昨年より何度か会いたいと言ってくれた夫の義姉が再入院しました。
1月に入院した時、抗がん剤を使い体力を激しく消耗したのでもう抗がん剤は止め、成り行き任せで生きると電話をくれたのが3月でした。
もう78歳ですがいつも元気な声です。彼女が夫と共に起した会社は8月で40年を迎えました。彼女は弟妹が多く、舅、実父、姑、実母を看取り、夫の兄弟の家族もよく面倒を見てくれました。私は兄弟姉の連れ合いの誰からよりも彼女の世話になりました。いつもカラカラと笑いながら、私を含めた兄弟姉妹の面倒を見てくれました。そんな訳で彼女の双子の妹達とも私は忌憚なく話す事ができます。
見舞いに行く夫に同行しました。
ベットの上の彼女は痩せたであろう身体にタオルをかけていましたが、外見上表情も穏かで皮膚の艶もありました。身体は痩せて皺くちゃだというので、私はイタリアの暑さで体内の水分がみんな抜けた気がしたこと、そしたら、見えるところも見えないところも皮膚が小波を打ったように小皺になっていたと腕を動かして皺をを見せると義姉は噴出して笑っていました。
彼女の命はもう先が見えていることは明らかです。しかし、この歳になると誰が先に逝くかなどということは予測できません。もしかしたら私が先かも・・・・。
私はこういう場合に慰めの言葉を考えるのがとても苦手です。ですから、下手な慰めを言うのはやめました。彼女が会いたいといった息子の家族の写真をもって出かけました。互いの息子たちのこと(互いに息子が3人です。そして孫たちはみな女性です。)孫たちの愉快な話しをして笑いました。
私達は殆んど自分達の現状には触れませんでした。子どもや孫の話は未来へと続く話です。それでよかったかな?とも思います。
”義姉さん、本当に遊びに来て欲しかったけど・・・また来るね”というと”そうね、また会いたいわね“といつもの快活な笑顔を見せてくれました。
(無用な註ですが、1時間の面会の間夫は殆んど口を挿めませんでした。二人でピーチクパーチク喋っていたのです。)
翌日彼女はホスピス病棟に入る事になると言っていました。”75歳迄元気に過ごせたのだから後悔していないし覚悟も出来ている”と彼女は言っていました。夫の会社が軌道に乗ってからは保険の仕事をいていたのですが、外交はしないのにお客が次のお客を連れて来ているのでしごとがやめられないと7年前、初期ガンが見つかるまで仕事を続け、実母がなくなってからは、姉妹の中心として姪も引き連れて母が残した琴の会の運営までしていたのでした。
生を全うするということは大変なことです。それでも彼女は自分の意志を貫くだろうと私は感じています。
1月に入院した時、抗がん剤を使い体力を激しく消耗したのでもう抗がん剤は止め、成り行き任せで生きると電話をくれたのが3月でした。
もう78歳ですがいつも元気な声です。彼女が夫と共に起した会社は8月で40年を迎えました。彼女は弟妹が多く、舅、実父、姑、実母を看取り、夫の兄弟の家族もよく面倒を見てくれました。私は兄弟姉の連れ合いの誰からよりも彼女の世話になりました。いつもカラカラと笑いながら、私を含めた兄弟姉妹の面倒を見てくれました。そんな訳で彼女の双子の妹達とも私は忌憚なく話す事ができます。
見舞いに行く夫に同行しました。
ベットの上の彼女は痩せたであろう身体にタオルをかけていましたが、外見上表情も穏かで皮膚の艶もありました。身体は痩せて皺くちゃだというので、私はイタリアの暑さで体内の水分がみんな抜けた気がしたこと、そしたら、見えるところも見えないところも皮膚が小波を打ったように小皺になっていたと腕を動かして皺をを見せると義姉は噴出して笑っていました。
彼女の命はもう先が見えていることは明らかです。しかし、この歳になると誰が先に逝くかなどということは予測できません。もしかしたら私が先かも・・・・。
私はこういう場合に慰めの言葉を考えるのがとても苦手です。ですから、下手な慰めを言うのはやめました。彼女が会いたいといった息子の家族の写真をもって出かけました。互いの息子たちのこと(互いに息子が3人です。そして孫たちはみな女性です。)孫たちの愉快な話しをして笑いました。
私達は殆んど自分達の現状には触れませんでした。子どもや孫の話は未来へと続く話です。それでよかったかな?とも思います。
”義姉さん、本当に遊びに来て欲しかったけど・・・また来るね”というと”そうね、また会いたいわね“といつもの快活な笑顔を見せてくれました。
(無用な註ですが、1時間の面会の間夫は殆んど口を挿めませんでした。二人でピーチクパーチク喋っていたのです。)
翌日彼女はホスピス病棟に入る事になると言っていました。”75歳迄元気に過ごせたのだから後悔していないし覚悟も出来ている”と彼女は言っていました。夫の会社が軌道に乗ってからは保険の仕事をいていたのですが、外交はしないのにお客が次のお客を連れて来ているのでしごとがやめられないと7年前、初期ガンが見つかるまで仕事を続け、実母がなくなってからは、姉妹の中心として姪も引き連れて母が残した琴の会の運営までしていたのでした。
生を全うするということは大変なことです。それでも彼女は自分の意志を貫くだろうと私は感じています。