芦別市、2000年に指摘 道4年対応せず 机上の認定、詐取温床に
耳がほとんど聞こえない「全ろう」の障害者に発行された約8000冊の身体障害者手帳のうち、877冊は、たった一人の医師の診断書に基づいていた。虚偽診断が見過ごされた結果、障害年金の不正受給から税金の減免まで、詐取された公金は総額で10億円余に上る。道内では、昨年も滝川市で巨額の生活保護費が詐取される事件が摘発されたばかり。なぜ社会保障費ばかりが狙われるのか。福祉行政の対応を検証した。
「あれ、どうして声が聞こえたんだろう」
芦別市で1999年頃、福祉担当だった職員は、身体障害者手帳の交付手続きで順番待ちをしていた申請者を呼び出そうと、つい声をかけてしまった。
相手は、聴覚障害のある申請者。「しまった」と思ったが、次の瞬間、相手の反応に驚いた。「全ろう」のはずが、名前を呼ばれて振り返ったからだ。
書類に不備はなかったため、申請は受理したものの、「どうやって医師の診断書を手に入れたのか」と不思議だった。その後も、不自然な聴覚障害の手帳申請者が増え続け、診断書を作成した医師に目が止まった。
そこには、札幌市の耳鼻咽喉(いんこう)科医、前田幸アキ(よしあき)容疑者(74)(詐欺容疑などで逮捕)の名前が記されていた。
芦別市のこの職員は2000年、道の福祉担当者の会議で「普通に会話ができる『全ろう』患者が大勢、市の窓口に申請に訪れている。異常事態だ」などと報告した。しかし、道側から具体的な反応はなく、そのまま問題は放置された。
前田容疑者が作成した虚偽診断書による申請がピークを迎えたのは04年頃。年間150件と際立っていた。芦別市だけでなく、道内の7市町村が不審な申請に気付いていたが、通報に接した16人の道職員は問題を深刻に受け止めなかった。他の自治体に注意喚起をすることはなく、後任にも引き継いでいなかったという。
道がやっと重い腰を上げたのは同年12月。福島町からたびたび相談を受けた渡島支庁からの報告で、前田容疑者の診断書に問題があることが判明。05年2月に各自治体に注意喚起した。 しかし、申請窓口の自治体では、診断書に不備がなければ申請を受理せざるを得ない。「診断書は絶対的なもの。医師を疑うわけにいかない」「おかしいと思っても、診断書があれば覆せない」。自治体の担当者らはそう指摘する。
結局、道の注意喚起も、受理の凍結など具体的な対策が徹底されなかったため、その後も虚偽診断書をもとに61冊の手帳が発行されていた。こうした点について、道障害者保健福祉課では、「検証していないのでわからない」としている。
「市は当然すべきことをしていなかった」。滝川市が06~07年、元暴力団員の男らに2億円超の生活保護費などを詐取された事件。事件を検証した第三者委員会が指摘したのは、医師の診断の前に無力だった、同市の対応だ。
同市が高額のタクシー料金を給付し続けたのは、「札幌への通院が必要」とする医師の診断があったからだった。市は、その後の内部調査でも「医師の見解に反することは困難だった」としたが、市とは別に調査を行った第三者委は、具体的な病状調査などを行っていれば無駄な出費は回避できたと指摘した。
「今回の聴覚障害偽装事件も構図は同じ」。そう指摘するのは、社団法人「北海道ろうあ連盟」事務局長の石澤美和子さん。「机上で判断していなければ被害は防げたはずで、行政の悪い面が出た。これでは本当の障害者たちが手帳を使いづらくなった」と事件の影響を懸念する。
社会保障は、審査を厳格化すれば支援が必要な人たちにサービスが行き届かなくなる恐れがある。逆に審査が甘すぎれば、犯罪を呼び込む懸念も生じる。社会保障の「質」を落とさずに、犯罪の拡大を防ぐ手立てはあったはずで、公金の詐取を見過ごしてきた行政は、単純に被害者だったとは言えない。
今回の事件が突きつけた教訓は、あまりにも重い。
耳がほとんど聞こえない「全ろう」の障害者に発行された約8000冊の身体障害者手帳のうち、877冊は、たった一人の医師の診断書に基づいていた。虚偽診断が見過ごされた結果、障害年金の不正受給から税金の減免まで、詐取された公金は総額で10億円余に上る。道内では、昨年も滝川市で巨額の生活保護費が詐取される事件が摘発されたばかり。なぜ社会保障費ばかりが狙われるのか。福祉行政の対応を検証した。
「あれ、どうして声が聞こえたんだろう」
芦別市で1999年頃、福祉担当だった職員は、身体障害者手帳の交付手続きで順番待ちをしていた申請者を呼び出そうと、つい声をかけてしまった。
相手は、聴覚障害のある申請者。「しまった」と思ったが、次の瞬間、相手の反応に驚いた。「全ろう」のはずが、名前を呼ばれて振り返ったからだ。
書類に不備はなかったため、申請は受理したものの、「どうやって医師の診断書を手に入れたのか」と不思議だった。その後も、不自然な聴覚障害の手帳申請者が増え続け、診断書を作成した医師に目が止まった。
そこには、札幌市の耳鼻咽喉(いんこう)科医、前田幸アキ(よしあき)容疑者(74)(詐欺容疑などで逮捕)の名前が記されていた。
芦別市のこの職員は2000年、道の福祉担当者の会議で「普通に会話ができる『全ろう』患者が大勢、市の窓口に申請に訪れている。異常事態だ」などと報告した。しかし、道側から具体的な反応はなく、そのまま問題は放置された。
前田容疑者が作成した虚偽診断書による申請がピークを迎えたのは04年頃。年間150件と際立っていた。芦別市だけでなく、道内の7市町村が不審な申請に気付いていたが、通報に接した16人の道職員は問題を深刻に受け止めなかった。他の自治体に注意喚起をすることはなく、後任にも引き継いでいなかったという。
道がやっと重い腰を上げたのは同年12月。福島町からたびたび相談を受けた渡島支庁からの報告で、前田容疑者の診断書に問題があることが判明。05年2月に各自治体に注意喚起した。 しかし、申請窓口の自治体では、診断書に不備がなければ申請を受理せざるを得ない。「診断書は絶対的なもの。医師を疑うわけにいかない」「おかしいと思っても、診断書があれば覆せない」。自治体の担当者らはそう指摘する。
結局、道の注意喚起も、受理の凍結など具体的な対策が徹底されなかったため、その後も虚偽診断書をもとに61冊の手帳が発行されていた。こうした点について、道障害者保健福祉課では、「検証していないのでわからない」としている。
「市は当然すべきことをしていなかった」。滝川市が06~07年、元暴力団員の男らに2億円超の生活保護費などを詐取された事件。事件を検証した第三者委員会が指摘したのは、医師の診断の前に無力だった、同市の対応だ。
同市が高額のタクシー料金を給付し続けたのは、「札幌への通院が必要」とする医師の診断があったからだった。市は、その後の内部調査でも「医師の見解に反することは困難だった」としたが、市とは別に調査を行った第三者委は、具体的な病状調査などを行っていれば無駄な出費は回避できたと指摘した。
「今回の聴覚障害偽装事件も構図は同じ」。そう指摘するのは、社団法人「北海道ろうあ連盟」事務局長の石澤美和子さん。「机上で判断していなければ被害は防げたはずで、行政の悪い面が出た。これでは本当の障害者たちが手帳を使いづらくなった」と事件の影響を懸念する。
社会保障は、審査を厳格化すれば支援が必要な人たちにサービスが行き届かなくなる恐れがある。逆に審査が甘すぎれば、犯罪を呼び込む懸念も生じる。社会保障の「質」を落とさずに、犯罪の拡大を防ぐ手立てはあったはずで、公金の詐取を見過ごしてきた行政は、単純に被害者だったとは言えない。
今回の事件が突きつけた教訓は、あまりにも重い。