このシリーズも今回で完結です。
僕もピヨコの世話が辛くなって来ました。 兎に角狂暴。あんなに懐いていたのに・・・。最近になって
you tubeで検索すると、ある日突然にペットの鶏が狂暴になるような内容の動画もありますね。
どうやらニワトリは元々家畜では無くて、闘鶏の目的で日本に入ってきた歴史もあるようです。つまり、元々が狂暴な面を内包していたとも言えるのかも? 回想なので何とでも書けますけどね。 当時の僕は、ある種のショックとつつかれた傷の痛みでかなり落ち込んだ記憶があります。
そしてついにその日が来ました。
母が「もう、産んだ卵も食べてしまうし、おばさんに譲ったらどうだね?」と
僕「おばさんはどうするんだろう?」
母「ニワトリだもの、そりゃ食べるに決まっているじゃないか。いつまでも子供だね」と
僕「え、それは可哀そうだよ」
母「何言ってるんだい。ニワトリは家畜。卵を産まなくなったら食べるの」
それが当時の普通の常識だったのでしょう。
数日が経って、僕が学校から帰ってくると、小屋の中にはピヨコはいません。
その日の夕食のおかずは豪勢な鳥の唐揚げでした。 兄が、喜んで食べていたのを今でも思い出します。
母が「食べないの?」
僕「僕が肉嫌いなのは知ってるだろ?」
母「あんたが一生懸命育てた鶏だよ。感謝して食べてあげなよ」と・・・。
兄も「食べないなら俺が食べてしまうぞ」
僕「みんなにせっつかれると余計に食べられない」と言うと、
母「一切れ残しておくから後から食べなさい」と。
しばらくして、涙を堪えながらその一切れの唐揚げをほおばりました。
すると・・・「おいしい・・・」
涙と共にピヨコの思い出が蘇ります。
それからです。なんとあれほど肉が嫌いだった僕が、肉が食べれるようになったのです。
はじめは鶏肉から。そして豚肉。牛肉も。
僕の記憶はこれで最後です。 中学、高校の思い出がほとんど無いのでね。
忘れられない子供の頃の思い出。 縁日で買ったヒヨコの思い出。
そのヒヨコが大人になり、卵を産み、そしてあるとき食卓に唐揚げが並んだ・・・。
でもそのお陰で、肉嫌いが治ったという他愛もないお話です。
僕は今でも、自分の肉嫌いが治ったのは「ピヨコ」のおかげだと思っています。
今振り返れば、命を頂くことの尊さ、愛情をもって育てる事の大切さを肌で学んだのだと思います。
そして何より、感謝の思いです。
現代社会では、生き物を育てる機会がとても少なくなったと思います。 ペットは別ですよ。子供時代は勉強や習い事、大人になれば経済活動優先でそんな時間が無いのが現状でしょう。その一方で増える食物アレルギーや好き嫌い。
最近ネットで、あるペンキ画家さんが有名になっている事を知りました。 スピ系の話になるのかな?紹介ではないです。でもその中で、命を頂くストーリーのようなくだりが紹介されていました。
アフリカのある小さな村での経験を本にしたらしいのですが、食べ物には全てストーリーがあり、そのストーリーを感じられることが、人間としての本来の仕事ではないか? とね。
今の僕はもうこんな目ですから、本を読むことは出来ません。短い動画とその作者の声を聞いて、この方は「扉を開いた」んだと直感しました。
僕も日々、声なき声を少しでも感じられるようにこのブログを書いて来ました。スタートは生きるための節約でしたけどね。
こうして生きているだけで本当に多くを頂いています。目に見えるとか否かではありません。 果たしてそのお返しをしてるのだろうか?
後書です・・・毎度くだらない話で申し訳無いのですが、この「ぴよたろうとピヨコ」の話は実話です。文章を書くのが下手なので描写は下手ですけどね。
この先、世の中は間違いなく混迷して行くでしょう。 その混迷の中で、次の未来へ繋がる何かが生まれる。生まれた卵を食べる(潰す)のもこれまた人間。生かして次の世へ繋げるのも人間です。
すべての事象は唯一無二で、フラクタル。 実は成功も失敗も無かった。
意識するべきは・・・・ストーリー。あなただけのストーリー。
今日に感謝。おおいなる自然の恵みに感謝。
今日もこの記事を読んで下さった方々に感謝。