ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者権利条約と自立支援法

2009年06月11日 01時20分12秒 | 障害者の自立
いま、職場で「障害者権利条約」の勉強会をしています。今度が3回目。

        

 もしかしたら、10日は私はサボるかもしれません。
学習担当のりょうこちゃんも苦労しているようですが、ここの「通信」を参考に使ってみてはどうですか?
全国弁護団事務局 第1号 2009年1月22日

 権利条約の「差別禁止」や、「合理的配慮義務」を、自立支援法との関係で観てみるのもいい勉強になるでしょう。ということで関連部分を転載し、紹介しておきます。



 この裁判(障害者自立支援法違憲裁判)は障害者自立支援法が導入した応益負担の過ちを廃絶することを求めてます。

 たまたま裁判員制度に触れたので、裁判員制度で考えてみます。

 裁判員に視覚障害者が参加するとします。ほかの裁判員に配布される印刷された裁判記録を読むためには点訳文書が必要です。では、裁判所は点訳を必要とする視覚障害裁判員には点訳サービス利用料の負担を義務付けるのでしょうか。あるいは、聴覚障害裁判員には手話通訳サービス利用料の負担を義務付けるのでしょうか。車いすを利用する障害者にはスロープ利用料の負担を?

 おかしいですよね。応益負担制度とはこれと同じです。

 障害者福祉施策とは機能障害から派生する社会的不利益を解消・是正するための諸施策です。それがノーマライゼーションの理念として、国際的に共通理解されている障害者福祉の目的です。

 つまり、障害者自立支援法という障害者福祉施策の基本的な法規のなかに応益負担が存在していることを許すということは今の例の場合にも、「点訳サービスを利用するのはその視覚障害者自身の責任なんだから点訳利用料を負担するのは当たり前」という理屈を認めることになります。

 むずかしいことはともかく、このような理屈を認めてしまえば、障害者差別は永遠に無くならないと感じるのが現在到達している一般的な人権感覚なのではないでしょうか。

 この理屈を認めてしまえば、「障害者が働きたいならばスロープ設置費用を負担することを条件とします」、「ジョブコーチの給与の一部を負担することを雇用条件とします」ということを何ら問題ないと是認する社会にになります。

 言い換えると、応益負担制度がこの国の法規にある以上、障害者差別に対して、それは差別じゃないよという法的根拠を与えることを意味します。

 応益負担制度がわが国の法規にある以上、日本は永遠に障害者権利条約は批准できないし、障害者差別撤廃のための入り口に入ることが出来ないのです。



 本当?

 被告国らの平成21年1月22日付答弁書29頁1行目には次の記載があります。

 「なお、日本国は『障害のある人の権利に関する条約』を批准していない。」

 これは、原告が障害者権利条約に訴状にて言及したことへの国の反応です。

 ここに国の本音が図らずも顕れていると見るのは早計でしょうか。

 条約を批准しなければ障害者に対する合理的配慮義務違反、障害者差別違反は許されるというのでしょうか。

 障害者権利条約の外務省仮訳は次のとおり。

 「第4条 一般的義務

1 締約国は、障害を理由とするいかなる差別もなしに、すべての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する。このため、締約国は、次のことを約束する。

 (a) この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。

 (b) 障害者に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し、又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。

 (c) すべての政策及び計画において障害者の人権の保護及び促進を考慮に入れること。

 (d) この条約と両立しないいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの条約に従って行動することを確保すること。」



 「批准さえしなければ障害者権利条約など関係ない」と国は考えているのでしょうか。

 しかし、国は既に障害者権利条約に署名しています。

 そして、日本は「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」に批准しています。

 同条約の第18条は「条約の効力発生前に条約の趣旨及び目的を失わせてはならない義務」を規定しています。

 「いずれの国も、次の場合には、それぞれに定める期間、条約の趣旨及び目的を失わせることとなるような行為を行わないようにする義務がある。

(a) 批准、受諾若しくは承認を条件として条約に署名し又は条約を構成する文書を交換した場合には、その署名又は交換の時から条約の当事国とならない意図を明らかにする時までの間」

 つまり、2007年9月28日、日本は障害者権利条約に署名した以上、条約の趣旨、目的に反する行為を行えばそれは条約違反として違法となるということです。

 この署名時点で既に障害者自立支援法の応益負担制度は存在していました。

 ということは、私たちの立場から言えば、この署名の瞬間から障害者自立支援法は、「条約法に関するウィーン条約」第18条違反であり、同法は条約違反として無効となるものなのです。

 もちろん以上のようなことも当然私たち弁護団はこの裁判で主張・立証していきます。

 とにかく、応益負担制度が存在していることはわが国の障害者福祉制度に致命的な禍根を残すことであって、絶対に許されないことなのです。

 この点、「お金を払うことで権利性が高まる」などと主張して応益負担を擁護する意見もありますが、はっきりと誤りです。

 ここで対象となっているのは、障害者にとって、障害に起因する社会的不利益を是正するための必要な公的支援に関する公的権利であって、憲法の保障する生存権、平等権、幸福追求権に基づくものです。

 その権利がいくら支払ったかで権利の強弱が連動するのですか?

 お金のない人には支援のための権利が弱くなるのですか。

 生活保護を受ける権利の保障請求を求める人はお金がない以上、その公的権利は薄弱なものなのですか。大金持ちになってから強い権利に基づいて生活保護受給請求権を行使すればいいのでしょうか。もうお分かりでしょう。


 国は「決め細やかな低所得者対策を講じているから問題ない」と必ず弁明してきます。

 しかし、法施行1年目の2006年に発表された「特別対策」も、翌年発表された「緊急措置」も、全国の障害者の悲痛な叫びに押されて、国はその対策をせざるを得ない状況に追い詰められたに過ぎません。

 このことは、法の規定する「利用料原則1割負担」という法の仕組み自体に根本的な過ちがあることを雄弁に証明しています。

 小手先の継ぎ接ぎの小細工を重ねたところで、根本の禍根を断たなければ、本質的な解決にはならないのです。



 この障害者自立支援法訴訟は、障害のあるなしに関わらず誰でも安心して住める社会をめざす裁判です。 

 障害者を排除する社会はもろく弱い社会です。


障害者の父親意識調査 広島県立大・三原教授まとめ

2009年06月11日 00時51分33秒 | 障害者の自立
「人間関係広がる」 周囲が冷たい視線 しつけで悩む 家族での外出制限
 県立広島大保健福祉学部(広島県三原市)の三原博光教授(53)が、阪神間などで障害のある子どもと暮らす父親の生活意識についてのアンケート結果をまとめた。これまでの調査は母親中心だったといい、三原教授は「核家族の多い現代では、母親だけで問題を解決するのは困難で、父親の協力が不可欠。課題を明らかにした上で、支援について考えるきっかけにしたい」と話している。

 調査は2007年8月~08年10月、西宮や宝塚など阪神間4市のほか、東京、広島、山口の3都県で、障害児のいる家庭の父親を対象に実施、342人から回答があった。約7割が50歳以上(子どもが49~19歳)で、知的障害の子どもが多かった。

 アンケートでは、子どもに障害があると知った時の気持ちや、子どもの障害について職場の同僚に知らせた際の反応などについて質問。「障害者を持ったことで良い理由」との質問には「他の障害者家族や多くの人々と知り合うことができた」(29・1%)、「人の優しさを知ることができた」(24・5%)など、人間関係の広がりを肯定的に受け止める意見が多かった。

 一方、「つらい理由」は「周囲の冷たい視線や無理解を感じた」(27・8%)、「子どものしつけで悩む」(24・3%)、「家族での外出が制限される」(22・3%)など複雑な心境が吐露された。

 回答者の9割が行政による経済的支援や、障害者の働ける場所、親の死後に子どもを預けられる施設の充実を望んでいることもわかった。

 三原教授は「父親らが家庭や社会で抱える問題に対処できるよう、福祉関係者らは葛藤(かっとう)を理解しつつ支援を考えることが必要だ」と話している。


聴覚障害者への情報担い手、要約筆記者養成 記者が体験講座受講

2009年06月11日 00時49分37秒 | 障害者の自立
メモの字乱れ難しさ実感
 手話が使えない中途失聴・難聴者に、文字で発言内容を伝える「要約筆記」の体験講座が、伊賀市馬場の阿山保健福祉センターで開かれ、私も妻と一緒に受講した。「人の話を要約して文章にする。常日頃、私がしている仕事じゃないか」。最初は軽い気持ちだったが、講座が進むうち甘い認識は吹っ飛び、「要約筆記者はすごい!」とうなった。

市内に失聴者550人、県講座修了者は9人
 「一緒に受講して」。きっかけは、聴力がひどく低下した妻からの強い誘いだった。三重県伊賀市が約3年ぶりに企画した体験講座で、私たちを含め伊賀、名張市の15人が集まった。

 県全域で活動する「三重パソコン要約筆記サークルことのは」代表の横山慶さん(32)と、伊賀市内保の中途失聴者、窪崎紀美子さん(51)が対談。窪崎さんは「電子体温計の高い音が聞こえなくて困る。マイカーの消灯警告音に気づかず、バッテリーが上がってしまったことも」と体験を披露した。

 横山さんは「聴覚障害には音が小さく聞こえないタイプのほかに、音量は十分で聞こえているが、もやもやして言葉が判然としない『聞き取れない』タイプがある。こちらは補聴器を使っても効果がない」と説明。外見から聴覚障害と分からず、「あいさつしたのに無視された」などの誤解を受けやすいという。


 宮崎駿監督のアカデミー受賞アニメ映画「千と千尋の神隠し」のワンシーンを、音声・字幕なし、音声なし・字幕付き、音声・字幕付きの3パターンで鑑賞。感想を聞くと「音声がないと、絵の動きから懸命にストーリーを想像するが、さっぱり分からない」「字幕は健聴者の理解も助ける。日本映画にも字幕が必要だ」との声が相次いだ。

 「手書き要約筆記サークル・カワン」代表、町野和子さん(54)の指導で、手書きの「ノートテイク」(個人通訳)に挑戦。「今朝起きて、目玉焼きを作ったんですね。焼き方には色々あるでしょ……」と、町野さんが読み上げる話し言葉を、素早く要約してペンで書いていく。取材で談話をメモするのと同じだが、失聴者役の人に読んで理解してもらうのが大前提。いつものミミズがのたくった字じゃだめだ。「目たまやき、何つける マヨ しょうゆ しお?」――。字は乱れに乱れ、まるで暗号だ。

 パソコン実習では、仕事柄、他の受講者よりも入力が速く、いい気分だった。でも、童謡に合わせて歌詞を入力する体験では「春よ来い」が「張る横井」になり、変換し直すうちに歌が先に進み、すっかり頭はパニック状態。歌が終わったとき、画面には「春よ来い 待っている」と、極端に“要約”した歌詞が表示されていた。


 伊賀市障がい福祉課の手話通訳士・伊倉睦美さん(52)によると、市内には障害者手帳を持つ失聴者が約550人いるが、日常生活に支障を来すほど聴覚を失いながら手帳を交付されない人を含めれば、数千人いるとされる。これに対し、県の養成講座を経た要約筆記者は、市内に9人しかいないのが現状だ。

 「障害によって情報から取り残される人を生んではいけない」。伊倉さんは、あらゆる人に必要な情報が与えられる「情報保障」が不可欠と訴える。要約筆記者がもっと増え、会合や講演会など様々な場で、要約筆記が用意されているのが当たり前の社会を実現させたいと、私も強く思った。


「手で感じる生け花」 視覚障害者ら体験 大阪

2009年06月11日 00時48分21秒 | 障害者の自立
 視覚障害者のためのいけばな講座を行っている「むらさきつゆくさの会」は9日、手で触って楽しむ生け花の体験会を、大阪市中央区のドーンセンターで開いた。

 体験会は同会の創設15周年記念イベント「手でみるいけばな」として開催され、約200人が来場した。

 シャクヤクやヒマワリ、バラなどを使った目の不自由な受講生の作品約10点が並び、華やかな雰囲気。体験コーナーでは、参加者と受講生が一緒にリアトリスやナルコユリなどの花材を使い、手で花の位置を確かめながらいけこみに挑戦した。

 受講生の小泉太都央さん(68)=平野区=は「きれいと言ってもらえると疲れが吹き飛びますね」と話していた。

 同会は大阪YWCA(北区)のボランティア活動の一環として平成6年6月に誕生。未生流中山文甫会の協力を得て月1回、受講生14人とボランティア16人が稽古に励んでいる。

湯浅誠/3 障害者の兄との生活、原点

2009年06月11日 00時46分30秒 | 障害者の自立
 ◇MAKOTO YUASA
 <3歳年上の兄郁夫さんは、進行性の筋萎縮(いしゅく)症を患う重度障害者。幼いころ、兄の車いすを押しながら、周囲に特別な目で見られていると感じていた>

 東京の小平に住んでいた小学生のころ、歩いて7~8分の養護学校まで兄を迎えに行き、車いすを押して帰ることがありました。大通りを通れば1回曲がるだけで家の前に着くんですが、兄は平屋の公営住宅の間を抜ける、くねくねした道をあえて選ぶんです。

 3年か4年生の時、兄の希望を聞かずに大通りを選んでしまい、口論になった記憶があります。本来は介助者がそんなことをしてはいけないんでしょうが、兄に対して「もっと堂々とすればいいじゃねえか」と反発していたんです。家に帰ると、兄は母に「もう誠に送り迎えしてほしくない」と訴えていたように思います。兄にすれば「なんでオレの言うことを聞かないんだ」という気持ちですよね。

 通りすがりに、じろじろ見られていることには気付いていました。今なら、社会を変えようと考えますが、子供だからそんなことも分からず、兄と衝突してしまったんです。

 <兄が障害者だったからこそ経験できたことが、その後の人生に影響を与えている>

 物心ついた時から、家にはいつも、兄のためにボランティアの人たちが来ていて、兄弟で一緒に遊んでもらっていました。普通の子供は学校の同級生との付き合いが中心になりますが、私はいろいろな人に接していたんです。その経験は、自身の人生にプラスになっていると思います。

 でも、割を食ったと感じたこともあります。5年生になるとアニメの「機動戦士ガンダム」がはやり、毎日午後5時半からテレビを見るのを楽しみにしていました。そのころ、兄が塾通いを始めたんです。授業は午後6時から。その15分前、ガンダムの合間のCMに入った時に家を出ないと遅刻です。だから、兄を塾に送って行く日はテレビを最後まで見ることができませんでした。あの時だけは、むちゃ恨みましたね。

 <母尚子さんは「手のかからない子で、兄と支え合って勝手に育った」と振り返る。無鉄砲に思える行動を止めることもなかった>

 兄弟げんかをすると、普通は兄貴が責められると思うんですが、うちで怒られるのは、いつも私でした。だから、泣きわめけばあやしてもらえるという感覚は早くから捨てていたように思います。母ちゃんが「勝手に育った」と言うのは、そういう意味じゃないですかね。

 両親がよく許してくれたと思いますが、中2で京都まで一人旅をしました。その時、自転車で旅をしていた大学生のグループに可愛がってもらい、渡月橋のたもとの公園に張ったテントに一晩泊めてもらったんです。あれが、初めての「野宿」です。高2の夏には、東京から九州の小倉まで自転車で行きました。途中で出会った人の家に泊めてもらったりして。距離は1300キロほどありましたが、楽しい思い出です。

 強盗に襲われて、怖い思いもしました。大学1年の夏休みに中南米を1人で旅行した時、コスタリカの海岸沿いの道を歩いていて、いきなり後ろから突き飛ばされたんです。相手は5~6人の若い男で、石や棒を手に「金を出せ」と。さすがに殺されるかと思いましたね。

 <大学に入ると、東京都杉並区の児童養護施設「杉並学園」で勉強を教えるボランティアを始めた>

 子供のころお世話になった経験から、自分も大学生になったら、恩返しをしようと決めていました。ボランティアセンターで、たまたま紹介されたのが杉並学園です。

 冒険が好きで、探検部に入ろうと思ったこともあるんですが、結局、学園でのボランティアが楽しくて、2年近く、はまりました。学園には、他の大学の学生だけでなく、主婦や元プロボクサーまで、いろんな仲間がいました。あのころから、いろいろな人が集まる場所が好きだったんです。やっぱり、子供のころから年上の人たちに接していたせいかもしれませんね。


 ■人物略歴

 ◇ゆあさ・まこと
 NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」(01年設立)事務局長。東京都生まれ。東京大大学院在学中から渋谷で野宿者支援に携わる。08年末~年明けの「年越し派遣村」村長も務めた。40歳。