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生きること:過去と未来とエスペラントと

ゴーヤの話

2009-09-25 07:25:36 | 家族・友人・私
 今年もゴーヤを収穫しました。ゴーヤチャンプルだけでなく様々な食べ方を工夫したり、色々な人の話を聞きました。通りすがりの人からの話も有ります。その中から食べ方を少しみなさんにお伝えします。
 ゴーヤは必ず二つに割り中の種と白い部分をスプーンなどでとって調理します。

 1.ニンニクとゴーヤの甘味噌炒め。
 材料:ニンニクを適宜、ゴーヤ1本、みそ、みりん、削りカツオ節、油適宜。
 作り方、みじん切りにしたニンニクを油絵炒める。火にかけたままゴーヤを入れ混ぜ、みりんと味噌を入れ混ぜ合わせる。(好みで砂糖を使っても良い)水分が飛んだら鰹節を混ぜ、出来上がり。我が家は3gの袋入り2つ入れます。つぶした白ゴマを入れるとなお美味しいです。
 削り節を使わないで、ニンニクと肉を炒めてゴーヤを加えても良いと思います。

 2.サラダ風
 
 材料:玉ねぎ4分の1個、胡瓜1本、ゴーヤ1本
 作り方:全て薄切り。10分ほど水にさらし冷蔵庫で冷やしておく。食べる時鰹節と醤油をかけ混ぜる。
 好みでかんきつ類のしぼり汁をかける。友人に頂いたカボスをかけたのも美味しかったです。

 3.納豆に混ぜる
 
 材料:香味野菜(ねぎ、シソ、茗荷など)とゴーヤをみじん切りにし、適宜納豆に混ぜる。 
 これを教えてくれた人はみじん切りにしたゴーヤを冷凍にしてあり、いつも大匙1杯ぐらい混ぜると言っていました。

 4.ゴーヤカレー
   
 材料:我が家は野菜カレーなので材料は書きません。自分の家のカレーに炒めたゴーヤを入れてみてはいかがでしょう。その際トマトを入れてください。トマトとの相性は良いようです。私にゴーヤを押しつけられた友人は3本入れたら、流石に苦かったと言っていました。沢山あってもほどほどに!

 5.ゴーヤスパゲティ

 材料:ニンニク(1~数片)、コショウ少々、パプリカ半個、ゴーヤ1本、オリーブオイル適宜、トマト400g缶1個(4~5人前)
 ニンニクはみじん切り、ゴーヤとパプリカは薄切り。
 みじん切りニンニクをオリーブオイルで炒め、薄切りのゴーヤとパプリカを加えて軽く炒め、トマトを加える、コショウして煮立ててとろみがついたら出来上がり。
 缶詰トマトの代わりに生トマトを使うとおもっと美味しいです!

  6.傑作はドイツの友人から届いた『ゴーヤとバナナのミルクセーキ』

 材料:バナナ1本、ゴーヤ半分に割ったもの6~7センチ、はちみつ少々、牛乳200cc。レモンが入ればより美味しい!
 すべてを入れミキサーにかける。とろりとしたミルクセーキ
 
 レモンは薄切りにしてはちみつをかけて冷蔵庫で保管すればかなり長く保存できます。

 番外編
 初めゴーヤをもらうのを渋っていた姪も、最近喜んでもらってくれるようになりました。姪の友人(カンボジア人)の食べ方。
 1.種をくりぬいた所に肉をつめて煮る。
 2.種をくりぬいた所に味噌で味をつけた缶詰のツナをのせて食べる。
 
 ゴーヤは火を通せば通すほど苦くなるとその友人が教えてくれたそうです。ですから肉詰めのゴーヤはかなり苦いそうです。

 ゴーヤ保存の試み
 昨年、冷凍にしたら水分が霜になってしまいました。日に干し、水分を飛ばしてから冷凍したらどうでしょうか。最初に試みたのが、塩を加えた湯で湯がき生干しにし、冷凍することでした。それが下の写真です。

 その後、ドイツの友人の知らせでミルクセーキ用ゴーヤの保存を思い立ちました。これは生のまま一日日に干しました。計量したら元の三分の一の重さになっていました。量が減ったので我が家の小さな冷凍室でも何とか保存できそうです。また当分ミルクセーキが楽しめるでしょう!


 
8月29日収穫分


湯がいて4時間干したらこの量になりました。


土地が狭く南側の土地は巾1メートルほどしかありません。ゴーヤは一部は上に伸び、一部はフェンスを乗り越えて下の駐車場に垂れ下がりまました。土地が少なくても生えるという証明の写真です。
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童話:La tero, kiu volis forflugi

2009-09-23 10:42:53 | エスペラント
 La tero, kiu volis forflugi (飛び去りたかった地面)
著 :Demitrij Ŝevĉenko
挿絵:Anna Stringanova

Antaǔ kongreso (大会前旅行)参加者の中に若いロシア人が二人いました。二人はいつもビールらしき飲み物を携え、特に男性の方は声をかけにくいほどに暗い表情をしていました。数日後一人が声をかけていました。
『どうしていつもアルコールを飲んでいるの』
 彼は驚いたように答えました。
『えっ、これが普通のロシアの青年のスタイルです。』
 私も驚きました。ロシアの若者はいつもアルコールを飲んでいるのかと。そのあと参加者の一人ミッシェルが、夜に映写会をしたいと言い出しました。私たちは少々遅れて参加しました。それはいつのかわかりませんが、エスペラント青年大会のフィルムでした。画面に踊り楽しむ青年たちが現れるとその中に楽しげに踊るデミトリィもいました。翌日思わず声をかけました。
『昨日のフィルムの中であなたは楽ししそうに踊っていたわ。』
彼は照れたように笑っていました。
世界大会会場で彼らが本を売っていました。彼らの作品と示されたのが『La tero, kiu volis forflugi 』です。挿絵はアーニャです。本の横には草の実などでアーニャが作ったアートも展示されていました。挿絵に色が無いのが残念です。

さて、本題へ
この本の中には二つの童話が入って言います。童話といっても大人のためのお話です。
一つは『 La tero, kiu volis forflugi 』でありもう二つ目が『 Vojo laǔ maro 』です。なかなかに分かりにくい話でした。

『 La tero, kiu volis forflugi 』はこの世ができた時から生きている樫の木の立っている地面お話です。時間の流れの中ですべてが変化する。そしてこの土地も!そして樫の樹も去る時が来た。

 それを童話の形で表現したのでしょうか。

 『 Vojo laǔ maro 』は人は孤独であり、予期せぬことに出あいながら終わりが見えない時と云う道(人生)を進まねばならないことを主題にしているように感じます。感じますというのは私の感覚がそう感じたということで、他の人が別の解釈をする余地があるということです。ぜひ読んでほしいです。

 他の方々に読んでもらいたい、そしてその方々の意見を聞きたいと思う理由が他にもあります。合成語と文体です。
 特に文体ですが、雑誌KOMENCANTO を読んでいてロシア人の作品にみられる文型がこの中にもあるので引用しておきたいと思います。それは多分文を流ちょうに流すための手法ではないかと思います。確かにエスペラントは語順は自由です。と云っても技巧的にならずもっとわかりやすくかつ美しい文章を書いて欲しいです。そんな願いを込めてここに引用しました。
 また、PIVにしかないような詩のための特殊な単語が多用されていました。

p. 39-5 Ili ankoraǔ pri io parolis, nun jam en nur por ili komplenebla lingvo, poste….

p. 73-10 , kaj tie supre portis ĉiam proksime al la Vojo ekflamantajn per Elektra lumo ondojn.

p.88 Inga staris, fermetinte la okulojn kaj submeteinte la vizaĝon, jam sen tio ventharditan, al la helaj sunaj radioj.

        

 これはロシア人から聞いた話です。デミトリィの両親は出版社を経営しているそうです。この本は彼の2冊目の作品だそうです。一般人には自分の作品を出版する機会などなかなかありません。羨ましいです。
 日本の若いエスペランティストも自分の試みを世に問う機会があったら良いと思ってしまいました。

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どんなに会話が達者でも…!

2009-09-22 08:48:31 | エスペラント
 エスペラントが良くできて会話がどんなに達者でも友達になりたくないと思う人に時には出会います。

 ロッテルダム大会では自称日本語が得意と言うフランス系の女性に出会った。エスペラント大会なのに初心者の友人に耳障りな日本語で長々としゃべり、発音を教えてあげると言っては何度も訂正を繰り返していた。日本が好きとのことだった。でも、宿は提供したくないと感じました。

 今度も宿は提供したくないと思うフランス人と出会った。喋らせると止まらないのである。それだけではない、人が話していると横から茶々を入れてくる。どうやってアウシュヴィッツに行こうかと真剣に話している時にも横から下らない冗談を言うので、思わず、『私たちはいま真剣な話をしているの!口を出さないで!』と声を荒げてしまった。

 彼女に言わせると『フランス人にとっては2時間や3時間喋る続ける事など簡単な事』だと言う。だがフランス人が誰でもそうとは限ら無い。友人のベルナルドはフランス人であるがとつとつと話しますし、1昨年亡くなったモーリスはよく喋り冗談を言ったが、いつも優しい心遣いをしてくれました。

 人とは心で話すことを心がけ、自分勝手に喋りまくる人とはどんなに会話が達者でも気持ちがつながらないし、友達にはなりたくない!まあ、これが私の友人選びの最低条件でしょうか!
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国立オシフィエンチム博物館 元アウシュヴィッツ収容所

2009-09-21 13:57:42 | エスペラント
 アウシュヴィッツについて私が特別にかく事も無いように思いますが。しかし、強制収容所を訪ねると、現状に流され、平和から目をそらしそうになる自分の気持ちを引き締める事が出来ます。写真も専門家のものが素晴らしいに決まっています。しかしに現場に立つとそこに過って居たであろう人々の苦しみや悲しみを少しは想像できます。
 20数年でトレブリンカ・ダッハウ・ザクセンハウゼンと機会をとらえて訪れました。このような形で残っていなくても、中国や韓国も訪れたいと思うのですが怖気づいています。
 写真は私の心象風景と思ってください。
 

 クラコウから車を飛ばす。 


変哲もないのどかな田園地帯を約1時間半ひた走る。


 ビルケナウ:元アウシュヴィッツ2号収容所。入口から引き込み線に沿って歩いてみる事に。


15分ほど歩く。収容所の敷地の端には到達しそうもない。振り向くと通ってきた入口が遠くにありました。


 入口近くに在った監視所。


事務所のある建物から外を眺める。


ナチスはすべての施設を壊そうとしたが出来なかった。僅かに残された木造の建物。この中に寝所や集団トイレがある。


囚人の逃走を阻止するために柵には電流が走っていた。複数の電気線が有ったらしく錆びた大きなボルトが痛々しかった。 


寝所。一つの段にどれだけの数の人が横たわったのだろうか。


トイレ。なんという効率のよさ!内部は傾斜していて汚物を流すことができる。合理的に計算され尽くされている。


オシフィエンチム(アウシュヴィッツ第1収容所)。こちらはレンガ作りなので破壊できなかった。


 時間と体力ががなくなり、オシフィエンチムの方は1時間ほどの見学となった。ガス室内部は破壊されていた。これは裏側。


 見学時間は4時間余でした。休憩を取りながら歩き回らないと身体も精神も疲労します。行かれる方は1日費やするつもりで行かれると良いでしょう。二つの収容所の間は車で3分ほどです。バスが走っています。入場は無料。

 今年の夏はこれで十分と言う感じがし、エスペラント世界大会はのんびりと過ごしました。
 
 60歳代は体力があるうちに世界大会に参加し、エスペラントを楽しもうと思っていました。もう充分に楽しみました。これからはエスペラントで楽しむ別の方法がないかと思案中です。

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河童の手!

2009-09-20 09:36:55 | エスペラント
 河童の手と言う言葉をご存じの方も多いと思います。右手を伸ばすと左手が縮むのです。一つの事に熱中すると他の事が出来なくなる状態をいうのです。

 まさに河童の手状態でした。この旅で知り合った若者が書いた本を読んでいたのです。大人の童話ですが、彼がこの中で何を言いたかったのかがつかめなくて苦労しております。100ページほどの本です。本の紹介もしたいですが今日は7月22日の遠足の写真を紹介しましょう!


 ザコパーネに向かう途中、パウロ2世が説教した教会の前で記念写真をを撮ろうとしている仲間たち。教会の塔の上から写す。周りは広い広い原っぱです。


バスの窓から。冬はスキーができる事で有名な地方。なだらかな丘の景色が続く。



 ザコパーネの繁華街から少しはづれたところから見える山。この地の人々は『眠れる騎士の山』と呼ぶ。ポーランドに危機が迫ると騎士が目覚めて国を救うという伝説が有ります。向かって右手が頭です。


 細長い箱舟をつないだ筏に乗ろうとする仲間たち。右手の若者が私が読んでいる本の作者。(後10ページで終了!)指揮を取るのがローマン。ハリナはこの日疲れたと休みを取りました。


 クロアチアから来た少年少女たち。私たちの筏を追い越して行きました。対岸はスロバキアです。

     
 翌7月23日はとても暑かったです。保養所のある地区をハイキングする予定でした。私たちは翌日のアウシュヴィッツ行きに備え、休養を取る事にしました。実のところ毎日が休養だったのですが。

 玄関前では仲間たちがハイキングの案内人が来ないと騒いでいました。我れ関せず、のんびりと森を見ながら読書とお茶。

 夕方もおかしかった!
 夕食後、地元のエスペランティストとの交流が有ると盲人大会が開かれているホテルへバスで出かけました。地元の方々は飲み物やお菓子を準備し庭で待っていました。所が私たちは大会が反省会を行っている会場に案内され待たされました。

 いつ交流会が?

 そうこうするうちに、ハリナが、またバスが消えると困るので早くバスに乗りなさいと指示。交流会に参加することなく帰路に着きました。
 良く分からないのだけれど集まった皆さんには気の毒でした。私たちは世界大会に参加するので交流会はどうでもよかったのですが・・・。
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犬と云われて!

2009-09-08 08:38:42 | エスペラント
 火曜日(7月21日)は午後はバスで教会にヨアンナ(Joanna Albrziykowska)の歌を聞きに行き、夕方から演芸大会が行われたあの庭でバーベキューと言う事になっていました。

 バスを降りてただ仲間の後について歩いてゆくと盲人が二人戻ってきました。彼らが方向を間違えたのかと思い声をかけました。
 どこへ行くかわからないし、不安になったのでバスで待っているということでした。ここまで来てバスで待っているなんて…。
 それでは私と一緒にと、同行する事にしました。後で気がついたのですがハリナは私の数メートル先にいたのです。この人たちが、戻ってくるのに気付かぬはずは無かったのに目もくれないと言う事が私には驚きでした。

 二人はウクライナ人。女性の方は物の影が分かる程度に光を感じるが、男性は全く見えないと言うことです。
 盲人大会が終わったら、クラコウに1泊し、飛行機でウクライナに帰るのだそうです。彼女は私にクラコウの空港まで面倒を見てもらえないかと言いました。私は世界大会に行くので、クラコウには宿泊しないと話すと、誰かクラコウに行く人を知らないかと幾度も訊ねました。もちろん私にわかるはずもありません。

 彼女はエスペラントだけでなくロシア語も堪能だと言うことでした。しかし、それでも飛行機でやってきて現地で案内人を探すと言うのは、私の日本人的思考からすれば無謀です。
 教会の中で彼らの席とはかなり離れていて、列も違っていました。コンサート開始を待っていると彼らの声が聞こえてきました。

 『私たちの犬はクラコウに行かないんですって!・・・・』
 
 何の話かと思ったら、犬とは私の事でした。彼女達は私を単なる盲導犬とみていたのでしょうか。それとも盲人エスペラント界の同伴者を示す隠語なのか、あるいはウクライナの盲人社会だけの隠語なのか私にはわかりませんが、犬と表現されることに不快感を覚えました。プラハでウクライナのオレナが自分の娘を『私の犬』と私に紹介した時、家族だから冗談半分に言っているのだと思ったのでしたが・・・。

 帰りも同行しようと思っていたのですが、友人のPがやって来て自分達の方が慣れているからと二人を自分のグループに連れてゆきました。来る時、教会の前の大通りに出るまで、長い曲がりくねった階段を上りましたので、実のところホッとしました。


前日、大きな保養地クリニィッツァに行った時の写真。
ガイドとローマン。銅像はポーランドの山下清ともいえる放浪の画家。

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バスの運転手が消えた!

2009-09-07 09:29:14 | エスペラント
 日曜日、盲人大会の開かれているホテル(?)の庭でこの地方の音楽や踊りが披露されました。
 良くこれほどのグループを集めたと思えるくらい沢山のアマチュアのグループが集合しました。中には空手グループのアクロバット演技まで登場。

 ただ場所が狭く参加者は庭にもはみ出ますし、また、柱にさえぎられたりするので良く見えませんでしたが、出演者たちは本当に熱心でした。

 グループ紹介にetnaj popoloj (少数民族〈達〉)とありましたが私には村落はほどの違いにしかは見えませんでした。

 帰り、バスの所まで来ると運転手がおりません。運転手に連絡もつかず別のバスが来ました。この予期せぬで出来ごとにみなあきれ、笑いが止まりませんでした。仲間にマジシャンがいましたので、みんなで運転手を消したのは彼だと冗談を言い彼を褒め称えました。

 ところが火曜日の夜にはバスごと運転手も消えており、夜の事、ハリナは知り合いのタクシーを呼びました。
 ポーランドという国はとても不思議な国でした。


会場

運転手のいないバスに唖然としている仲間達 

 バスを待つ私たちの横で先ほど出演した女の子が着替えていました。写真を撮りたいと言ったらジーパンをはいたにもかかわらずポーズをとってくれました。


上着を脱ごうとしてちょっとためらい、待っている車の中で着替えました。年齢は12~3歳でしょうか、車に乗る時も手を振っていました。


朝、散歩をしていると朝もやの中を馬車が来ました。農夫でしょうか。



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温泉ジャクジー

2009-09-05 07:38:23 | エスペラント
 日曜の朝(19日)温泉治療を受けたい人は医師の診察を受けました。お医者さんはイタリア人。日本人の訪問は初めてだととても喜んでくれました。ぜひ日本の皆さんに宣伝して欲しいとも言っていました。通訳はローマン・ドブルジェンスキー。

 私が受ける事になった治療は36.5℃のお湯につかりジャクジーで全身マッサージする事。昨夕ハリナに抗議し、興奮したことが原因でしょうか今だかってないほど血圧が上がっていましたので、泳ぐことは禁じられていました。 

 水曜日は全日遠足でしたし、金曜日はクラコウに向かう日です。そんなわけでこの治療を受けたのは月・火・木の3日間でした。この治療は効果的で月曜日1回受けただけでドイツ転覆事件以来痛んでいた膝の痛みは激減していました。滞在が短期間なのがとても残念でした。
 治療をお申し込まない人は水泳とテニスでした。テニスの相手はローマンがしており小柄なのに筋肉隆々と言う感じでそのエネルギーには驚きました。
 
 午後は他の催事が組まれましたが、集合時間が毎日違うのに、徹底して知らされないのです。例えば朝食堂にいる人にだけ言うのです。時間を訊いて歩いている人もいました。書いて張り出しておくか、印刷して渡せばよいものをと思うのですが・・・。
 ハリナは人の意見を聴くのが嫌いなようで誰かが質問したりすると『私はできる事はすべてやっています。盲人と子ども達とあなた達の世話しているのです!』と言い訳がましく切り返します。それは私たちが頼んだ事ではなく自分自身で引き受けた事と思うのですが・・・。
 それを聞くのが嫌で私は彼女に近寄りませんでしたし、向こうも避けている感じでした。ですから挨拶以外は彼女とはしませんでした。

『 子ども達と言うのはクロアチアの教師が二人、小学高学年から中学生ぐらいの子どもたちを10人連れてきていたのです。』
 クラコウで出会ったKは盲人たちについているようでしたが、助手と言う感じで、本当に一人で3グループの世話をしているようでした。

 火曜日の返事も、他にアウシュビッツに行きたいと言った人に準備しますと言っているのにそばにいる私には声もかけない。わざと姉にどうなったか訊いてもらいました。
 行ける事になったので、この夜は祝杯を上げました!
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えっ!アウシュヴィッツへ行けない!?

2009-09-04 08:20:46 | エスペラント
 7月18日夕刻8時、ミーティングがあり今後の予定の説明が有りました。
 
 ミーティングはハリナのエスペラント界での業績は本が書けるほどだとの自慢話から始まり、漸く日程の説明。ところが金曜日の日程にアウシュヴィッツ行きが無い。質問すると希望者はあなた達二人だけだったから取りやめたと言う。
 そんなバカな。
 『アウシュヴィッツに行きたいから参加すると便りに書いたでしょう。』
 『私は出来る限りの事はすべたやった。他の会に参加している人にも声をかけた。でも希望者はいなかった!』と彼女。
 『なぜそのことを知らせない。知らせるべきでしょう!』
 『私はできる限りの事はすべてやった。それに岩塩鉱山に入る切符ももう買った!』 (このことは嘘で単なる言い逃れでした!)
 『行けないと知らせてくれたら私たちは他の方法を考えたでしょう!知らせるべきでしょう!』

 そのうちアウシュヴィッツを選んでも良いのかと言う質問が出ました。私たち姉妹の剣幕に押されて、希望人数が6人いるなら英語の案内人で良ければ手配できるとハリナが譲歩しました。ただし金曜日、クラコウに行ってから手配すると言うのです。金曜日の夜はビヤイストックに向かう日です。これでは参加者を探したけれどだめだったと言われたらもう終わりです。でも、私たちの問題だけを討議させるわけにもゆかずその夜はそこで妥協しました。

 翌日、数人からクラコウからアウシュヴィッツまではバスで2時間前後なので、行く方法は探せば見つかるはずと言われ、私たちは自分達で行く決心をしました。

 ところが地図も手に入らないのです。保養所のフロントにも地図は無いとのこと。あるのは廊下に貼られた地図が1枚。それもポーランド語。読めません。
 姉はGSPを持ってきたのですが、サテライト不足と表示され、自分達のいる場所が分かるだけです。それでも事務員の一人が、快くクラコウに行く行き方を教えてくれ、いざという時はお手伝いしますからと自分の携帯番号も教えてくれました。早朝のバス時間も調べました。後は行く日を決めるだけです。

 私たちの動きを知ってか知らないでかわかりませんが、ハリナから申し込みが有りました。アウシュヴィッツへの手配ができるかどうか火曜日までに決めるから待って欲しいと。
 もし、手配してもらえるならと火曜日まで待つ事にし、この保養所での休暇を楽しむ事にしました。

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クラコウに・・・

2009-09-03 08:59:28 | エスペラント
 7月18日11時半、クラコウ駅に到着。緑星旗もエスぺランチストらしい人影も見えません。出口は二つ。鞄を姉に預けて出口付近を探すがそれらしい人影もない。

 申込書には遅くとも1時にクラコウ駅か空港に集合。到着時間を知らせること。もし、1時半までに到着できない場合は、現地に自力で来てください、とありました。

 ハリナの携帯に何度か電話を試みるが応答なし。会社にも電話。何度目かに旅行会社に連絡がつく。相手はエスペラントが喋れないので姉に代るが返事は・・・。

 その旅行はハリナが一人で勝手にやっている事、こちらは関知していません。

 その後姉に事情を聴いてもらおうと思ったのですが決して電話に出ませんでした。
 出発直前、盲人の介添えで盲人エスペラント大会に参加するイタリアの女性からメールが有りました。メールには盲人大会は私たちの宿泊地の近くで開催されます。バスの出発時間は1時半。多分バスは同じでしょう。少なくともクラコウで再会できるでしょうと書かれていした。

 どうしても連絡がつかないなら、バスに乗る彼女を探そうと話ながら電話をかけ続け、12時半過ぎに空港にいると言うハリナと連絡がつきました。
 彼女はあっさりと私は空港に迎えに来ている。鉄道駅ですって!みんなはバス乗り場にいるわ!Kがいるから探してちょうだい。

 バスターミナルで友人を見つけました。Kは誰が鉄道で何時に着くと言う記録も持っていないようでその後は何度か鉄道駅とバスターミナルを往復していました。

 気温は高く、屋内も屋外も息苦しい限りです。1時半が過ぎても2時半が過ぎても出発の気配が有りません。Kはハリナの指示が無いからと誰が催促しても待ち続けます。彼女がハリナに電話しても通じません。私がハリナと話せた事はまさに幸運だったと思います。

 3時過ぎ、盲人たちの世話役が動きました。自分たちの午後のプログラムはもう出来ない。せめて夕方からのプログラムは実行したいので自分たちは出発すると言い出しました。Kが渋々譲歩し私たちは出発する事が出来ました。

 可笑しかったのは昼食です。Kが言う事には皆さんの昼食はホテルに用意されています。でも、おなかが空いた方は自由に買って食べてもよろしいです!

 5時半ごろホテル到着。昼食どうしますか。夕食は7時です。夕食は昼食より豪華です。両方とっても構いません。

 喉も乾いているので両方試す事にしました。私に言わせると内容はほとんど変わりませんでした!
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ポーランドからの便り

2009-09-02 10:04:28 | エスペラント
 エスペラント世界大会の前、ポーランドエスペラント会主催の旅行(7月18日~25日朝)に参加しました。
 この旅行はポーランド南部、クラコウから3時間ほど離れた保養地ズィオツキ(Zl'ockie)に逗留し近くを観光し、最後の日にクラコウ及び岩塩鉱山、あるいはアウシュヴィッツ見学が組まれていました。どうしてもアウシュビッツに行きたいとこの小旅行に参加する事に決めました。
 ヨーロッパ人なら当たり前の滞在型休暇ですが、日本人には経験できない事と言うことも魅力でした。
 この旅行はとても素晴らしかったと言えばとても素晴らしい!不手際だらけ、主催者の英断的判断力と言えるかもしれないし、でも独善的ともいえる発言など魅力と不満が入り乱れた不思議な旅行でした。

 先日、ポーランドエス会の会長ハリナから、記事を書くように依頼を受けました。1週間考えましたが、他の場所で書くことになるだろうからと断りの便りを出しました。
 彼女は私たちが満足したと思っているでしょうが、彼女が期待する楽しかった思い出ばかりは書けません。

 ただ、普段経験できないことを沢山したということ、当時の憤りも今になると本当に楽しい事です。経験とはそういうことかもしれません。
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