なかなかと昔の記憶を呼び覚ますのは難しいです。特に僕は、中学と高校は、病気に伴う手術の影響で、ほとんど友達もいないし、自由の利かない青春時代を過ごしていますので、小学の後半からは記憶自体が曖昧になっています。なので、特に印象に残った事を掘り起こして書いています。
そしてこのシリーズ、何故こんなエッセイ(下手くそ日記的な)を書いたか?少しだけふれたいと思っています。
飽食の時代、お金を払えば何でも出来る日本です。特にTVでは毎日グルメ番組・・・。
僕は沢山食べられませんし、お金も無いし、取り上げられた店で食べると言う選択肢もありません。申し訳ないけどね。 確かに車を運転できた頃は、雰囲気の良い喫茶店でコーヒーを飲む事もたまにはいいか~と思っていましたが、正直喫茶店のコーヒーをそのまま飲むと、胃がやられます。でも確かに香りは良い。 そんな店では、お店の方には申し訳ないけど、水で自分好みに薄めて飲みます。まず僕の事を相当理解してくれる方しか一緒には行ってくれませんね(笑い)。
食べる方などもっと悲惨です。バイキングは子供料金で十分位な量しか食べられませんし、普段食べない物を食べると、次の日必ず下痢をします。お酒も同じ。もっとも若い頃に手術をした関係上、お酒は一滴も飲みません。昔の妻に・・・「チェ、何時まで経っても面白くね~奴」と言われました。
「飲んだらあかん次の日が」・・・って標語ですよ(笑い)。
若い頃は、数回ですけどフランス料理のコースを食べに行った事があります。かなり無理をしました。
やっぱり次の日・・・下痢。40代で務めた会社の食事会でフランス料理を食べました。美味しかったです。
確かに美味しかったですけど・・・・やっぱり次の日、下痢。生肉、生魚がダメ見たい。受け付けないんですね。
「肉は良く焼いて」と頼むのですが、高級なお店程、嫌がります。 刺身も同じ理由です。寿司屋に行ってマグロが殆ど食べられない変な男です。生は一切ダメです。 最近、鉄火巻きだけ少し食べられるようになりましたがほんの少しです。ワサビが入っていたらNG。 ダメです。カレーも同じ。ベトコンラーメン? 有り得ない領域です。
何度か繰り返して、いつしか無理して人と付き合う事を止めました。下痢になった後の復活までが本当に大変なんです。今でこそ無理な飲み会とか無い企業が多いですが、そんな時代では無かった・・・。なので2005年の交通事故をきっかけに定職には付いていません。当然極貧生活ですよ。
普通に生きられない人もいるって事を知って欲しかった。ひっそりと生きているんです。そんな人にはグルメ番組など意味が無いし理解も出来ない。でもこの星に住まう同じメンバーである事をね。生き延びるには・・・避けるしかない。それ以外の選択肢は無いのです。
別の角度からこの避ける譲る事が自分を苦しめ、さらに敏感になって行く。ならばいっそ、その神経質で弱々しく敏感な自分の感性を生かせば?そして受け入れて自分の扉を開けたのです。
そして今は心澄ませば、秋に落ちる葉一枚の思いまでも伝わる自分になっていた。 ま、他の人には妄想としか映らないですけどね。それで良いのです。
あるとき、おおいなる何かが自分にこう問いかけてきました。
「あなたは皆の為に、皆はあなたの為に」「one for all all for one」 「心の扉を開ければ、銀河の彼方まで感じられる。」 今はもう扉は開いていませんよ(あはは)。
心に残る思い出の中から、今振り返れば、そこから何を学んだのか?その学びは生かされているのか?
「ぴよたろう」から自分は何を学んで、何を頂いたのか? 今だから振り返れる。そんな記録を残したかった。
扉の向こうへ持って帰れる事。それは自分の行って来た小さな記録だけ。 その記録に今できる事は?
今日に感謝。そして、おおいなる自然の恵みに感謝。 となるわけです。
純粋だった頃の自分に・・・時空を超えてエールを送りたい。
そして、生き物を頂くとはどういうことか? 野菜も家畜も皆、扉を持っている。 って事を。