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生きること:過去と未来とエスペラントと

働かなくっちゃ!

2008-09-28 09:49:19 | エスペラント
 もうすぐ日本エスペラント大会です。
 イタリアから友人が来ます。日本人は親切ですから空港へ迎いに行くのがあたりまえと思っている節があります。でも私はそこまでする必要はないと思っています。
 しかし、知らない土地でお金を両替したり、切符を買ったりするのは結構大変です。そんなわけで大概リムジンバスの切符を買って送ります。切符を見せればインフォメーションではどこへ行きたいかがわかりますから。

 今回も切符を買って送ることにしライフデザインフェアの終わった後で買いにゆきました。ところが切符売場ではもう売らないことにしたというのです。

 'どうしよう!'

 別の職員が大手の旅行会社で買えると思うと教えてくれたので、駅ビルにある旅行会社を数件探して訪ねましたがどこでも売っていませんでした。他のビルにJTBがあるとわかりましたが、日曜はお休みということでした。

 翌日、インターネットで探し電話するとお売りできますとの返事。火曜日は休日だったので水曜日医者の帰りに訪ねて切符を買いポストに投函しました。

 ここでは仕事に慣れていないと見える若者に便名を尋ねられました。到着時間はわかっていいても便名まで聞いていませんでした。
 "電話した時に言ってくれたら調べてから来たのに…"と文句をいう私。 先輩が休憩から帰ってくるまで1時間ほど待たされました。

 次からは使用者の名前だけでなく便名も確認して出掛けることにしましょう。

 八月中、体調が悪かったとはいえぐうたらと過ごしました。体の筋肉も落ちたようです。
 働かなくっちゃ!
 木曜日と金曜日にボランティア先に急に学校の訪問が入ったので知力体力を鍛えるべく出ることにしました。
 フランスから昔の知人でもあるエスペランティストが来ているとききました。元教師でしたのでもしかしたら子ども達の生活に興味を持ってもらえるかとよろしかったらとお知らせを入れました。本人が来る気になったのに、忙しさで一晩メールを確認しなかったため、彼女に来てもらえませんでした。誠に残念です。

 私がボランティアしているところの職員のほとんどが国際交流協会に所属しています。また。ボランティアの中には英語を話せる人が多くいます。
 私は直接エスペラントの宣伝をすることはしません。ですが、エスペランティストの訪問は、海外に興味を持っている人たちにエスペラントの存在をアピールする良い機会なのです。

 今度はだめでしたがまたの機会を待つことにします。それまで、また頑張って働き続けます。10年前、ボランティア登録したころと比べるとこの場所でのエスペラントの認知度は確実に高まっています。とにかく地道に行動するより道はないのです!
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ライフデザイン・フェア

2008-09-22 06:45:15 | エスペラント
 20・21日と市で行われたライフデザイン・フェア『55歳からの人生を考える』という展示会に私たちのエスペラントグループも参加したので、私も当番を引き受け参加しました。

 参加団体は市民活動グループと営業団体グループ(銀行・保険会社・食品会社等々)それは様々でした。

 エスペラントのブース訪問者も多様でした。『外国語なんて必要ない。僕はアメリカに行ったとき日本語だけで通した。通じたよ。』という人は例外として大まかに3グループに分けることもできると思います。

①エスペラントを知らず、純粋に好奇心で質問してくる、あるいは展示物を眺める人。

②エスペラントの知識があり、好意的に喋りに来る人。

③英語は勿論、いくつもの言葉を学習している・あるいは学習したいと考えているいる人。その多くは英語を国際語と考えている。

 たとえば英語とフランス語とイタリア語をやっている。もしやるとすれば今度は中国語だ。


 そのような人たちと話していてふと感じたのは、この人たちは自分の学んだ言葉を使いその言葉を話す人とコミニケィションを持った経験がどれだけあるのだろうかということでした。

 コミニケィションをとるということは自分の意思を相手にわからせるだけでも、相手の意思を理解するだけでもためなのです。話し合い、相互に理解合うことが必要なのです。

 多言語学習者の中に自分の学んだ言葉を使ってその言語の使用者と互いに理解しあう経験をしたたことがある人が少ないのではないか?

 自分の経験に照らしてエスペラントで相互理解ができるなんて信じられないのではないか?
 
 本当に素朴な疑問です。

 
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2008:夏10 返事に詰まったこと!

2008-09-14 09:29:33 | Weblog
 ブロッケン山への遠足の時、エスペラントセンターからHerzberg駅まで徒歩で20分強の距離にあります。車のある人が送ってくれることになりました。
 ハンガリー人シャンドルが私たちを送ってくれました。彼は時折Herzbergにやってきてジャン・カルロ同様にボランティアとしてセンターの仕事を手伝っているそうです。ハンガリーには息子家族もおり移住する気はないけれどなどと話していました。

 彼がいきなり質問しました。

 『日本では有名なエスペランティストたちは初心者や若い人の仲間には加わらにと聞いているけれど本当ですか。』

 『えっ!』意外な質問でした。シャンドルの質問の意図は?

  彼の質問は日本ではエスペランティスト同士の関係が平等でなく、上下関係にあると示唆しているように思えました。

 大会や会合の時にベテラン達がどうしているかなど一般人の私は興味もありませんでしたし、有名人に近づきたいという欲望を持ったことがないのです。
 

 ボルトンとかザレスキー・ザメンホフとか、エスペラント界で有名な人には人があまりいない時に出会うと挨拶します。
 が、日本人には目が合うと会釈して通るだけです。私の中のその違いはどこから来るのでしょう?
 
 私は日本のベテランたちが私たちを見下しているとは思いません。外国のベテランたちは家族・夫婦で一緒に歩いていることはあっても大抵単独行動です。
 でも、日本では会合その他の時にはベテランの周りには腹心らしき人が侍っていて近寄り難いことも事実です。
 

 『そうですね。ベテラン達はあまり若者と話しませんね。それに若者達も自分達だけで行動したいことが多いのではないかと私は思います。』

 『そうですか。若者たちが独自の行動をしたがるのはハンガリーでも同じです。それは世界共通なんでしょうね。』と彼は言いました。

 こんな質問をされたとき日本のエスペラント界の皆さんはどう答えるのでしょう?
 私の答えは正しかったのでしょうか?

 ふと、他の日本人エスペランティストの考えを知りたくなりました。
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2008:夏9 子どもの遊び

2008-09-11 10:22:30 | エスペラント
 鍾乳洞見学に行った時のこと、手遊びをしていることもたちと出会いました。日本でいう『セッセセ』です。私たちは『セッセッセノヨイヨイヨーイ』という掛け声と共に遊んだものでした。

 エン ヤパン エスタス これはドイツ語でもエスペラントでもない言葉です。でも日本ではという意味は十分に通じるのですから面白です。

 本当は『15夜さんの餅つきはトッテントッテントッテンタ・・・』をやりたかったのですが友人は全く調子が取れない、やむなく『夏も近づく八十八夜・・・』をやったのですが、友達がすぐにしくじるので子ども達は大笑いでした。
  
 遊びも言葉もどれほど理屈で理解していても使い慣れないと全く使えないということを証明しているようなものでした。

 子ども達は得意げにあちでもこっちでもやって見せてくれました。とても複雑なな手の動きでした。メローディも早かったです。

    
 日本のセッセセに似ていますが二人の手の動きが違います。

   
 ちょっとあち向けホイに似ていました。

 私が子ども達と遊んでいるうちに鍾乳洞の説明た終わってしまったと姉に叱られました。

 帰る時、子ども達はヤァーヤァーと手を振ってくれました。これも立派な国際交流です!!
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2008:夏8 Osterode(オステローデ)

2008-09-09 12:45:35 | エスペラント
 OsterodeはHerzbergに近い小さな町です。ドイツ固有の木組みの家で知られています。
 木組みの家は壁は昔の日本と同様捏ねた粘土にパイルを刻んで入れたのを使い表面に漆喰が塗ってあります。壁は古くなったら取り替えますが、自然素材なので地球にも優しいのです。ただ火に弱く火災には細心の注意を払っているようでした。各家の前には消火栓がありそれを使うとどの家が燃えているか町中に知らせるような防災体制をとっているということでした。十数年前火災があり数件焼けたそうです。そのような歴史も町の博物館にはきちんと展示されており、子ども達の防災教育に役立てているようでした。
この博物館には化石時代から現代にいたる様々な歴史や生活器具が展示されていました。
 入場料は2ユーロですがソフィアの交渉で各自自分の国語でサインするという条件で子供料金の1ユーロで入りました。多分私たちの文字も子ども達の教育に役立つのでしょう。

 Osterode駅を下りた時は野の真ん中に立ったような気分でした。でも、すぐ近くに広場があり市役所、広場を隔てた反対側に大学がありました。Herzbergのエスペラントセンターは管理費が少なく経営は大変なので、ソフィアはこの大学で英語を教え経営を支えているということです。
 緩やかな坂道の商店街を通り昔の城壁に沿ってOsterodeの丘に登りました。丘の上には古い井戸がありました昔、修道院があったそうです。歩きながら、ここを歩いた記憶があると感じました。

 なぜ?どうして?
 
 それは20年ほど前に読んだ物語の記憶でした。
Lasta infanoj de Oldrovalo(オルドロ谷の最後の子ども達)。日本語訳では『最後の子ども達』という題名でどこかの出版社から出ていたような気がします。

 核爆発があり、その混乱の中で成長してゆく子ども達の話です。帰国してから読み返しました。美しいOsterodeの記憶とと悲惨な物語の世界。平和ボケしている自分を強く感じました。
 つい最近のニュースでアメリカは核非拡散条約に参加していないインドに対し核関連物資の輸出を許可しました。北朝鮮は核施設の建設をまた始めました。ロシアは南オセチアの紛争(戦争というべきでしょうか?)でクラスター爆弾を使いました。私たちが気付かないうちに世界は虫食われ状態になっていて、崩壊の最中であることもありえるのです。
(また話がそれました。)



    
商店街入り口


 商店街


     
 木組みの家
     
 右の戸口が博物館入口

    
 車止めに乗る少年

  
     
 一つ場所に滞在しあちこち訪ねたいと思う方にドイツの滞在地としてHerzbergをお勧めします。とにかく宿泊費が安いです。私たちが止まったのは民宿で食事も自分で用意しますが、4つベットがあり、台所も広く食堂居間付きで1泊42ユーロでした。友人、あるは家族で滞在できます。大抵、週末にはエスペラントセンターは行事を組んでいるそうです。のんびりとこれに参加するのもよいと思います。何より、言葉が通じし、いざという時に力を貸してくれそうな人が近くにいるのは海外では子との安心感があります。

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2008:夏7 Bunta hundoオットー

2008-09-07 10:15:53 | エスペラント
 町を案内してくれた人の中に Bunta hundo(ブンタ・フンド)の異名を持つオットーもいました。ブチ犬とでも訳しましょうか。ブチ犬は街中どこでも知り合いと出くわす人を意味するのだそうです。

 まさにその通り城への散歩の時もいつ目的地へ着くのかと思うほどいろいろな人に声をかけたりかけられたり…。
 まず、エスペラントを学んでいる少年たち。その親。合唱隊の仲間。友好的ムスリム(イスラム教徒)を支えているグループの友人。ただの知人等々。

 城はヘルツベルグ・シュロス駅のすぐ近く、急な階段を上ったところにありました。城門の前にはここに城ができたことからあるという太い菩提樹が枝を広げています。ということは樹齢900年ぐらいでしょう!

 城は公開されていませんでした。オットーは開かれている扉を探し中に消えました。間もなくこの城の管理責任者を伴って戻ってきました。一般人は入れない塔に登らせてくれるといのです。
 木製の狭い階段を軋ませながら登ると塔の窓から3方が見渡せました。Herzb
ergは緑の丘に囲まれた小さな町でした。町はずれの湖までしっかりと眺めることができました。塔とほかの棟とは切り離されており、一度外に出た入りなおすとそこには昔の法廷などもありました。予算不足で修復がなかなか進まないと管理者は投げていました。

     
 少年たちとオットー

    
 菩提樹を眺める人たち

     
 塔への入り口

 ステラさんの写真のほうがきれいです!下記へ!
http://verdavojeto.bravejournal.com/
 9/3と9/4をご覧ください。
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2008:夏6 講演者たち

2008-09-02 08:58:20 | Weblog
 1週間滞中、遠足と講演が組み込まれていました。私は1晩だけ、ベルリンの息子の所にゆく予定にし、インターネットで切符を買ってもらっていました。プログラムの変更があり、切符も日時を変更できないといわれ欠席した講演もあったのでHerzbergでは遠足が主になりました。
 
 文化的催しの1部は下記のStelaさんのブログの8月4日分に写真がありますのでお訪ねください。雰囲気は味あえるかと思います。
http://verdavojeto.bravejournal.com/

 ブラウンシュベイクの遠足の帰り、電車の中で韓国のリーさんが言いました。今日こんな話をしようと思うけど…。同じことを彼は講演で話し、同じ内容を世界大会でもアジア運動の報告として話しました。
 何か報告しなければならない時私など書いた原稿を読んで頭に入れようとします。ですが、人に聞いてもらい練習するという方法もあったのだと改め思い起こしました。
 そういえば中学生の時県下の研究授業のとき喋らなければならず必死しに練習していたら、父が晩酌をしながら、そんな練習はだめだ、原稿を持たず立って話してみろと言われたことを思い出し、人を相手に話す大切さを改めて考えています。
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2008年夏5 Esperanto-urbo(エスペラント市)

2008-09-01 15:35:12 | エスペラント
 Herzbergは小さな町です。鉄道の駅は二つ。一つは中心街に近く城へ上る入り口にあります。その近くに大きなスーパーがあります。名はヘルツベルグ・シュロス。ホームが一つの単線でブラウンシュベイク行きの電車が1時間1本の割でとまります。スパーの前から徒歩10分ほどの所に今は無人となった大きな駅 ヘルツベルグ・アム・ハルツです。城の上からの写真です。シュロス駅から遠くに見える湖まで徒歩15分位。湖の近くにエスペラントセンターがあります。
   
 

   
 街探索の朝です。説明しているのがペトロです。

   
 所々にこのような看板がありました。また街には幾本かの水路があり、ビール堰などという名とともに名前の由来がドイツ語とエスペラントで表記してありました。

   
 なんと中心街から住宅地に入ろうとする真ん中にでんと構えているのがインフォメーションセンター。二人いる事務員の一人がエスペラントを学んでいて、ジャン・カルロと共に姉たちのベルリン行きの切符購入を手伝ってくれました。

   
 インフォメーション近くにある図書館の掲示板。エスペラントセンターで働く3人を中心にエスペラント表示を置くためにいかに努力しているかがうかがえます。
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