glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

読まなかった本

2018-09-25 10:11:12 | taglibro: 日記

 夕べ、NHKの100分名著:‵薔薇の名前’を見た。著者はウンベルト・エーコ。彼の著書'Sersxado de la perfekta lingvo' を2000年熊本で行われた日本エスペラント大会で購入した。これは読むのを途中でやめてしまった本である。その本の中には切り抜きが3枚挟んである。1993年UEAの機関誌Esperanto11月号のレナート・コルセッティの書いた ' La dua plejbela vespero en mia vivo'。同じく1994年3月号 'Eco kaj Piron: gravaj referencoj’。これらの文を読んで'Sersxado de la perfekta lilingvo'を大会記念として買ってしまったらしい。もう1枚は2001年2月1日の毎日新聞の’地球はまわる’という欄で書いたのは東京外語大学教授:和田忠彦氏。彼はテレビ討論にも参加していた。テレビ番組を見て感じたのはエーコがいかに博学であるか、持論を展開するのに歴史的・哲学的様々な事象を引用しているかということ。ヨーロッパを旅行していろいろなタピストリーやステンドグラスを見ました。多くの友人たちはすぐにそれらが物語っていることを理解し説明する。しかしキリスト文化に疎い私はその歴史的背景が理解できない。エーコの作品を理解するにはキリスト教文化・ヨーロッパ哲学の歴史的知識を必要とするので素人の私には歯が立たないかも。でも、時間があったらもう一度挑戦しよう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B3

 エーコがエスペラントに興味を持っていた記述もありました。

コメント (2)
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Julio Baghyの声

2018-09-24 09:05:08 | taglibro: 日記

 9月24日;今朝バギーの声を聴いた。70歳の声である。70歳でもこの声なら若いころは素敵な声だったろうと想像した。

 https://www.youtube.com/watch?v=Qyydkxy04k4

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エスペラントの活用法

2018-09-22 08:30:04 | エスペラント

 先日、友人が息子さんからコーヒーメーカーを外国土産としてもらったが、日本語の説明書などもちろんついていませんでした。読めないはずの外国語を眺めていたら説明の意味だけは分かった、これはエスペラントを学んでいるせいねと話していました。私も外国製品の説明などなんとなく理解します。彼女も同じ経験をしてると感じたのでした。

 エスペラントを始めたころ、第2次世界大戦前にスイスの小学校で行われた実験的エスペラント教育の話を聞きました。エスペラントでヨーロッパ言語の構造を教える実験でした。エスペラントで言葉の構造を知り、それを違う言葉の学習に応用することでたやすく他の言葉を習得できるというものでした。姉はエスペラントを基にしてスイスではドイツ語をカナダでは英語を覚えたと言っていました。8月にブログに載せた中国でのエスペラント授業も子どもたちに英語を学ぶ基礎を与えるための授業でした(Leciono en la Baiyangshujie-elementernejo en Taiyuan, Chinio )。日本人や中国人にとって英語の基礎は難しいですが、英国人にとってフランス語やドイツ語を習得するのが結構難しいと今朝知りました。

 なぜ英国の小学校でエスペラントを教えているか、エスペラントを覚えることが他の言葉を覚えるのに以下に役立つかというユーチューブです。英語ですが、日本語訳が付いています。

https://www.youtube.com/watch?v=8gSAkUOElsg

 

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AŬtuna TUmulta NEsto

2018-09-15 08:54:54 | エスペラント

  フランスのグジヨンから秋の集まりへの参加のお誘いが来ました。Tumulta nestoてんやわんやの集まりとでも訳すより愉快な言葉が出てきません。なぜなら子どもからおじいちゃんおばちゃんまでの家族の集まりということですから。

 グレジヨンは小さなお城です。2015年にリールでの大会前の遠足に参加しました。小さなお城ですから部屋数も少ないのでしょう。私と友人は屋根裏部屋の天井も斜めの小さな部屋で、直接内部から行ける階段がないらしく3階から外階段に出て自分の階に行きました。コンセントがないので携帯電話の電源もありませんでした。後で階下のサロンでコンセントを使っている人を見つけました。でも、食事はおいしかったです。ピクニックではスタッフが労を厭わず食料を運び込み、公園で食べたのも楽しかったです。これはフランス式ピクニックのようです。

 実は中世のお城めぐりの際、石畳につまずいて足を痛め、歩くのは大変でした。そんなこんなで広い城の庭の散歩は少ししかしませんでした。木立の中にところどころ結構広い畑があったり、小さな住居があったり…。これは昔、城の使用人が暮らしていた家かもと想像したり。もっと散歩したかったのですができませんでした。秋はやはり紅葉するのでしょうか。もう行く機会はないかもしれないと思いますが、もう一度行きたい場所です!

AŬTUNE - AŬtuna TUmulta NEsto
7-a komuna feriado por infanoj, familioj, geavoj
de sabato, 27-a de oktobro, 18h
ĝis dimanĉo, 4-a de novembro 2018 matene
Kursoj, ĥoro Interkant kaj aliaj aktivaĵoj,
programo por adolekantoj kaj por infanoj,

Klaku => gresillon.org/autune

 

Bonvenon en la franca Esperanto-kastelo Gresillon

en F-49150 Baugé, okcidente de Parizo

 

 プログラムを開いたら講師の一人が今朝聞いた人物でした。とても分かりやすいエスペラントを話していましたのでここに追加しました。

https://www.youtube.com/watch?v=WdOR1BEXEaU&t=1100s

 


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9月13日

2018-09-13 10:33:38 | taglibro: 日記

 先日、横浜のエスペラント会が12月行う読書会の本を手に入れた。題名は Kie miozotas memor'(著者: Ed Borsboom オランダ人) 。miozotoは忘れな草という名詞。固有名詞を動詞化したときどう訳すのか私は知らない。読んでいるうちにわかるのだろうか。勿忘草という名前の由来をウキペディアで調べてみた。

 この花のドイツ名は「vergissmeinnicht(私を忘れないで)」。英国でもその直訳の「forget-me-not」と呼ばれています。日本でも同様に「忘れな草」「勿忘草」と名づけられました。この花名は、中世ドイツの悲恋伝説(下記参照)に登場する騎士の言葉に由来します。 

ドナウ川の悲恋伝説

ある日、ドナウ川のほとりを若い騎士ルドルフと恋人ベルタが散策していました。するとベルタは岸辺に咲く美しいこの花を見つけます。ルドルフはベルタのためにその花を摘もうと岸を降りましたが、誤って川の流れに飲まれてしまいます。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、ベルタに「Vergiss-mein-nicht!(私を忘れないで)」という言葉を残して死んでしまう。

残されたベルタは、亡き人の思い出に生涯この花を身につけ、その花は「忘れな草」と呼ばれるようになったと。

 今は勿忘草も種類がいろいろあり、それぞれに花言葉があるらしい。だがヨーロッパの花言葉は「真実の愛」「思い出」。Kie miozotas memor’を日本語にどう訳したら素晴らしい題名になるのでしょう!いろいろと意訳はあるでしょうからいろんな人の訳が知りたいと思う、知りたがり屋の私です。

 内容は31人のエスペランティストについての思い出です。読書会に参加する気はないのだけれど一人ずつ気ままに読んでゆこうと思う。

 

 

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電子辞書が使えない!

2018-09-11 09:54:34 | 家族・友人・私

 夏も終わりです。いつまでも暑い暑いと言いながら時を過ごすのはもったいない。以前手をつけた物語の翻訳を開始しようと辞書を取り出しました。私はもう数10年エスペラントを学習しているのに的確なエスペラントの単語をなかなか見つけられないのです。翻訳をしようとすると自分が学習足らずの初心者であるといつも痛感します。単語は和英を使い、それから英エス、その上エス和と幾度となく辞書を繰り返し見て探し出していますが、和英は高校時代の文字の細かいものしか持っていません。そこで4年ほど前、電子辞書を買いました。これは本当に便利です。古い辞書には例文はありませんが、電子辞書には例文もあるのでこれぞという単語を見つけ出すのに重宝しています。2カ月ほど使っていない電子辞書を開いたのですが動きません。電池がないのかもと思い、入っていた充電式電池を充電しましたがやはり動きません。修理が必要かと思い、昨日メーカーに電話しました。近くのサービスセンターの場所など聞き、メモしているうちにはあることに気が付きました。充電式電池も消耗することがあるかもしれない!

 電話を終えてから買い置きの電池を入れました。辞書は作動しました。新しい辞書を手に入れようとすると数万円の出費です。また心置きなく辞書と向き合えます。

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LEE Jungkee 氏

2018-09-10 10:57:50 | エスペラント

 ユンキ氏と初めて会ったのはエスペラント市ヘルツベルクでした。もう10年になります。彼は韓国のエスペランティストで、エスペラントセンターを立ち上げて活動していました。今朝、彼をユーチューブで見つけましたセンターを立ち上げてからもう25年になるそうです。相も変わらず情熱的にいかにしたらエスペラント活動を続けてゆけるか、エスペラントを始めた人をどうやって継続的に学習させエスペラントの知識を与え育ててゆくかなどを語っていました。明言は避けていましたが、私たち日本人にちょっぴりと批判的な言葉も!

 エスペラントの指導者、これからエスペラントの指導者になろうとしている人は耳を傾ける価値がある話でした。

https://www.youtube.com/watch?v=n8Po9Obar3Q

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モロヘイヤ

2018-09-09 09:29:50 | 衣・食・住

 先日モロヘイヤの葉の中に黄色い小さなつぼみを見つけました。もう秋です。モロヘイヤの種には毒があるということです。花の前にとっておこうと今日モロヘイヤの茎を中ほどから切り取りました。根から引き抜くと茎の丈が長すぎて処分に困ります。それにもしかしたらまだ成長して葉をつけるかもしれないという下心もあります。切り取った茎を新聞紙に乗せ、テレビを見ながら葉を摘み取りました。直径30㎝程の笊に一つありました。後でゆでて小分けして、すぐ食べないものは冷凍するつもりです。

 

 葉を摘み取りながら思いました。私は戦後野菜が不足した時期、まだ雪の残った湿地で兄弟姉と一緒に泥を掘り起こして野蒜取りをしました。夕食はみそ味の卵とじだったでしょう!?木々が芽吹きだすとみんなでそれぞれにカコベ(ポシェット風かご)を下げて垣根になっているウツギだったような気がしますが、新芽を摘みました。それから山に入ってアケビのつぼみをつけた新芽も摘みしました。これらの新芽はほろ苦く、胡麻和えがおいしかったです。

 

 こんな経験があるからモロヘイヤの葉を摘むのも厭いませんが、消費することだけに慣れている人はこんなことはしないでしょうね。

 

 自分の育てた食物は埃を洗い流すだけで安心ですし、新鮮でおいしいですね!

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子どものころの宝もの

2018-09-07 10:15:38 | 

 今朝、姉から小包を受け取りました。品名は’童話’でした。父が亡くなったとき子どものころに親しんだ童話の本がほしくて弟と懸命に探しましたが見つかりませんでした。文字が読めない時はあのお話を読んでと母にせがみ、読めるようになってから、何度繰り返して読んだことでしょうか。両親が亡くなって兄弟姉妹が集まるとあの本はどこに消えたのだろうとよく話題になりました。当時上の姉は不参加でしたので彼女が持っているとはだれも知りませんでした。その本が今日私の手元に届いたのです。紙の縁は茶色に変色し、ページは51~874までしか残っていません。その上ちぎれたページもありました。添えてあった姉の手紙には時間ができて読みたいと思ったけれど、視力が弱り読めません。活用してと書かれていました。昨年私のエスペラント訳の童話が本になったので私が利用できるだろうと考えたようでした。懐かしいページをパラパラとめくりながらそんな時間が私にあるだろうかと思ってしまいました。

 出版時期も編者もわからないのです。ネットで調べたら出てきました。94年前に出版されたものでした。。

世界童話大系16 -日本篇』

  • editor:松村武雄(Matsumura Takeo) Publisher:名著普及会
  • 複製版:1989/ 2
  • ISBN4-89551-349-1
    • 「日本童話集」
    • 「朝鮮童話集」
    • 「アイヌ童話集」


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Du pomoj perditaj

2018-09-06 08:32:42 | エスペラント

  夕べは久しぶりに Verda Majo(長谷川テル) の著作集を開き、'Du pomoj perditaj' を読みました。病床にてと補足があるのはテルが弱気になっている時に自分を鼓舞するために書いたものかなと感じました。そして20数年前、あるいは30数年前だったでしょうか東京で開催されたエスペラント日本大会のことを思い出しました。

 その時栗原小巻主演’望郷の星’が上映されました。会場に入ると立ち上がって笑顔で迎えてくれた美しい老婦人、なんと彼女は学生時代の学生課長でした。もう80歳を超えていたと思うのですが歳を感じさせないほど美しいままでした。私の旧姓を呼び、’私は長谷川テルが好きなので今日つれ来ていただいたの!’と話しかけてくれました。学生時代廊下で会釈すると苦微笑で私を見ていたあの先生が私の名を忘れていなかったというのは驚きでした。

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長谷川テルの詩

2018-09-04 23:15:13 | エスペラント

  本も読みたくない、文章も書きたくないそんな時インターネットの世界をさまよってしまう。今日は日本のエスペランティストがスペインでテルの詩を朗誦しているのを見つけました。以前、日本大会やザメンホフ祭で詩の朗誦の行われていたような気がします。

 ぜひ、聞いてください!私は多分64番目のきき手です!

https://www.youtube.com/watch?v=-4540Ip8HwI

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小さな台風

2018-09-03 08:02:02 | 家族・友人・私

 土曜日午後になって息子のメールに気が付きました。家族で訪問したいとのこと。夕方到着予定になる。ということは夕食を私が作るということ。冷凍の肉を解凍したり野菜を刻んだり大忙し。孫たちは私に遊んでほしいので彼らが家にいるときはなるべく座っていられるようにしなくてはなりません。久しぶりの忙しさに疲れて昨日は体力もなくぼんやりと過ごしました。

 孫はこのほかに二人いるのですが、ドイツ系の彼らは出会うと必ずハグします。彼らと差別されていると感じさせないように出会った時はこの孫たちも抱いてやることにしていました。ところが1年生になったⅯにもう学校に行っているからと抱っこするのを断られました。彼らは親の実家のあるラオスに1カ月あまり行っていたので久しぶりに出会いました。3歳のTは私を見るなり飛んできて抱っこされ、大きくなった、重くなったと声をかけられ満足そうでした。Tを下すとなんとⅯがその後ろで抱っこの順番を待っていました。ですから、私の脇あたりまで背丈が伸びたⅯも抱き上げたやりました。子どもとは面白いものですね。大人なったり、子供になったり!

 彼らは約1カ月間ラオスのサマースクールに通っていました。何を勉強したのかと尋ねたら英語の学習だったそうです。先生はラオス人が一人にアメリカ人が3人。アメリカ人といっても子どもの目から見ればのこと、ヨーロッパ系ということでしょう。授業はラオズ人の先生が時々ラオス語を使う以外はすべて英語だったそうです。楽しかったということでしたがどんな授業を受けたのか6歳の子どもには説明できませんでした。また、日本人の先生が一人いて日本語のクラスもあったそうです。

 Tも一緒に通ったのですが何をしたのでしょう。Ⅿの説明によれは遊びをしていたということでした。それ以上の説明は6歳の子どもには無理なようでした。Ⅿは弟が心配で休憩時間になるとTの様子を見るためにTクラスを覗きに通っていたそうです。いとこ達との生活も楽しく、日本には帰りたくないと言っていたそうですが、学校が始まるというとすぐに帰る準備をしたそうです。Ⅿは本当に学校が好きなのです。日本の学校の勉強で何が好きと伯父と問われたら’全部’と答えていました。このまま育ってほしいものです。

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