ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者家族文化祭:発表、生徒の自信に 和太鼓演奏、絵画展示も--和歌山 /和歌山

2011年03月15日 01時52分07秒 | 障害者の自立
 障害者家族のつながりを広める文化祭(同実行委主催、毎日新聞和歌山支局など後援)が6日、和歌山市中之島の県立体育館であり、支援学校の生徒による和太鼓演奏や模擬店などで約4000人の市民が交流を深めた。

 孤立しがちな障害者家族や中小障害者団体などが互いに関係を深めることが目的で、今年で34回目。県立ろう学校や県立盲学校、各支援学校、共同作業所など、同市周辺の34団体が参加した。

 会場では、各学校の生徒が制作した絵画や工作などが展示され、訪れた人は豊かな芸術表現に見入っていた。社会福祉法人一麦会理事長の田中秀樹・実行委員長は「大きな舞台で発表する機会は少ないので、発表は生徒たちの大きな自信になっている」と話した。プロ野球独立リーグ・紀州レンジャーズの選手による野球教室もあり、支援学校の生徒がバットを手に打撃の手ほどきを受けた。選手が投げたボールを鋭いスイングで打ち返すと、「ナイスバッティング」と声が上がり、生徒は満面の笑みで喜びを表していた。

毎日新聞 2011年3月13日 地方版

軽、中等度聴覚障害 支援など意見交換

2011年03月15日 01時50分40秒 | 障害者の自立
中京でシンポ

 軽、中等度の聴覚障害を考えるシンポジウム(聴覚障害教育京都フォーラム主催)が13日、中京区の京都アスニーで開かれ、難聴者や保護者ら約60人が集まり、意見を交換した。

 身体障害者手帳が交付されない軽、中等度の聴覚障害は、難聴に気づくのが遅れる場合があることや、補聴器の購入費など金銭的な負担が問題になっている。

 シンポでは、京都聴障児親の会の福田全克会長が、児童を対象に補聴器の購入補助が来年度から京都市で始まることを報告。「他の自治体でも広がるように声を上げたい」とあいさつ。

 難聴者からは「子どもの頃から会話に緊張やストレスを感じていたが、大学生で手話に出会ってコミュニケーションの楽しさを知った」と、児童の段階から手話を習得する大切さを訴える意見が出され、難聴の子どもを持つ親は「補聴器の早期装着は言葉の発達に関わり、情報の共有やサポートが必要」と話した。

(2011年3月14日 読売新聞)

【東日本大震災】政府、官邸会見に手話通訳

2011年03月15日 01時47分52秒 | 障害者の自立
 政府は13日、東日本大震災を受け首相官邸で行われる記者会見について手話通訳を始めた。聴覚障害者に素早く情報提供するためで、菅直人首相や枝野幸男官房長官の会見が対象。2週間程度続け、その後については状況を見て判断する。

 手話通訳は13日午後の枝野氏の会見から開始。2人の手話通訳士が交互に枝野氏のそばに立ち、実施した。

MSN産経ニュース

手話相談員を増員 廿日市市

2011年03月15日 01時42分34秒 | 障害者の自立
 廿日市市は4月、非常勤の手話相談員を1人増員する。市役所には現在、いずれも非常勤の相談員と相談補助員を1人ずつ配置するが、聴覚障害者たちの外出に同行し、不在となるケースが増えたことに対応する措置。手話ができる職員がいない4支所と市役所を結ぶテレビ電話も新たに設置する。

 3人態勢で、聴覚や言語に障害がある人を対象に福祉サービスや日常生活についての手話相談、市民課などの窓口で行政手続きの通訳にあたる。病院受診などの外出にも同行する。午前8時半~午後5時の開庁時間には、最低1人が市役所に待機する。

 テレビ電話は7月をめどに市役所と各支所に設置。障害者が最寄りの支所から手話相談員とのやりとりができるようになる。

 2010年度の手話相談の利用件数は1月末時点で3828件。合併した旧町村からの利用が年々広がり、10年度の月平均の利用件数は07年度比で5割増となっている。

 窓口や外出先での通訳依頼も544件に上る。相談員が利用者の外出に同行して不在となり、「窓口に相談員がいない」との苦情が寄せられることも多かった。


窓口で障害者とやりとりする手話相談員(右)

中国新聞

記者の目:ホームドア整備し安全な駅に=佐木理人

2011年03月15日 01時38分58秒 | 障害者の自立
 1月16日、貴い命が失われた。JR山手線目白駅ホームでの全盲男性の転落死亡事故だ。各メディアは事故を大きく取り上げ、視覚障害者にとっての駅ホームの危険性が改めて浮かび上がった。しかし、「それほど危険なら一人で駅を利用しなければいい」といった見方を助長しないか心配だ。視覚障害者は「それでも自由に歩きたい」という強い思いを持っている。同じ全盲であり、駅ホームから転落した経験者として、安全なホーム作りを改めて訴えたい。

 ◇事故で重傷負い改善求めて提訴

 95年10月、大学生だった私は、大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅のホームで列車を降り白杖(はくじょう)を使って歩くうちに、柵のないホーム端で列車と接触し十数メートル引きずられた。命は取りとめたものの、手足を骨折し頭を三十数針縫う重傷だった。

 半年にわたる入院生活の間に、多くの視覚障害者が「人ごととは思えない」と駆け付けてくれた。一人歩きする視覚障害者の3人に2人が駅ホームからの転落経験を持つという調査結果もあり、駅ホームは「欄干のない橋」とまで表現される。その危険を身をもって痛感し、「生き残った者として何ができるか」と、考え抜いた末、大阪市に損害賠償を求め提訴した。

 訴訟の目的は、事故現場の早期改善と駅ホームにおける視覚障害者の歩行の現状を社会に知ってもらうことで、8人の弁護士が手弁当で協力してくれた。いわゆる「交通バリアフリー法」は制定されておらず、「バリアフリー」という言葉さえ耳新しい時代。それでも、傍聴席は毎回多数の支援者で埋まり、生々しい転落経験も寄せられた。皆が一丸となり「最後のとりで」である司法の判断を待った。

 01年の地裁判決は敗訴。当時の安全水準から見て、事故現場の安全性は劣っていなかったと判断された。予想外の判決に、全身が凍りつき、声も出なかった。さらなる判断を求めた高裁では、新たな証拠の採用や事故状況の再現ビデオの上映などが実現し、03年6月、和解が成立。視覚に障害のある乗客が安全に利用できる駅の実現に努めるとの条項とともに、事故現場に転落防止柵が設置された。

 その後、大阪市営地下鉄は、車両番号・扉位置の点字・触図を全車両に表示(04年)。点字ブロックの横にあって、どちらがホームの内側かを凸型で示す黄色の「内方線」も全駅ホームに敷設(07年度)するなど、安全に向けた積極的な取り組みを推進した。あの事故から15年余りが過ぎた今年、列車停止時に開閉するホームドアを御堂筋線の全駅に設置すると発表した。

 活動を通して痛感したのは、私だけでなく、多くの視覚障害者が「安全に歩きたい」という思いと同じくらい、「(健常者のように)いつでも、どこへでも自由に行きたい」と願っていることだ。

 私も毎日の通勤や取材では、ほとんど一人で歩いている。確かに同僚や家族による介助や視覚障害者の外出を支援するガイドヘルパー制度などを利用すれば、安全に移動できる。しかし、ガイドヘルパー制度は通学や通勤には利用できない。また、常にだれかと歩かなくてはならないとなると、かなりの気遣いと時間的制約が生じるものだ。もちろん、周りの人たちの声かけやその場での手助けはたいへんありがたい。その温かさに感謝しつつ、一人の人間として「自由に歩ける」喜びは大切にしたいのだ。

 国土交通省によると、09年度の駅ホームでの人身死傷事故(自殺を除く)は193件。視覚障害者だけの問題ではない。ホームドアは、車いす使用者や子供連れ、認知症の人たちなどさまざまな乗客にとっても有効な設備だが、ようやく国レベルの設置基準の検討が始まったばかりで、国内全駅設置までの道のりは遠い。視覚障害者をはじめとする交通弱者の利用実態や過去の転落事例を踏まえた整備計画が必要だ。

 ◇内方線敷設などすぐに実行を 

 また、その前に、すぐに着手可能な方策は決して少なくない。例えば「内方線」はすぐに全駅に敷設すべきだ。駅ホーム上の階段を示す音声案内を設け、必要な駅員も配置してもらいたい。ホームドア化に伴う車両改造に対する国庫補助の創設、駅施設のバリアフリーガイドラインの法的義務化なども必要だ。

 駅ホームは、さまざまな人たちが行き交う公共空間だ。どうすれば、だれもが安心して自由に利用できるものになるかを、あらゆる立場の人たちが知恵を出し合い、実行に移していくことが急務だ。視覚に障害のある仲間を次々と失った私も、生き残った者の務めとして、できるかぎりの発信を続けていきたい。

毎日新聞 2011年3月15日 0時42分