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生きること:過去と未来とエスペラントと

ムルマンスク便り

2007-11-16 12:39:51 | 家族・友人・私
 ムルマンスク便りはlernu でエスペラントを学習している若い友人のブログです。彼女はそこでエスペラントに出会い、今学習しています。以前アメリカ系の大きな会社で通訳で、エスペラントもできる女性でに会いましたが、彼女もアメリカ留学中にエスペランとを学んだということでした。米語堪能な人がエスペラントに興味を持つということはそれなりにエスペランとに魅力があるといえると感じたものでした。

 ムルマンスクはロシア語を学習する人にはあこがれの土地のようで、先日はロシア語を学習している若い女性に、私も行ってみたところですといわれました。エスペラントを学習したら紹介してあげると私は答えました。

 オーロラも見える土地だそうです。いつか仲間たちと訪れることができたらいいですね。

 ロシアが好きな方もどうぞ彼女のブログを訪問してください。

 生活するということは国内でも国外でも同じことこととは思いますが、海外で暮らすということは楽しいことも苦しいことも衝撃は大きいのではないかと感じるのです!これは息子二人を海外に送り出した母としての感想です。

 エスペラントを愛する皆さんも彼女の学習がくじけないように時にはコメントを・・・。
 これは私の老婆心。

 ムルマンスク訪問の方は次のアドレスへ!

http://blog.goo.ne.jp/murmansk/d/20071115
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エスペラント学習サイト "lerunu"

2007-11-13 10:07:42 | エスペラント
先日、"lernu" について紹介しました。

  今朝、このサイトを通じてロシアに行った若い友人から便りが届きました。私もあいさつのカードを送りました。

  誕生日やクリスマスに楽しいカードをもらうのですが、インターネット音痴の私はどうしたらよいかわかりませんでしたが、カードもあって送れるのでうれしかったです。

  今、友人の一人のエスペラントの学習を手伝っています。lerunuにある例文はわかりやすいので時々利用させてもらっています。ベテランの方にも利用価値のあるサイトです。


  lernu のアドレス
http://ja.lernu.net/
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桜が咲いた!

2007-11-07 15:15:20 | 雑感
 暑い!
 窓を開けた居間の温度が26度。日当たりの良いこの部屋はもっと室温が高いでしょう。

 数日前、買い物帰りにある庭に花が咲いている桜の木を2本見つけました。朝、写真を撮りたいと柄にもなくデジカメを持って出かけましたが、バッテリー不足らしく写りませんでした。

 一本は若木、3メートルぐらいの高さ、もう一本は大きく枝を広げていました。落ち残った緑の葉がぽつぽつとある中に星のように散らばって枝いっぱいに咲いていました。

 異常気象もここまで来ると打つ手はないのでしょうか。
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小沢さん、逆クーデター?

2007-11-05 09:19:39 | 雑感
 政治のことはあまり書きたくないのですが、小沢さんの党首辞意表明にはあきれてしまった。
 ほかの民主党執行部が自分の意見に賛成しなかったのは不信任表明だって?

 第一、自民党福田さんとの密室会議を行ったとき福田さんが意図していたのはなんだったのでしょう?

 私は夫に密室でやるなんて、福田さんは民主党の分裂をたくらんでいるんじゃないと話したのでした。

 案の定今民主党は分裂の危機にあります。おまけに自分の意見が通らなかったから辞めるという不貞腐れたような小沢さんの態度。討論しなれない小学生なみですね!

 小沢さん!政治家としては最低です。
 
 日本の政治がこのような人達に委ねられているのかと思うと悲しいです!!

 これで小沢という人の政治家としての寿命は尽きると思いますが・・・。

 日本という国はいつも漂流船のように風任せ!

 情けないですね!
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生きている日本人!

2007-11-03 10:13:04 | エスペラント
 昨日イタリアの若いエスぺランティストLekantoからメールをもらいました。彼女は本職のガイドで、昨年フィレンツェの大会の際、パドヴァ、ヴェネチィアの旅行を計画してくれ、最後に自分の家アレッツォに2晩招待してくれました。またローマ以前の遺跡の残るコルトナなどへも連れて行ってくれくれました。彼女の専門的な知識から得るものも大きかったですし、楽しかったです。
 コルトナは葡萄酒の産地で彼女の父親からは名産のトスカーナワインまでもっらて帰りました。

 今年の横浜での大会にローマに住む彼女の友人が来るというので、会うことになっていたのですが、なんと言うことしょう!? 開会式当日の日付の手紙が張り出されたのが閉会式の朝だったのです。というわけでお土産は渡せませんでした。

 それは私が以前藍で染めたTシャツ2枚とテーブルセンターでした。大きさはMとLです。Lekantoは小柄ですが、父親は大柄着れる保証はありませんでしたが気は心です。後で郵送しました。

 先週は家族がかわいがっているEMMAの9歳の誕生日だったそうです。EMMAは大柄なぷっくり太った女の子で、私が訪ねたときエスペラントの緑の星で飾った壁かけダンボールで作り、寝室の壁にかけてくれていました。

 Lekantoは私からと言って大きいTシャツを彼女に渡したそうです。

 EMMAはとても喜んで友人たちに『これは本当に生きている日本人が染めたのよ!』と自慢し、一日中着ていたそうです。

 たぶん大きなTシャツをワンピースのように着たのでしょう!

 実際に日本人にあったことがないであろう彼女の友人たちはTシャツを通して日本をそして日本人をどう感じたのでしょう! 

 知りたいところです。 

 
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横浜散歩

2007-11-02 10:30:24 | 福祉と教育
 昨日は横浜シティガイド協会でおこなっている中区のツアーに参加しました。シティガイド協会にはエスペラント世界大会の時にお世話になり、活動の話を伺って時間があったら参加したいと思っていたのですが、日程が合わず幾度も歩いた道だと思いながら参加したのですが、道を知っていることと街を知っていることは違うということに気付くと共に楽しい半日を過ごしました。

 
 横浜市中区は女子ミッションスクールの多い街です。横浜女学院、横浜共立学園、フェリス女学院、横浜雙葉学園など軒を連ねたかのように存在しています。横浜は日本女子教育の発祥の地でもあったのです。

 明治3年(1870)5人女性宣教師が日本における混血児の孤児を救おうとやってきてのがもととなっているという横浜雙葉学園に心惹かれました。当時保護を要する子どもは10名ほどで思いのほか少なかったので、のちによき母を育成しようと女子教育を行い、明治33年法律にもとずく学校を作ったそうです。その後児童養護施設は東京に移ったということでした。

 もうすぐ、50年になろうとしていますが、10代の私は東京で双葉(?)学園という児童養護施設を訪問したことがあります。多分学園祭の準備だったと思います。その時の園長の言葉が大きな疑問としていまだに残っているのです。

 彼は、保母(女性保育士)として、両親がおり、心豊かに育った人だけを採用する。保護を必要とする子どもには使命感や、情熱より自然に出る愛情が必要と言ったのです。若い私はひどく反発を覚えました。人の愛情とはそのように自然発生的なものなのか、つまり動物的なのだろうか。愛情も理性でコントロールできるのではないか。そんな疑問を持ち続けています。

 現在、心理学の発達によりDVを受けた人が大人になると同じく家族に暴力を繰り返すといわれています。最近、虐待・子殺しなど家庭内暴力が絶えません。本当に私たちは理性の助けを借りてこの状態を乗り切っていけないのでしょうか。

 福祉を学び始めたころの自分に立ち返り考えさせられた横浜散歩でした。

横浜シティガイド協会のアドレスは下に:横浜在住以外の方でもお願いすれば希望の日にガイドしてもらえます。(有料)

 http://www.ycga.com
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Feino :妖精によせて

2007-11-01 08:26:41 | エスペラント
 『Feino』はフランスの作家シャルル・ペローの作品です。子どものころ仙女というお話を読んだり聞いたりした人は多いと思います。あらすじは・・・。

 母親と2人の娘が暮らしておりました。下の娘はやさしい子で森で妖精と会い、彼女が話すたびごとに口から花や宝石が出てくると力を授けられました。意地悪な上の娘は話す度に口から蛇や蛙が飛び出るようにされてしまうというお話です。

 これだけ見ればただの教訓的話です。

 私のエスペラントの師である伊東三郎は多くの童話が存在する中から、なぜこの話をなぜエスペラントの創始者ザメンホフが初めてのエスペラントの読み物として選んだのか考えると非常に興味が惹かれると話してくれました。
 つまりこの話は言葉の話です。言葉は人を慰めになったり勇気を与えたりします。使いようによっては恐ろしく、邪悪で人に害を及ぼすものとなります。伊東氏の説によればザメンホフはこの言葉のもたらす作用をしっかりと認識しておりエスペラントが美しいものを生み出すことを願っていたに違いないというのでした。

 その話を聞いてからもうすぐ半世紀がたとうとしています。それ以来エスペラントだけでなく日本語でも、棘のある言葉を使わないように努力してきました。嫌味や皮肉ではなくまっすぐ意見を言うようにとか…。

 人としてそれほど進歩したとは思いませんが、この童話を読むとエスペラントを始めたころの思いや情熱がふつふつとわきあがります。このような思いを持てる読み物を持っている自分はきっと幸せなのでしょうね!!
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