このシリーズは僕の経験に基づいた、今では懐かしい話を備忘録的に残すカテゴリーです。
第一回は、「ぴよたろうとピヨコ」というお話です。
僕は小学の時にどしても食べられない物がありました。それが「肉」です。
家では、冷やご飯(熱いご飯は苦手)にふりかけ。お味噌汁は好きでしたね。後は海の近くで育ったので、焼海苔は大好物でした。野菜は全体的に苦手。でも大根は好きでした。 そんな子供の頃に、どうしても食べられなかったのが・・・「肉」。豚肉など特に苦手でね・・・給食の肉が大の苦手でした。 いまでも覚えているのが、給食の肉をパンに挟んで家に持ち帰るのところを担任の先生に見つかって、一人だけ残されて酷い目に遭いました。今なら大問題ですよ。 そのせいか良くはわかりませんが、背は小さく、小学2年の頃から目が悪くなり始めて、いじめられた、いじめられた・・・当時は眼鏡ポンチとかビン底とかね。良い記憶など何もありません。イジメは生涯残る記憶となります。
それで家では、魚の目を沢山食べさせられました。 海が近くだったから、魚は普通に食卓にありました。いくら食べても目は良くならず・・・藁にでもすがる気持ちで魚の目を食べましたが、ダメでした。
今思えば、元々目が悪かった・・・。強靭な目では無かった。無理をしても、いつの日か網膜剥離を起こす運命だったと思います。 網膜剥離を起こす前に、過去記事でも書きましたが、目の中に光る三角形が連なる長い物が見える時が何年かに一度あったんです。過去記事です。⇒夢はどこで見ている?体験談3 - 趣味と節約と時に妄想の記録 (goo.ne.jp)
今だから言える事です。話し戻して、家族も僕の肉嫌いをとても心配していました。タンパク質系は魚の肉とソーセージがほとんどでしたね。魚肉ソーセージは大好きでした(笑い)。今のようにおいしい冷凍食品もなくてね、冷蔵食品でグリコのハンバーグが大のご馳走でした。当時はかなりの贅沢品。誕生日くらいにしか食べられなかったなぁ。その後、異物混入事件と共に世の中から消えた商品です。
そんなある日、町で夏のお祭りがあったんですね。 僕の母親が、縁日とかそういうの好きでは無いので、一人でお小遣いを握りしめて出かけたんです。
この続きは明日です。 続く