glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

子ども達が畑で何をしている

2006-10-31 15:25:55 | 雑感
 今日は小春日。
お揃いの帽子を被った子ども達が我が家の前の畑でガヤガヤ。

暑いのでガラス戸を空けるといつの間にか子ども達が神妙に座っている。そのうちボールを持った先生が現われ茹でたさつま芋が配ったようです。

青空の下、陽射しの中で自分達が世話をしたさつま芋食べている、美味しいでしょうね。

『ビタミンCがあるんだよ!』子どもの声がします。子ども達はあまりおしゃべりもせず、ささやくように話していましたが、静かに帰って行きました。

 時々外を見ながら本を読み、今日は静かに過ごしました。

 なぜか、長年会計をしてくれた年老いた仲間が亡くなった知らせにも動揺しませんでした。陽射しのせいでしょうか。現実離れした感覚で今日は過ごしました。子どもの頃の休日にはこんなことがよくあったものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しいぶりに大いに働きました。

2006-10-29 21:17:59 | 家族・友人・私
 夫は3月で仕事を辞めると決めたのですが(本当かどうかその時にならないと分りませんが・・・。)昨日も今日も仕事です。

 よし、昼ご飯を作らなくて良いのならガンバルゾと朝から頑張りました。なにしろ風呂場のマットを織ると糸を張るのに6月から先週迄かかりました。試みに経糸を麻糸にしようとしたのですが、夏秋の暑さのせいでしょうかプツプツと切れてしまいます。麻は乾燥には弱いと聞いていたのですが。

 それを織り上げ、縫いかけの裾長の毛糸のベストも縫い上げました。9時から夕方5時まで頑張りました。 

 午後は日が射して暑くなり汗だくだったのです。

 ベストは友人達が処分に困ったと不要の毛糸を持ち込んできたのを織ったのです。一度縫ってみたが肩が張って裃ようで気に入らずほどいたのです。電車で着物をコート風に縫ってきている人を見かけると近寄り、縫い方を盗み見し、ようやく完成にこぎつけた次第です。

 手織りのものは長持ちします。残り毛糸で織った布で作った普段着2枚13年ほど着たでしょうか引越しの時に思い切って捨てました。マットも風呂場のマットは15年使いました。自分が作ったものは品が悪くてもなかなか捨てられず、これも引越しを契機に捨てました。

 考えて見ると材料だけがドンドン増えているようです。これからは決して貰わないことにしようと思っているのですが、頼まれると貰ってしまうのです。生まれながらの貧乏性でしょうか。

 風呂場マットも経糸が何度も切れたのでつなぎつなぎ作ったので決して見栄えが良いとはいえません。おまけになかなか使えない黒い布も使い、黄色と茶色の3色にしたらまるでトラ猫模様です。これを10年以上使うことになるわけです。
ちょっと侘しいかな? 

 今日は私の愚痴です。

 明日からエスペラント三昧の日を数日過ごすとします。  
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かあさん俺・・・

2006-10-28 01:53:42 | Weblog
 変な電話を貰いました。“かあさん俺、携帯の電話番号変えたよ!“というものでした。

 名前を言わないのです。おかしいですよね。3人の息子達とも声が違います。

おまけに二人は外国暮らし。その中の一人は家族旅行中。

 私は急いでいたので同じ事を繰り返すその人に“それは良かったですね”と電話を切りました。あの電話は何?と後で思ったのですが・・・。

 私が息子の名前を言ったら、後から俺俺詐欺の電話が来たのではないかというで気がします。

 俺俺詐欺に引っかかるのは、子どもの実名を言われるからではないかと気付いたのです。

 口惜しい。もしかしたら詐欺師をギャフンと言わせる機会を逃したかも知れないと思うと本当に口惜しいですね。


 みなさん、名乗らない人から電話が来たときは、“○○なの?“などと家族の名なぞ決して言わないようにしましょう。

 家族に年配の女性がおられる方は家族にも徹底させましょう。

 でも、口惜しい!ギャフンといわせたかったです。何しろ電話を切るときに相手がつぶやく声が聞こえたのです。

 “えっ!良かったねと言ってるよ。“
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

力強き細菌たち! ―2

2006-10-22 08:42:59 | エスペラント
以前テレビでで黒ずんだ銀製品は酢に一晩ぐらいつけて重曹でこすると綺麗になると読んだので試したことがありますが、試したところ全く変化なしでした。 

 このヨーグルトとイースト菌とナット菌が作ってくれた集合体を流しに塗っていたらステンレスがぴっかぴかになりました。これを銀製品に応用できないかと考え、昨日午後、真っ黒に変色した銀のネックレスをこの液を入れた水につけて出かけました。
 帰宅するとちょっと光っています。 

 数日待つべきかと思ったのですが、せっかちな私は、それを手にとりserenaさんがコメントに書いてくれたように重曹をつけ、その手に酢を少しかけました。
   

 シュワシュワと泡だったのです。それを優しく揉みました。 

  おお!銀色に光が返ってきました。

 これは以前チェコで『木でできたお城』に行った時、お城の工房で友人が買ってくれたのものです。黒くなっても記念は品処分し難く持っていました。
 その友人に横浜で行われる世界大会にこないかと声をかけたのですが、癌の手術をしてから体力が無くなり日本までは行けないと言う返事が返ってきました。彼女からも他の友人達からも色んな石やネックレスを貰いました。そろそろ身に付けないと友人達に悪いと思うのですが機会がありません。

 これからは友人達の心と思って身に付けようと思います。

 下記に以前のチェコのお城の記事をリンクしておきます。

http://blog.goo.ne.jp/glimi/e/164d7def99f35f31aa9bac613bb60ef5
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜ホステルビレッジ

2006-10-18 17:39:48 | エスペラント
 土曜日、横浜ホテルビレッジのミニパーティがあると言うので参加させてもらいました。場所は横浜市中区寿町。パーティ会場はある簡易ホテルの屋上でした。この街は横浜港が荷揚げ港として栄えていた頃日雇い人夫達がたむろする場所で一般の人が立ち入ることを拒否しているような区画でした。
 最近は住民達も年老いて生活保護の人が多くなっています。また昔の簡易宿泊所に空きが目立ってきているのです。そこに若い人達のグループが入り込み、旅行者用の簡易ホテルを作ろうと住民と協力してホテル事業を始めたのです。

 来年エスペラントの世界大会を開く横浜には安いホテルがありません。そこでこのホテルを利用させてもらう事にしているのです。
 私が7年前この町を訪れた時はまるでゴミに埋まったような街でした。昨年頃から花が見られるようになりました。花のボックスが増えるごとにゴミの山が減少してゆきます。人の心とは不思議なもです。

 この計画を作り実行している一人、建築科の大学院生と話す機会が得ました。元労働者達が年老いてこの世を去ってゆく。それを見逃していれば、ここには世間の目を避ける人土地が入り込み、街はスラム化してゆくだろう。それを防ぎたいと熱っぽく語っていました。
 パーティにはその行動を支えようと色々な人が集まっていました。社会は確実によい方に変わっています。

 もう半世紀近く前になります。学生の私はあるセツルメント運動に参加していました。大人達は自分が生きる事に忙しく、社会から落ちこぼれた人々に手を差し伸べる余裕などありませんでした。学生の生半可な運動など現実の中に飲み込まれてしまいました。残ったのは挫折感でした。この挫折感を克服したいと言うのがこれまでの私の生き方だったように思えます。

 若者達の思いが大きくみを結ぶことを願っています。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

力強き細菌たち!

2006-10-13 09:16:53 | 衣・食・住
 先日、名も知らない台所のぬめりなどの雑菌を退治する細菌を作る方法をメモして置きました。

 使ってみました。

 岡山へ行く前から流しの掃除をしていなかったので、ステンレスの流しには少々茶色の汚れもついていました。水曜日、外出前に液体を振りかけて出かけました。液体はパンを発酵させすぎたような甘い香りがします。
 夕方帰宅。水を流すと茶色部分の70~80%が消えました。寝る前、流しの側面にはうまくつけられないので、水で濡らしたスポンジにつけて塗ってみました。こすってしまうとどの程度効果があるか分らないと思ってこすらずに塗りました。ついでに風呂場の排水口にも流しました。こんな調子で使ったらすぐ無くなってしまいそうですので2リットルのアロエジュースが入っていたのボトルに4本分作りました。

   木曜日。さてどうなっていたのかというとまだピカピカというわけには行きませんが流しはとてもきれいになっていました。

 ところがです。アロエのボトルは膨張し、一部は薄くなり今にも破裂しそうになっていたのです。蓋を緩めると液体が少し噴出しました。 

  Oh! 寝かせるのは発酵させるためだということをすっかり忘れていました。
 実は1本目も半分になっていたのです。私の蓋の仕方が悪く、家人がそれを倒したのかと思っていました。分量が少ないので、次の分を慌てて作ったのですが。

 この液体を作る時は蓋をあまりしっかりしない方が良いようです。

 こんなことで人生を楽しめるとは私は本当に幸せ者、あるいは余ほどの阿呆かでしょうね!   
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山は・・・。

2006-10-12 09:36:45 | エスペラント
  岡山は私のエスペラントの師、伊東三郎の生まれ故郷です(本名:磯崎巌)。彼に卒業論文は岡山の社会事業について書いて欲しいといわれたことがありました。興味はありましたが、関西へ修学旅行で行っただけ、西を訪ねたことの無い私は遠い異国のように思えて断りました。

 彼の著書(岩波新書)『愛の人 ザメンホフ』他のエスペランティストの著書より一般人に読まれていると思うのですが、大会では彼の名は話題になりませんでした。

 その理由はわかっています。彼の考え方は理解されていないのです。彼はいつも言っていました。エスペラントを単なる言語問題の解決方法として捉えてはいけない。言語問題は社会問題なのだから、社会問題として捉えなさいと・・・。
 この言葉は私の中で長い年月の中で霞んでゆきました。そして町を散歩しながら蘇って来ました。それだけでも岡山に行って良かったかなと思います。

 私も、理論的に他の人を説得できるほどの力は無いのです。
 でも、ザメンホフがエスペラントを作ったのは社会を改革しようという視点に立っていたと思うのです。その可能な一つの方法として相互理解を目指す言葉を考えたのだと思っています。


       

 岡山には落ち着いた美しい街並がありました。大会の合間を縫って散歩しました。もしかしたら散歩の合間を縫って大会参加でしょうか。

 柳川というのでしょうか綺麗な水の流れに沿って散歩道が続きます。石畳の道は下を見ているとヨーロッパを歩いているような錯覚にとらわれます。

 勝手に歩いているので行き先が分らなくなります。人影を見つけ近寄り尋ねると親切な答えがかえって来ます。

 ぶらりと入った美術館では『がんばらない』という障害者の展覧会をやっていました。その中に知的障害があると思える女性の『地下鉄の人々』と言う詩が何枚もありました。彼女が見た人々、老人とか、OLとかサラリーマンなどに呼びかけた詩です。人々を見てその生き方を捉える想像力豊かさに思わず笑いが吹き出し、その表現の素直さに感動し、羨ましくさえなりました。書も良かったです。

 エスペラントで感動したとかけないのが残念ですが、これが私の今年の日本エスペラント大会でした。

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子育て

2006-10-10 12:05:22 | 雑感
 岡山で開かれたエスペラントの日本大会に参加したついでに倉敷に行きました。ホームには人はまばらでしたが岡山行きの汽車を待っていると3歳になったかならないか、小さな男の子を連れた婦人が私の後ろに並びました。祖母と孫のようでした。

 関東では列車が入る時には『危険ですので白線の内側にお下がりください』と言いますが、ここでは『ホームの中ほどまでお下がり下さい』と言うのです。
    
 それはあまり関係の無いことですが・・・。

 突然その子のが叫んだのです。

 『前の人はホームから落ちて死んでしまえ!』

 おばあさんは孫の名を呼びながらヘラヘラと笑い、『××ちゃん、そんなこといっちゃダメよ』と言葉だけはたしなめていたます。
 子どもは『前の人はホームから落ちて死んでしまえ!』を叫びつづけています。

 その婦人のヘラヘラ笑いが気になって、私は振向きました。彼女は笑いを止めもせず、『すみません、この子はよその人に時々変なことを言うのです』とケラケラ。

 子どもは私に顔を見られたので叫ぶのを止め、口の中でブツブツと繰り返していました。

 この子の両親はどんな子育てをしているのだろう、母と祖母の関係はどうなのだろうとふと考えました。両親と祖母と競争して甘やかしているのとしたら将来どんな子どもに、あるいは大人に育つのでしょうか。

 私に見られて声をひそめたと言うことはこの子は自分が良いことをしていないと分っているはずです。それを阻止できない大人たち・・・。この子の将来に不安を感じました。

 『三つ子の魂百までも』
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉を置き換えることの難しさ

2006-10-04 12:31:51 | エスペラント
 エスペラントで小説を読む時も私は訳さないでイメージを描きながら読みます。日本語で読む時いちいち言葉を置き換えてゆく事はしないと思うのです。日本人は読み方や意味が分らない時に辞書を引く程度でしょう。辞書を引く以外にもエスペラントはややこしい込入った文章だけ書き出して訳します。
 ですから即座に適当な言葉が見つからないこともあります。

 先日読書会で私の当番の段落がわからないので訳して言われました。ところがです、プレジェーヨの訳語が出てきません。『お祈りする場所はどこでしたっけ?』『礼拝堂。』

でも、小説の舞台が日本のお寺でしたら、本堂でも良いわけです。

 第一日本語になっていない言葉もあるです。

 アレッツォでレカントが私にマスカットを示していいました。『これなあ~に?』『Vinbero ーヴィンベーロ』と私。
VINOはワイン。BEROは汁を持つ実、液果です。
『Vinberoはワインを造るベーロでしょう!これからはワインは出来ないのよ!これはUVOよ。』といわれてしまった。

 しかし日本には二つのものに違う言葉はなく、あるのはブドウという言葉だけです。かと言って液果がすべてブドウではないのです。ブルーベリー、イチゴ、木苺、スグリ、コケモモ、山葡萄など沢山の液果あります。
エスペラントでいう時は全部BEROで言えば間違いのかも知れません。 


 多言語を知っている人はかなり自在に訳語を作れるかもしれませんが私には困ることがおおいのです。

 たとえば『MISIO』という言葉。辞書によると使命を意味しているようです。
 ところがレカントと友人のラウラが所属している会は『見える人と見えない人のメシア』と言うのです。この話しをする時は『見える人と見えない人の宗教グループ』としていますが。

 レカントはエスペラントに興味を持っていました。ラウラがエスペラントを話す事も知っていました。ある時ラウラがエスペラントの朗読をすると聞いて参加し、ラウラに弟子入りしたのだそうです。ラウラは目が見えませんがレカントは介護等という考えが無いようでまさに対等です。どんな急な階段も彼女を引きづる用にしてドンドン歩きます。ラウラもそれが当たり前かのように一緒に闊歩します。甘やかしも甘えも見えません。障害のある人との付き合いはどうあるべきか考えさせられます。

その話は昨年リトワニアの経験で書いたと思うので今日は書きません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 名前も知らない!

2006-10-03 10:09:03 | 家族・友人・私
 先日より普段食べている食べ物から作ったバイオの力で水を浄化する方法をテレビで聞き知りたいと思っていました。いつも途中からなので作った人もその製品の名前も知りません。

 一昨日だったでしょうか、またテレビで川をを浄化しているのを見ました。夜流しに流しておくと排水管のぬめりも取れるとのこと。効果が現われるのに1~2週間かかるようです。
 昨日早速作りました。

500ccのペットボトルに作る分量です。

 納豆1粒
 ドライイースト 2g
 ヨーグルト  25g
 砂糖     20g
 水     400cc
 これを混ぜ合わせ1週間ほど寝かせるそうです。

これもメモ代わりブログです。とにかく台所で試してみるつもりです。

色々と使用法があるようです。自分で使用されている方、効果や詳しい使用法などご存知のことを教えてください。  
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ああ!デカメロン

2006-10-01 10:45:06 | エスペラント
昨日は講習会でヴォッカチオが驚き嘆くであろうという事件(?)に出会いました。

エスペラントで数字の10をdek(デック)と言います。序数は冠詞la(ラ)とa(ア)をつけて表します。

 1番目 la unua(ラ ウヌア)
 2番目 la dua (ラ ドゥア)
 3番目 la tria(ラ トゥリィア) 
 ・
 ・
 ・
 ・
10番目 la deka (ラ デカ)

 ですから 9月10日は la deka de septembro となるのです。ひとりが10日にあったできごとを話しました。

20代の人がいいました。『ラ デカ のデカはとても奇妙に聴こえるのよね、どうして10がデカなんだろう?』

『デカメロンのデカも10よ。』と私。
『嫌だ、それこじ付けでしょう!デカメロンはただ大きいメロンのことでしょう!』

『 ・・・・・。』 と私。

デカメロンは高校の頃読んだだけなので内容はすっかり忘れているけれど、伝染病を逃れた人達が10日の間互いに語り合った物語のことだとかろうじて説明しました。

 ああ、ヴォッカチオもきっと嘆いていることでしょうね!

 いつであったか、だいぶ前のことですが、田山花袋の事をタヤマハナブクロと受験で書いた高校生の記事を読んだことがあります。

 最近世代の違いを感じる事が多くなりました。若かい人は年配者の最新知識の無さを驚いているでしょうが、世代間の落差を超えて理解し合うにはどうしたら良いのでしょうね。

 互いにおおらかに許容し合うより方法が無いかも知れません。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする