22日(水)9:出発 →Langeais城(ランジェ城) →昼食‘レストラン:バルザック’ →ヴィランドリー城 →シノン城 →作家フランソワ・ラブレーの生家跡 →グレジヨン
お城の話は読む人にはそんなに面白くはないと思うので省略しようかと思ったり・・・。
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二つの写真はランジェ城にあったものの写真です。何だかわかりますか。この城は狩猟の際の休憩所として建てられたものだったそうです。①は衣装を入れて持ち運ぶものです。②は便器です。便器は蓋を開けて座るようになっています。下は引き出し式で用を足した産物を取り出せるようになっています。普段は城には何も置かず、敷物・壁のカーペットもすべて持ち運んだそうです。私は時々くだらないことを考えます。中世ヨーロッパでは貴族たちが便を窓から外に投げ捨てたと聞いております。このような城ではどう処分したのでしょうね!
どこの城で聞いたのか忘れしましたが、ポーランド王となり10日前後で追い払われた王がいたそうです。娘がフランス王の妃になっていたのでフランスを頼ってきました。フランス王は城を与えたそうです。本人は厚遇されたと喜んできてみたら城には何もなく石の城は冷たくて寒く一冬寒さに苦しんだそうです。本当はパリに置くと世話が面倒なのでフランス王はロワール地方に追いやっただけのことでした。
ランジェ城には当時の王族の服装が展示されています。そしてこの城だけでなく王侯貴族のベットが残されていますが、すべて丈が短いのです。それは横になるのは死んだときだけ、横になると死んでしまうという考えに支配されていて、夜も座った状態で過ごしたからだそうです。
昼食はバルザックと云う名のお店で。バルザックの生まれた土地とのこと。と云うことは私たちはトゥールにいることになります。バスで運ばれると土地勘が無くなりますね!
写真に写っているのはアントワープから来た家族。夫が常に妻の世話をしています。夫の手に余るような時に見守っている息子が手助けします。右で杖をついているのはドイツから来たアネリエ。古い知り合いです。3年前太もものところに癌ができて摘出。経過が良かったのですが転んでその部分を骨折したそうです。広げると椅子になる杖を借りてきたということでした。ヨーロッパ人は体が不自由になっても出歩きます。私がふうふういうような石畳の道もなんのその、バスで休憩することも無く歩き続けました。
シノン城で子どもに野外授業していた女性が突然横を通り過ぎました。もしかしてジャンヌダルクの服装かもと思って写真を撮りました。
作家フランソワ・ラブレーの生家跡はワイン工房になっていました。彼フランス近代教育の父と云われているそうです。修道僧でモンペリエで医学の修行もしたそうです。フランシスコ・ガブリエルとかいうような筆名で小説(風刺?)を書き権力者に睨まれていたので外に出るときは黒い衣。でもこっそり村の女性との間に子どもまでいたとか・・・暑いなか説明が長すぎました。