NHKですごくためになる話を聞いた。茶色のものには老化を促進する物質が入っているから避けたほうが良いんだってさ!』

 よくよく聞いてみるとホットケーキとかきつね色に焼いたもののことでした。『それじゃ、揚げ物もそうだし、蒸料理以外は食べられないじゃない!それとも黒く焦がしたらいいとでも言うの!』これが私の答えでした。

 老化とは自然現象です。老いることを怖がる人が大勢いることを天下のNHKが知らないはずはないでしょう。思考力が衰え他人に影響を受けやすい老人を惑わせるなと私には無性に腹立たしく感じられました。もっと現実的な話をしてほしいですね。話題に事欠いてこんがり焼けた食べ物を避けたほうが良いと老人に思わせるとは。それよりももっと避けたい放射能問題だってあるのです。それには子どもたちの未来、人類の未来がかかっているのです!

 でも、焼き目のつかない料理をして欲しいといわれて困る人もいるかもしれません。そんな時私ならきっと食事作りを放棄するでしょう。

 私自身死ぬまでは元気に言いたいと願っています。ただそれは人は老化してゆくことを前提としています。今日しておくことは?と自問自答しますが、何もしないままに1日が過ぎることもあります。これが老い?

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茶色い牛乳石鹸

2011-05-18 13:17:49 | 衣・食・住

 暮れから作り始めた牛乳石鹸が気に入っています。以前石鹸には蜂蜜を入れましたが黒砂糖にしてみたらこれもまた肌がしっとりします。

 オリーブオイルだけですと石鹸が柔らかくすぐ消耗するのですがココナツオイルを入れると泡立ちも良くもちろん洗浄力もあり、硬さもあり長持ちします。息子がトンガから持ってきたオイルがなくなったのでどうしようかと思っていたのですがフィリピン産を見つけました。なぜかトンガ産より早く固まってしまいます。

 昨夜は作りかけの石鹸のことなど忘れて早寝しました。ココナツオイルは温度が摂氏20度以下だと固まってしまうのです。朝は結構涼しかったのでまだ、型に入れていない石鹸の素が、ガラスボールの中で固まっていました。これを型に入れるには柔らかくしなくてはなりません。湯せんにしたり型に入れるのに苦労しました。

 この前は型から出すの苦労しました。今度はうまく抜け出てくれますように・・・。石鹸を作り出してからもう10年になるのにまだ苦労しております。

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ペンキ塗り そしてギガフロート

2011-05-17 12:38:17 | 雑感

 昨日は空気が乾燥していて心地よかった。ウッドデッキに2度目のペンキを塗る。さわやかな空気をためらいがちに吸いながら作業をする。

 姉から原発処理の進展の様子が見えないと便りをもらうが、私たちにも影の作業は見えないので説明できない。

 今日メガフロートと称するものが静岡から福島に来ました。エスペラントで FLOTO は艦隊を意味します。海の公園で使われていたそうで筏『floso』のように平で浮いているのですが、その中に1万トンの水を保存できるそうです。ある程度低濃度の放射能水の放射能を除きそのなかに水を保存するそうです。でも、保存しておけば放射能は減るのでしょうか。

 放射能値は都会のほうが低いそうで・・・。というのも雨が降ると舗装された道路などの放射能は雨水が洗い流すのだそうです。では流された放射能はどこに消えるのでしょうか?

 疑問だらけの毎日です。

 

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どこにでも反対派は

2011-05-15 06:39:02 | 家族・友人・私

 昨日の朝あるボランティアグループの仲間から呼び出されました。午前中来てほしいというのです。午後はエスペラントだし途中で家に帰る時間のは無さそうだし…。電話で喋り出す彼女の様子にただならぬものを感じて出かけることを承諾しました。

 考えてみると朝食もまだ、いや顔さえ洗っていない。シャワーを浴び、朝食をかき込み、濡れている髪は帽子の下に押し込んで出かけました。

 3年ほど前、ある団体の好意で我がボランティアグループは事務所を持つことができました。2年程前その団体と共同で事業を始めました。事業は順調にいっているのですが、そちらの団体は一枚岩ではなかったわけです。事業推進派と反対派がいたのです。事業がうまく行けば行くほど反対派の嫌がらせ言動が強くなると彼女は言うのです。『もう、こんなことやってられない!』

 相手方の組織は今、人事問題を審査する時期にあるらしいので、その見極めがつくまでと今の状態でと彼女を説得しましたが・・・。

 組織が大きくても小さくてもどんな団体にも意見が違う人間はいるのが当たり前、反対派はどこにでもいるのです。ただ、それを当たり前と思うか、突然表面化した反対派にショックを受けるかそれは個人の問題と片付けるべきかどうか、ふだん働かない私には何とも言えませんが、たぶん問題解決を一ヵ月半延ばしただけかなとも考えたり…。

 何をするにも反対派いるのです。同じことを目指している様に見えても意見の相違はあるのです。意志の強い人が意見を通すか、数で解決するか、民主主義的解決法とは?

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足柄茶からセシウム

2011-05-13 09:57:18 | 衣・食・住

 新茶の季節です。昨日のニュース。神奈川県足柄はお茶の産地です。新茶を自主的に検査したところ基準を超えるセシウムが検出されたのですべて破棄処分にするそうです。破棄されたお茶に含まれるセシュームは消えて無くなるわけではないでしょうから、どうなるのでしょうね。

 本を読むと煮物を焦がす癖のある私はまたまた鍋を焦がしてしまいました。アンネの本は読んで決して楽しいものではありません。読み終えないと、途中で止めたら最後まで読めないので買い物にも行かず、干物を使って即時の用意をしました。大豆を煮たらすっかり忘れて焦がしてしまったのです。焦げのにおいを消すのにみなさんはどんな方法をとるのでしょう!

 私は熱いうちに鍋の蓋の上に大匙1杯程の塩をばらまきます。そのまま冷ますと焦げた臭いが薄くなります。でも放射能は臭いもしないし目にも見えません。私たち年配者は先も長くありませんが成長盛りの子どもたちに将来どんな影響がでるか不安になります。

 

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Anne Frank ne estas de hieraux『昨日のアンネ・フランクではない』

2011-05-11 14:20:17 | 平和

  『Anne Frank ne estas de hieraux』 作者はオランダの作家 Mies Bouhuys(ミース・バウハウス)です。エスペラントに訳したのは視覚障害のあるノラ・バルテスさんです。エスペラント版に彼女が感謝の言葉を書いたのが1988年です。輸入されてすぐ購入した本ですから読んだのは20年ほど前でしょうか。その時は無我夢中で一気に読み上げました。 ―今回も途中で止めた最後まで読めないと読み続けましたが・・・。

 本の表題すがアンネの死が心に深く刻まれていたせいか『昨日からアンネ・フランクはいない』と思っていました。今回読み返してこれは間違いと気づきました。なぜならこの言葉は大人たちが好奇心が強いアンネを子供扱いし、その成長にかがつかないことにアンネが憤慨して日記に書いた言葉だったのです。ですから、『昨日のアンネ・フランクではありません』ということでしょう!

 物語はアンネが生まれたフランクフルトから始まります。アンネの目と心を通して迫ってくるナチスへの恐怖とその実態を子ども達に伝えようとしています。偏見や差別がどこから生まれるのか。それは閉鎖的な無知から来るのだと言うことを懸命に説いています。作者はナチ台頭時のオランダ人の行動やナチ支配下のオランダ人についても子どもたちに伝えてようとしています。中学時代に読んだ作者も忘れましたが、岩波少年少女文庫に『あらしの前』『あらしの後』という小説があったのですが突然その本の光景を思い出したりしながら読んでいました。

 目を伏せてはいけない。隠れ家で暮らしていも好奇心を失わず自分の目と耳で状況を理解したアンネと同じようにいつも‘なぜ?’という疑問を持ち自分の目と耳で答えを探すようにと子どもたちに訴えています。でも同じことが大人にも言えるのです。

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アンネ フランク センター

2011-05-09 14:16:37 | 平和

 私がボランティアをしている施設で6月にアンネ・フランク展を企画している聞いて2年前の5月ベルリンで一人で訪れたアンネ・フランクセンターのことを再び思い出しました。日本の展示会は眺めて、その後、せいぜいアンケートを書いて終わりとなります。だがベルリンのアンネ・フランクセンターは違っていました。

 もちろん、展示にはユダヤ人のヨーロッパにおける歴史と状況、フランク家の歴史や状況がありましたが新しい試みがなされていました。現代のベルリンに住むアンネと同じ10代の少年少女がアンネとともに自分について語っていたのです。アンネの声はもちろん本人ではないでしょう。彼女の写真の下に将来の夢として日記にあったジャーナリストか作家になりたいという彼女の言葉が掲示されていました。

 現代の子ども中の3人は宗教が違っていました。ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスラム。他の二人は生粋のドイツ人ではありませんでした。私が訪れた時は2グループが来ていました。それぞれに見学しを終わると椅子を寄せ集めてグループで討論を始めました。ドイツ語が分からない私にはその発言内容は分かりませんでしたが、単に歴史上の人物としてのアンネではなく、アンネに連なる自分たちの話をしているようでした。

 どんな展示会になるのか楽しみにしています。

 もう一度アンネの時代を考えたいと古い本を読み始めました。目がしょぼしょぼているのにまだ読み終わりません。たかが190ページ、されど190ページ、というところでしょうか。

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ラオスの子ども

2011-05-08 09:23:37 | 平和

  先日、ブログ友達の案山子さんのブログでラオスの子どもに絵本を送る活動を読みました。訪ねてみましたがたどりつけませんでした。

 昨夜は明日ミャンマーに発つという息子がきました。久しぶりに家族で夕食を共にしおしゃべりをしました。案山子さんの記事の話をすると彼は『ラオスの子ども』ではないかと教えてくれました。さっそく今日調べました。東京都の大田区のホームページに載っていました。

 昨年ヴィエンチャンに行った時、訪問先の家が奇妙に空洞だったのです。そうです。本がなかったのです。本のない生活など考えてみたこともありませんでした。あの戦争中でさえ絵本は私の友達でした。それは兄姉からのお古でばらばらにならなようにしっかりと縫いつけてありました。子どもが大勢いるに本が1冊もないのです。翌日本屋を見つけて入りました。もし、絵本があったら買おうと思ったのです。並んでいるのはほとんどが英語、ペラペラな紙の絵本が数冊ありましたが、それはタイ語かラオス語かわからないので買いませんでした。そんなわけで絵本がないことがとても気になっていました。

 『ラオスの子ども』の活動は次のようなものでした。私は使い道が自分の目に見えない寄付は最近したくありません。家にある絵本は孫が来たときにとても喜んでくれました。ドイツに持っていった分もあるのですが、同じ本を読むことは親子にとって心を伝える大切なことと思うとで寄付したくありません。

 でも、新しい絵本だったら買うことができます。月に1冊づつとか!まだ新年度が始まったばかりで忙しいのですが、夏休みになったら始めようかと思っています。

 『ラオスの子ども』の活動には次のようなものがありました。もちろん寄付も募っていました。

主な活動・事業 

  • ラオスで本や紙芝居を出版する活動
  • ラオスで読書の習慣を広める事業
  • ラオスで子どもが集い遊び学べる場(子ども文化センター)を支援する事業
  • ラオスの子どもに関する情報収集や調査研究をする場 
  • ラオスに関する交流や広報ネットワーク事業
  • 日本での社会教育や開発教育の事業
  • その他、目的を達成するのに必要な事業 
  • 広く活動全般の資金として活用させていただく一般寄付のほかに、指定募金も募集しています。詳細は事務局までお問い合せください。
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