glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

縁の不思議

2024-08-11 07:22:46 | 福祉と教育
 昨日、2男家族は2男の高校時代の担任の先生にあってきました。高校卒業してもう40年になります。
 先生は担任であるとともに部活の指導教師でもあり、つながりは深かったと思います。指導教科は英語。

 当時の高校荒れていました。フラフラし、学習意欲のなかい生徒が多かったように思います。夏休み前の三者面談で先生曰く:彼は英語の成績が悪くて3なんです。あら3ですか。3は普通ですよね。普通なら良かった。上出来ですと私は言ったのでした。呆れたような顔で先生は独り言のように私が鍛えてやると言いました。
 2学期から先生は詩を暗記すると言う宿題を出すようになりました。誰も暗記してこなかったようです。息子は出席簿の一番でした。先生は覚えてきたものは?と聞いたのちにだれも答えないと’ハイ、出席簿一番!’と息子を指名する。1週間後と思っていたのに飛んで2週間後になったりし、一度暗記したのに忘れたりする。何だ2週間あったのに覚えられなかったのかと先生が言う。その度に息子は’あいつは僕をターゲットにして!’と言いながら反抗的ながら宿題をこなしていました。

 多分そのおかげだと思います。今は英語を使ってビジネスをして、生活の糧を得ているのです。多分息子も先生の意図したことを理解しているから会いに行ったのでしょう。人のつながりとは不思議なものと感じます。

 孫のEは’先生の英語はとても綺麗だった!’と言っていました。
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田んぼと映画

2023-11-05 11:00:16 | 福祉と教育
ブログも休みだすと休みが延々と続く。書きたいことがないのではなくどれを書いたらいいかと言うほどに書きたいことがあったのだけれど。孫の学校は1週間の休校になった。突然のお休みは大変だろうとお見舞いにに行ったり大忙しでした。
 世界が目まぐるしいと言うか、憤りをを禁じ得ない戦争が続く。ハマスが悪いと思うけれどイスラエルが良いのかと言うとそんなことは無い。

 若い時にイスラエル建国の話を聞き。世界をさまよっていたユダヤ民族が安住の地を得たと拍手を送った。そんな私は間違っていたと思う。国家という形態を持たなかったかもしれないが、そこには数世紀にわたり住み着いていた民族、つまりパレスチナ人がいたのだから。

 大昔、自分たちが住んでいたからと言って現在住んでいる人たちを武力で追い払うことが正義だろうか!国家というものがなければ争いが起きないのだろうか。そんなことは無いだろう。もっと争いが激化しそうな気がする。
 

 NPO団体のハコベは横浜市の青葉区に田んぼと畑を借りています。今日、暗くなったらその田んぼで映画会が行われます。このことをもっと早くブロブに載せるべきだったと後悔しながら書いています。映画は神奈川県藤沢市にあるある障がい者通所施設のお話です。場所は下記のハコベのブログで見てください。
 11月23日には瀬谷駅から徒歩10分ほどのところにある、喫茶店:バス通りで上映するそうです。
 
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発達障害

2022-12-06 12:55:51 | 福祉と教育
 金曜日と土曜日の夜、発達障害を持っているという子ども達と親と指導者たちの番組を見てしまった。一人の子どもが言う、それは僕の個性の一つですと!
 親のひとりが言う、普通の子どもに育てようと努力した。その時指導者(?助言者)から子どもの好きなことをさせましょうと!と言われてショックでしたと。

 普通の子どもに育てたいと言いう気持ち私にもよくわかります。50年前自閉症などと言う考え方は一般的ではなかった。60年以上前の医学書には子どもの精神病という記述さえあったのです。

 学生時代’児童研究’という授業があって、それは90分授業だったと思うけれど自閉症児の観察とその行動をどう解釈するか議論する授業でした。ですから、10代の頃にすでに自閉症児について知っていました。
 二男は早産でした。母乳を吸えませんでした。4カ月たっても首は座っていないように見えました。医師は頭が多きいいだけだといったけれど声をかけても笑わなかった。自閉症?と疑った。何とか刺激を与えて表情を引き出そうと躍起になっていました。歩くのは普通だったけれど、動きが激しく多動に思えまた。しゃべりだしたらしゃべっているその言葉が私には理解できない速さでした。普通の子に育てるにはどうすればよいかと私は考えて行動したのでした。高校生になったその子が従姉に言うことには、僕の幼年時代は地獄だったと!姪は驚きあんなに心配かけていたのにと答えていました。

 普通の子にしようと強制するのを止めたのは、この子が小学生になった5月、障害を持つ幼児の保育の会のボランティア始めたことでした。知的障害のある子ども、身体的障害なる子ども、また重複した障害を持つ子ども。その子たちと接していると普通の生活とは何であるか考えさせられました。大切なのは基準がもわからい普通の生活を目指すことではなく、ひとりひとりの子どもにとってどんな生活が楽しく幸せな生活か考え、それを目指すことではないかと思うようになり、我が子の行動にも笑って対応できいるようになっていました。

 カナダにいる姉の孫娘は就学すると発達障害と言われました。(中断)

 私が彼女に出会ったのは小学校入学の数カ月前でした。トロントに宿泊した時、姪家族が夕食をごちそうすると言って宿へ訪ねてくれました。玄関先で、姪がGおばちゃんよと紹介すると彼女は別の方向へ駆け出して、前庭に咲く花々に挨拶を始めたのでした。そして、ひと通りあいさつし終えると私のところに駆け寄りハグしてこんにちわの挨拶をしてくれました。

 学校では友だちができなかったようです。受け持ちの先生が、この子の特性について子どもたちと話し合いしたいというのでお願いしたそうです。どんなことが話し合われたのかわかりませんが、子ども達も彼女の特性を理解し、個人のパーティを開いた時は必ず招待してくれるようになったそうです。
 長い夏休みには発達障害を持つ子どものための数週間の合宿があり、初めは家族と、そのうち一人で参加するようになったようです。周りの人たちの支えがあれば、それぞれ楽しく生活できるのだと思いました。

 先日と言ってもひと月以上前でしょうか、姪が彼女のことをフェースブックに書いていました。
 高校を卒業したそうです。数学と化学の成績は抜群に良かったそうです。本人は将来、化学を専攻したいと言っているそうです。姉にもそんな姿を見せてやりたかったです。

 普通という基準はないですよね。各個人、各家庭はそれぞれ違います。そして能力においてもみんな凸凹。
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学校の個別指導

2022-05-09 14:43:35 | 福祉と教育
 先日孫たちが家に来た時、日本語が理解できていないと感じるところがありました。しかし学校の対応の良さに驚くとともに感謝です。

 Mは5年生です。英語の授業が始まったそうです。彼は英語で簡単な”読む・書く・話す”はできます。授業はタブレットを使ってやっているけれど英語の時間はMにとってはつまらない退屈なものになっているそうです。学校では英語の時間にMには個別に国語の授業を行うことを提案してくれたそうです。

 また日本語を話さないTにも個別の国語の授業を行ったくれるそうです。
 いつからとはまだはっきりしていないようですが、本当に良かった。二人が飽きずに学校生活を楽しめることを願っています。
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保育とは?

2020-12-28 14:23:34 | 福祉と教育
 先日、友人の孫の通っている保育園の話を聞いて考えてしまった。

 3~4歳児は気まぐれで保育園生活も家庭での生活に影響されているから保育者の言葉がすぐに子どもたちに届くということは少ない。それをあの手この手を使って子どもとコミニケーションを取りながら、その成長を支えていくのが保育という仕事と思う。ですから、子どもが危険にさらされている時に’あぶない!’などと大声を出すこともあるし、集団保育では約束を守らないときに、諭したり、叱ったりもする。子どもの感性に即した指導ができるように学び、資格を得た人が保育士であると私は考えていたのですが!

 友人の息子の妻が保育園に用事があって早めに迎えに行ったら子どもが恐怖で泣き叫んでいたそうです。丁度お片付けの時間だったそうです。

 保育者はお片付けをしないと鬼が来ると子どもたちに’なまはげ’が怒鳴るような恐ろしい声をスマホのアプリを使って流して、聞かせおり、気の小さい子が泣き叫んでいたとか。

 自分は何もせず、アプリで子供を脅し、規律を守らせる。これが保育といえるのかと友人と話し合ったのでした。

 脅すのはアプリがしてくれるので保育者は自分が子どもを脅しているとは感じていなかったようです。親が脅し保育だと抗議したけれど、こんなアプリがあるのになぜ使ってダメなのか保育者には理解できなかったとか。保育についての話し合いは今後続くそうですが!

 しつけはアプリに任せるという保育をする保育者を私は専門家とは認めたくはない。しかし、アプリ使用が当たり前の若い父母にとってこれは当たり前のことなのでしょうか?‼
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ラオスの子ども通信:2020

2020-12-04 08:49:39 | 福祉と教育
 昨日、ラオスの子ども通信を頂いた。冬募金をしているそうなので少し紹介することにしました。かいつまんで書くこともできますが、写真で見ていただいた方がいいかなと思って写真を撮りました。絵本出版の募金をしているそうです。   




 文字が小さいので拡大してみましたがうまくゆきません。
ごめんなさい!


寄付用口座番号等です。
よろしくお願いします。

 
面白い記事がありました。
ラオスでは学校に売店があり、昼食だけでなくスナック菓子なども売っているそうです。
経営者は教師の家族などだそうです。


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興味と手助け

2020-10-18 14:06:28 | 福祉と教育
みーくんのあゆみ(小2前期)

 みーくんの成績票を読んで呼び覚まされた記憶です。
 70年前の記憶です。小学5年生の時、組替えがあり、担任は大学新卒の先生になりました。父子家庭でした。奉天で生まれ、小学生の時に母を亡くしたとか、学校から遠く離れた我が家にも時々顔を見せました。当時、私は不登校をどうにか卒業しようとしていたころでした。私が問題児だから先生が時々顔を出すのだと思っていましたが、高校生の頃、我が家に顔を出す女子教員、当時の担任の同僚によると、母が、彼の母親に似ているので、時々母に会いたくなってわが家を訪れていたそうです。

 クラスに学校にに来ると自分の席について動かない男の子がいました。みんなにトシと呼ばれていました。誰に何を言われても返事をしない、からかわれても無表情でした。みんながノート取っている時、トシもノート書いています。文字は書けるの?彼は前から2番目の席に座っていました。黒板に何か書かなければならなかった時、私はわざと彼の横を通りそのノートの覗きました。驚いたことに彼はただニョロニョロとミミズのような線を書いていたのでした。

 昔は長期休暇、夏休み・冬休みなどは教師が日直・宿直をしていました。兄が農民になって3年でした。彼は農業雑誌を頼りに農業をしていました。スイカなどは大きくて美味しいけれど、農村では売ることもでない時代でした。今日は先生が当直だからスイカを持って行くように言われ大きなスイカを下げ、3キロの道を歩き学校へ。先生は校庭でトシと遊んでいました。母の話によると先生は、自分が当直の日には必ずトシを呼んで過ごしていることでした。

 6年生になって掃除当番の班がトシと一緒になりました。いつも一人で座っていたトシはすごい働き者になっていました。男の子たちは箒を振りましわし、チャンバラごっこをして働かないのに、トシは机を寄せ、掃き、床拭き、教室が2階でしたから、汚れた水を替えるのも厭わず、階下へ。ある時、なぜだか、私にノートを見せました。驚いたことに表紙に”ふじわら としあき”と書いていありました。中学でのトシの記憶はありません。村には小学校が3校ありましたから、生徒数は増えました。多分トシは彼には彼なりの仲間ができて、人目に付くほど独りぼっちということは無くなっていたのだろうと思います。

 1991年11月頃、カナダ・ナィアガラフォールスにいる姉から電話がありました。往復5万円の航空券が手に入るから遊びに来ないかと。姉が、家族が誰も私の生活を見に来てっくれないと嘆いていたので、行って見ることにしました。
 12月下旬、冬のことですから、観光などありませんが、1週間滞在の中に、姪と甥のハンガリーダンスダンス発表会、日系人の老人ホーム訪問(猛吹雪に襲われてゆけませんでした)とか計画が入っていました。
 ナィアガラフォールスのデイケア見学も組んでいてくれました。その日は雪も小降りで訪問できできました。広い部屋で利用者は30人ぐらいだったでしょうか。いろいろな指導を見せてもらいました。

 例えば生活習慣・身だしなみ。映像を使っていました。モデルは利用者です。間違っている子がいると;ビルおかしい!靴下がはけていない、シャツがズボンから出ているなど大騒ぎ。その後、身だしなみを整えたビルの映像。みんな嬉しそうにうなずいていました。

 手作りの枠に同じ形を探して埋め込んでいる者たち、立体的なもので同じことを者たち、造花を作っている者等々。造花は注文の売り物。できる子もできない子も同じ部屋で、他の人から学べることもあるでしょう。

 台所で二人の女性がラザニアを作っていました。彼等も利用者だそうです。月に1度地域の代表者たちの会(日本でいえば自治会の役員会)があり、30人ほど集まるのだそうです。夕食会を兼ねていて料理のできる利用者が調理し提供しているということでした。

 別のちいさな部屋にはパソコンが2台あり、青年が2人座っていました。一人は算数の学習。息子たちが小学1年の時にした、5跳びの数字を空白に入れていました。
 もう一人はダウン症の青年で、国語の勉強。前置詞が空白の四角になっていて、文を読んでそこに前置詞を入れていました。
 キーを押すだけで答えを書き込めるパソコンを使えば文字を書くのが苦手な人でも学習が楽しめるということに感動しました。多分、ゲーム感覚で楽しんでいるうちに知識も吸収していたのでしょう! 当時、私はまだパソコンを持っていませんでしたのでとても羨ましかったです。

 いろんな教材も役に立ててと渡してくれました。身近なものの絵に文字を入れたもの、例えば本の、下にbookの文字。A4の厚紙の左デイケアですべきこと。下に時間。すべきことの横には時間と平行にマジックテープが張ってあり、朝そこに自分のその日の予定を張り付けるものなど。何種類か頂きましたが、終活の片付けのさい昨年処分してしまいました。残っていいるのは食べ物の名前を教えるのに使っている絵札だけです。確か、日本のかるたのようなやり方だったと思います。




 これが残っているのはエスペラント学習のさい初心者用ゲームに使えるからと思ったので、同じ大きさの紙に張り付けました。数えてみたら58枚ありました。

 最後に案内してくださったチーフの言葉です。私たちはこの子たちが成長しているし、成長し続けると信じている。個性を見つけて伸ばし続ける!
 私は全く英語が話せません。すべて姉の通訳による理解です。
 
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遊び【追記あり】

2020-08-29 12:17:58 | 福祉と教育
 先ほど息子が録画をしていたNHKの番組’遊びの科科学’を見た。すごく面白かった。私の中で育った。息子達も遊びを中心に教育した。子どもが遊びの中から体験から得られるものは大きいと思っている。危険と思えるほどの冒険は理性的判断力を養うらしい。
 動物も遊びをする。動物も人間も遊んでいる時は前頭葉の同じ部分が活性化しているという。爬虫類も蜘蛛の中にも遊びをする種がいるという映像には初めて見たが楽しかった。


 遊びとは直接生活に役立つものではないらしい。そして同じことを繰り返す。動物の子どものじゃれあいも遊びで、その中で他者とのかかわりあい方を学ぶという。

 自閉症児の常道行動は遊びなのだろうか、何かの意思表示なのだろうか。それとも意味のない動きなのだろうか。
 むかし、訓連会と称して広い講堂を使っての保育会に参加していたことがあった。家では休まず数時間飛び跳ねる子どもの母親の悩みを聞いたことがある。1階に住んでいるのに、2階の住民から苦情が来ることあると悩んでしました。訓練会ではそんなことは無かった。
 ドアが開くと飛び出す子もいた。ドアに鍵がかかっているわけではないけれど保育者の誰かがドアに気を配っている時は飛び出さない、が、一瞬7~8人いる保育者が全員ドアの存在を忘れる時がある。その一瞬のスキをついて飛び出すのでした。それは周りをしっかりと見ている、あるいは感じているということでしょう。
 学童保育時代。木に登りたがる子がいました。決して降りようとしない。毎日子どもとの攻防戦が続く。他の子はその枝細いとか、そんな高いところから落ちたらケガをするとか説明するとそれ相応の対応した行動をとる。だが、彼にはこちらの説明が届いているのかわからない。母親には長ズボンをはかせてといったけれど、まるで学習院の制服のような半ズボンでやってくるのでした。抱き下ろすことはできないから、ある程度木に登ったところで足を引っ張ると、木の皮で皮膚がすれる。傷ができたと母親は不満そう。命と傷とどっちを取る?傷が嫌なら長ズボン!と譲歩させたり。

 どなたか閉症児と遊びについて研究してくれるといいけれど!

 今日は内容が少しずれているようです。最近訪問し始めた自閉症児を持つお母さんの記事が胸に刺さります。
 他人の子も自分の子も遊び中心に生活させようと思ったけど・・・。

 【追記】 
 先ほど録画しておいた
兄と奏でるノクターン
発達障害 家族の情景

2020年8月18日放送
音楽の才能を開花させていく発達障害の兄・ソンホ。母親はソンホにつきっきりで、弟ギョンギは疎外感を感じていた。仕事もうまくいかず、兄を馬鹿にし、母親には暴言…。しかし、母の代わりに兄のロシアへの演奏旅行に同行することに…。少しずつ変化していく兄弟の関係を、カメラは丁寧に映し出していく。 原題:Nocturne(韓国 2019年)2019年 韓国 Media Namu制作


を見ました。散文的なドキュメンタリーです。発達障害の長男を音楽家として育てた母と二男の葛藤が伺えます。障害を理解することは障害者が親族にいない人には難しいとは思うのですが、こういうドキュメンタリーも見てほしいと思いました。積極的に手助けをするのは難しいですが、消極的であっても見守ることは誰にでもできるのではないでしょうか。

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ゲーム

2019-11-24 08:37:43 | 福祉と教育

 22日、Ⅿの8歳の誕生日を祝いました。久しぶりに遊び相手をしました。彼はゲームをしようと紙と鉛筆を用意しました。鉛筆に枠を書き、3個連続の場所と占めたら勝なのだそうです。初めの勝負はⅯの勝でしたが2度目3度目は私の勝、次からは勝負がつつかず、彼は自分が勝てないので頭を傾げながらもこの遊びは終わりました。おばあちゃんは子どもの時から五目並べが強いのよ、Ⅿはまだまだ勝ち目がないよと私は一言!

 子どもと遊ぶ時は手を抜かないが私のが信条です。いつも勝っていたら子どもの考える力を奪うことになります。ただ、体を使う遊びの時はちょっぴり力抜き、もう少し頑張れば、私に勝てるだろうという気持ちを抱かせるように心がけています。

 Ⅿの話では現在は小学1年生の時から学校でパソコンをしているそうです。2年生の今はパソコンでゲームを作ったり、絵を描いたりしているとか。今、クラスで本を作っているそうです。とても楽しいそうに話していました。

 私が小学2年生の時とは比較になりません。私は昭和21年(1946年)小学校に入学しました。教科書さえありませんでした。多分田舎の子たちはノートも持っていなかったでしょう。2年生の時の記憶です。薄茶色のざらざらわら半紙の4分の1を渡され、それに折り目を付けて作文を書いた覚えがあります。鉛筆の芯は固く折れやすく、強く書くと紙が破けてしまうのです。また、ほとんどの子がクレヨンを持っていなかったのでしょう。校庭に落ちていた落ち葉を拾い、紙に貼り付けて絵を描くということしました。先生は二人机の真ん中の上部に小さな紙を置き、その上にノリを置いてゆきました。多分このノリは小麦粉で作ったものだったのでしょう。乾くと落ち葉は剥がれ落ちてしまうので、私は絵にするどころか、落ち葉さえ紙に貼れませんでした。とても悲しかったことを記憶しています。72年前の記憶です。 

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多言語

2019-11-06 20:08:15 | 福祉と教育

 言葉に興味ある方にお勧めしたい講演です。弱音は吐きたくありませんが、次第に外出が億劫になっています。多文化に興味ある方是非参加してください。

 トニーさのん息子さんにあったことがあります。横浜のユースホステルで日韓の青年エスランティストたちがセミナーを開いた時に人手が足りないと言われ手伝いに行きました。その時、トニーさんが子連れで参加していました。息子さんは3歳と言っていました。あれからもう10年も過ぎたのですね。

 その後、このセミナーに中国が参加し日韓中の3か国セミナーに発展し、私の記憶が正しけれその後、ベトナムも参加し、その他の国の若者も集える場所になった様な気がします。若者が集えるとは羨ましい限りです。私がエスペラントを始めたころは1米ドル360円に固定されていました。大学出の初任給は7000~8000円ほど。ニュージランドのエスペランティストが福祉を学ぶなら学費・生活費の面倒は見ると言っているから行かないかと言われました。航空券100、000円は自己負担といわれ、諦めました。多文化からまた話がそれました。

 

11-10 (日) 慶応大学日吉にて。
題名:講演と対談「多言語・多文化共生とは?」
主催:日本外国語教育推進機構(JACTFL)
共催:慶應義塾大学外国語教育研究センター
日時: 2019年11月10日(日)14:00-17:00(13:00開場)
講師:トニー・ラズロ氏、ハルペン・ジャック(春遍雀來)氏
題名:講演と対談「多言語・多文化共生とは?」
会場: 慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎大会議室
参加費:無料
定員:100名(先着順)
申込:http://bit.ly/30UxXpg
#多文化共生 #多言語教育 #ダーリンは外国人
詳細:
ポリグロット(多言語話者)としても著名なお二人の講師を招き、多文化共生や多言語学習をテーマにお話を伺います。
●トニー・ラズロさん(フリージャーナリスト)
「多言語多文化共生の日常― 我が家の場合」
ハンガリー人の父とイタリア人の母の間に生まれ米国で育ったトニーさんは、自他ともに認める語学好きでポリグロット。1985年より日本を拠点として、ライター活動開始。小栗左多里さんの漫画『ダーリンは外国人』シリーズのダーリンとしても人気を博している。中学生になった息子さんを含めトニーさんのご一家は、日常生活が多言語・多文化そのもの。身近なところから話題にしていただき、多言語
多文化共生とはどういうことか、私たちはどう受け止め対応していけば良いのか考えるきっかけにしていきたいと思います。

ハルペン・ジャック(春遍雀來)さん 日中韓辭典研究所(CJKI)取締役社長
「多言語がつくる豊かな人生― 多言語学習の秘訣」
ドイツ生まれのユダヤ人。イスラエル、フランス、ブラジル、
アメリカ、日本の6カ国に移り住み、英・日・ヘブライ、イディッシュ・葡・西・独・中を始めとする15カ国語を習得した。イスラエルのキブツで出会った「漢字」に魅了され、漢字の謎を解くべく家族と共に1973年に来日。以来日本に在住し現在に至る。その間に漢字を体系的に学ぶ方法を考案
、外国人向けに『新漢英字典』(研究社)や『講談社漢英学習字典』、『漢字学習辞典エスペラント語版』(日本エスペラント協会)を編纂。国内外で数多くの講演、論文発表、執筆活動を行う一方、趣味である一輪車の普及にも貢献し、日本一輪車協会の常務理事を務めた他、国際一輪車連盟の創設者でもある。
ーーーーーーーー
11/10 14:00~17:00 慶應義塾大学(日吉)
14:00 開会
14:05~14:55  トニー・ラズロさん
14:55~15:05  質疑応答
15:05~15:55  ハルペン・ジャックさん
15:55~16:00  質疑応答
休憩
16:10~16:40  対談
16:40~17:00  質疑応答 

 
 
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’すずちゃんののうみそ’翻訳顛末記

2019-09-13 08:27:31 | 福祉と教育

 ’すずちゃんののうみそ’をエスペラント訳したいと思ったのが5月。足の小手術をしたので着手したのは五月半ばでした。8月翻訳し終えました。著者:竹山美奈子さんのすずちゃんへの思い、障害とは何かまだ理解していない方々に、障害について理解してほしいという願いをうまく表現できているだろうか。ふと不安になります。エスペラントの文法的誤りはないか、特に付録の部分ですが、わかりやすく翻訳できているかをも含めて、助言が欲しいと信頼できる方に原稿を送りました。10月12~14日は埼玉で日本エスペラント大会が開催されます。その準備作業を引き受けているそうで、原稿の点検は遅くなるとのことでした。自由に使ってよいとおっしゃた岩崎書店の係の方にもネットに公表で来たらお知らせしようと思っています。

 蛇足ですが、エスペラント大会の中日、10月13日には無料のプログラムがいっぱいです。最寄りの駅はJR浦和駅がですので交通の便もいいです。興味のある方はぜひお越しください。

 会場:〒330-8518 埼玉県さいたま市浦和区高砂3-1-4 埼玉会館

09:30~16:30 エスペラントを楽しむ部屋、若者番組、
09:30~12:00 一般公開講演会
13:30~16:20 公開シンポジウム


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処分を決めた写真

2019-05-28 09:15:37 | 福祉と教育

 

 最近、昔の写真を私の死後捨てる箱に入れたとこのブログに書きました。その写真にはボランティアだけでなく障害を持つ子・その親・兄姉も映っているので公開するのはふさわしくないと思ったのでした。 でもまた取り出しました。きっかけは’すずちゃんののうみそ’という絵本と出会ったことでした。

 この本は作者竹山美奈子さんが娘さんの日常をテーマに自閉症とはどんなものかを子どもにもわかるように説明している絵本です。(岩崎書店、定価1600円 書店には並んでいませんでしたの私は注文して買いました。)

https://takesuzu.exblog.jp/ すずちゃんのブログ


 長男が小学校2年生の4月PTAの会合で、横浜の戸塚区で障害児の訓練会が作られそれに参加するので役員は引き受けられないという人に出会いました。彼女はある大学の児童科出身で福祉を専攻していました。私も児童福祉科専攻、それに2男を早産しました。彼は母乳も吸えず、乳児期には反応がなく、歩きだしたら多動になり果たして正常に育つかどうか不安になり、当時出版された’正常児’という本を買って調べたりしました。私のそんな子育て経験を活かしたいと彼女に頼み込み、下の子を連れて会に参加しました。駅までバス、電車を乗り換えて。上の子たちはまだ小学低学年。上の子どもたちの世話はアパートの隣人たちが協力してくれました。

 もう46年も前のことです。記録をとっていないので参加した子どもの人数など覚えていません。最初の子どもが何人でボランティアが幾人いたかも覚えていませんが、私が辞めるころには、福祉専攻した者3人、保育所勤務経験のある保育士2名、学生2名、いわゆる専業主婦の方5~6名、数年後には別の場所を見つけて会も週2回に増えていました。

 これらの多人数をまとめ上げ、それぞれの生活経験を発揮させた保育者のまとめ役(チーフ)は素晴らしい人でした。穏やかで活動的で、保育者と子どもとその親たちの気持ちを即座にくみ取れるような人で、共に育て、共に働くとはどういうことなのかこの7年間で一生役に立つ経験を私はさせてもらいました。学費を払って大学の授業を受けても決して得ることのできない経験でした。ボランティアは報酬があるのとよく聞かれます。参加するときはもちろん出費覚悟でした。隣の市から通う私には交通費には足りませんでしたが、親の方たちはお礼として500円出してくれました。数年後、寄付金とか、助成金とかが出るようになり、交通を上回る額になった記憶があります。

 訓練会というと何をするのかと疑問に持つ方もいるでしょう。障害を持つ子は成長に時間がかかります。外出もままならないことがあります。当時は幼稚園、保育所で受け入れて貰らえませんでした。家族以外の人と接する機会がないので生活経験も少かったのです。生活経験を増やしてやること、また、生活経験を増やせる場に出てゆけるように自信をつけてやること。それが訓練の目的ですから当然楽しく遊ぶことが主な訓練です。他の子と遊べるようになって、幼稚園に受け入れて貰えた子が出た時、私たちは本当に喜びました。

 下記に紹介する写真は1973年~79年にかけての一部で、詳しい年は覚えていません。親たちの多くはもう70代でしょう。子どもたちも50歳前後です。写真の姿から現在の容姿を想像し、個人を特定することはでいないでしょうし、もし特定できたとしても当時の子どもたちの生活の一部を知ってもらうためなら許してくれでしょう。プライバシー侵害と抗議がきたらその時に写真を削除してもよいと考えました。

  

 

子どもは遊びで育つ

母親たちは子どもを保育者に子どもを託して学習したり、子どもが遊ぶ姿を眺めて楽しげにおしゃべりをしたり。

餅つきも楽しかった!

 

フラワーセンターへの遠足

十数年後、高校生になったこの男の子は作業所の集まりに参加して、私を見つけると走ってきました。

 

夏は合宿もしました。

水に入りたいが海は怖い。でも好奇心の方が強かったようです。

 

合宿にはボランティアの子どもたち、訓練会に参加している障害児の姉妹や兄弟も参加しました。


  1991年世界エスペラント大会はノルウェーのベルゲンで開催されました。初めての一人旅でオスロが首都になる前にノルウェーの首都だったというコングスベルグのエスペランティスト訪ね、当地のディーケア(日中の家庭:Tagohejmoと呼んでいました)を見学していました。自閉症の幼児が散歩から帰ってきたところに出会いました。帰るとその子は床に置かれたマットに横になりました。カーテンが天井からつるされていて、小さな三角形のテントになるのです。そしてテントの上からはその子の愛用のおもちゃがいくつかぶら下がっていました。そこは彼専用の休憩場所でした。散歩の付き添いは二人。ひとりはまだ小型化されない大きなビデオカメラを担いでいました。職員会議でビデオを職員全員で見て子どもの発達状態、その後の処遇について話し合うのだということでした。もっと知恵のある子には朝、来所した時に自分のカード自分の予定を張り付けるなどさせていました。(マジックテープのついたA4のこの予定表は先日処分してしまいました。)

 その後スウェーデンのへルシンボリのエスペランティストを訪ね、作業所やグループホームを見学しました。私は私に作業所づくりに手を貸してと仕事を持ってきてくれた方の仕事場を見学させてもらったことがあります。そこにはグループホームが併設されていましたが、利用者は6畳間に二人でした。土地が広いとはいえ部屋の広さは驚きでした。一つのグルーホームは広い庭を持っていました。もう一つは町の中の集合住宅の2階でした。自立し、アパート住まいをする準備としてホーム内で調理できる台所もありました。(話は飛びますが、2003年スウェーデン・エーテボリで行われた世界大会の時はコングスベルグの世話人のガールフレンドのところに宿泊しました。その時彼女は87歳だったでしょうか。老人用アパートで暮らしていました。しかしそこには数名の学生が住んでいました。もしの災害が起きた時に弱者を手助けできる体制が整っているのでした。)また、ヴァシュテラスに住む、重度の障害児を持つエスペランティストが来たらどんな生活をしているか家を見せてあげるというのでヴァシュテラスへも。

 時々感じるのです。もっと知識があったら幼児期にいろんな経験をさせてあげられたのではないか。その子たちが大人になった時現在よりも、もっと豊かな心で暮らせる下地を作る手助けができたのではないかと。


 1990年11月末、カナダにいる姉から仕事の関係で凄く格安い航空券が手に入る、私の生活を見に来て!と電話があり。休暇をとって1週間だけでしたが、冬のカナダへ出かけました。姉は自分が住んでいるナイアガラフォールスの作業所を見学できるように準備していました

 その作業所では身だしなみを教えるのは言葉ではなく、たとえばシャツをはみ出したり、靴下がきちんとなっていないというような写真を画面に映しまう。モデルはそこに通っている利用者たちでした。それを見てみんなは可笑しなところを話し合い、最後にきちんとした身だしなみ同じ利用者が映し出されます、するとわいわい言っていた利用者もイエス!イエス!と満足するのでした。作業所ですが学習も継続していました。一人は文字が書けないと言っていました。パソコンを操り、国語の問題を解いていました。質問を読み、イエスかノーの枠にチェックを入れるのです。文字は書けないけれど読むことはできるのです。もう一人は隣で算数をしていました。日本でも小学一年生が5飛びの数を枠に入れるとか学習します。パソコンで枠に数字を入れていました。一人につき週に2回ほど学習指導をしているということでした。学習指導の一つとして物の名前を教えるカードがあり、それをお土産にといただきました。私の作業所にはそれほど重度の利用者がいませんでしたので、エスペラントの会話練習にでも使えないかと考えて今でも持っています。

 またここでは造花を作ったり料理をしたりもしていました。ライオンズクラブの会合が夕食付で月に1回開かれるのだそうです。夜になるのですが、料理・配膳・後片付けも利用者が中心でやっているそうです。私が訪問したのは午後早い時間でしたが、会合の開かれる日に当たり、数人が準備に取り掛かっていました。

 付記

 カナダでの指導員が作業所で青年に国語・算数を教えていることに驚いた私に言った言葉を付け加えます。この人たちは成長は遅いけれど確実に成長しています。成長し続ける限り、私たちは手助けし続けます!

 姉の疑問:日本に落第という制度がどうしてないのだろう。カナダの小学校では、1年生のクラスに6年間在籍する子はいる。1年生の勉強を6年間繰り返し卒業する子もいる。たからといって誰も差別しないのに。学習能力でクラス分けされていたら特殊学級(現在の特別支援学級)は、いらないかも知れないのに!


 パソコン不慣れです。写真を取り入れたり、どこに入ったかわからなかったりと苦心しました。時間を費やしました。伝えたいことは沢山あったのですが、まとめるのが難しく、これでやめます。この長文を読んでくださったかた、ご苦労さまでした。感謝します。

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Iu projekto: ある企画

2018-01-06 12:33:36 | 福祉と教育
Mi ricevis prospekton de amikino en zamenhofa festo. En ĝi estis iu projeto;
Suda filio de societo instigo por egala genro en urbo Jokohamao havas projekton por helpi virinojn, kiuj hezitas labori kaj vivas solaj. Ĝi donas scion kaj sperton al indivduo de tiuj virinoj en praktika laboro. Por tiu projeto oni bezonas monon. Ĝi kolektas malnovajn librojn kaj vendinte ilin akiris financon de la projekto. Kiam vi havas librojn, kiujn vi jam nelegas, bonvolu kontribi ilin al ĝi por tiu projekton.


* * *

ザメンホフ祭の時に友人からパンフレットを貰いました。そこにはある企画がありました。
 横浜の男女参画推進協会の南支部が働けずにいる単身の女性を助ける企画を行っていると云うことです。協会は個人に知識を与え、実際に労働経験をさせます。ですが、そのためにはお金が必要です。協会は古本を集めて売ったお金を資金にしています。あなたがもうもう読まない本を持っているようでしたらそれを寄付してください。

 詳細は:http://www.women.city.yokohama-jp/find-c/-mimami/
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ドイツの子ども

2017-04-19 07:48:47 | 福祉と教育
 息子からEとHのスケートの写真と先日の日曜日のマラソンの写真が送られてきました。アイパットで取ったという写真を私は取り出してここに載せる技術がありませんので、残念ながらブログには載せることができません。

 先週月曜日に子どもの日用のおやつを送ったとと云うお知らせメールを出しました。その返事にあったのですが:
 Eは今年5年生です。ドイツでは5年生の成績で7年生、つまり行く中学が決まってしまうのだそうです。成績が良ければギムナジューム、そうでなければ普通中学に行くことになるということです。つまり、大学進学などの可能性がが5年生の成績の良し悪しで決まってしまうということです。
 Eも勉強頑張っていますと云うことでした。ただ生活を楽しんでいるわけではないようですが、小学5年生で将来が制限されるのもつらいですね。中学校、高等学校に入ってから伸びる、大器晩成型の子どももいるのにです。
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姉からメール

2017-04-14 06:45:25 | 福祉と教育
 姉からメールがありました。5月に施設から帰宅するそうです。息子がヘルパーさんなどの支援体制を整えたようです。良かった!良かった!
 どんな支援体制を整えたのかは電話一本で分かることですが、それもやめておきます。病院を退院する時に、家政婦を頼んでも自宅へと云った私の考えは的を得たものだったと感じてはいます。が、この2カ月の施設体験は彼女の今後の生活に良い影響を及ぼすと思っています。

 自立心の強い人はやはり、医療介護が必用になるまでは自立して生活できる環境を整えた方が良いと私は思っています。私もそうするつもりです。
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