ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

福祉施設で芋焼酎販売 その名も「自立」 行橋市

2011年03月30日 01時38分02秒 | 障害者の自立
 行橋市南泉の障害者福祉施設「社会福祉法人 みぎわ会 わーく・いずみ」の利用者が栽培に取り組んだサツマイモを原料にした「本格芋焼酎 自立」が完成、28日から施設での販売を始めた。収益の一部が、施設利用者の工賃となる。

 障害者の自立を目指し、2008年度から県が始めた事業で、同施設は本年度初めて参加。昨年6-11月に精神障害がある30-70代の全利用者15人が近くの1300平方メートルの畑で、焼酎づくりに適したジョイホワイトという品種のサツマイモを栽培。焼酎約1300本分の原料になる約1・4トンを収穫した。

 県内のほか8施設で栽培したイモと合わせ、宇美町の酒造会社「小林酒造本店」が焼酎に加工し、各施設で販売する。

 利用者の男性(44)は「雨が降らずに水やりに苦労したが、みんなで一生懸命育てることができてうれしい」と話した。商品は720ミリリットル入りで1260円(税込み)。アルコール度数は25度、フルーティーな味わいが特徴という。問い合わせ先は同施設=0930(24)1584。

=2011/03/29付 西日本新聞朝刊=

佐賀の取り押さえ死亡、巡査長に無罪 地裁、暴行認めず

2011年03月30日 01時34分50秒 | 障害者の自立
 佐賀市の路上で2007年9月、知的障害者の安永健太さん(当時25)が複数の警察官に取り押さえられた直後に死亡した問題で、安永さんを殴って負傷させたとして特別公務員暴行陵虐致傷罪に問われた佐賀県警巡査長の松雪大地被告(30)に対する判決が29日、佐賀地裁であった。若宮利信裁判長は松雪被告による暴行を認めず、無罪を言い渡した。

 争点は、被告による殴打があったかどうか。判決は、検察官役の指定弁護士が根拠とした、被告が安永さんを殴るのを現場付近の飲食店から見たという女性の証言などの信用性を認めなかった。

 指定弁護士は、松雪被告が07年9月25日午後6時ごろ、同僚4人と安永さんを取り押さえた際に複数回殴って安永さんにけがをさせたと主張、懲役1年を求刑していた。

 安永さんは取り押さえられた直後に死亡したが、松雪被告に対して起訴と同じ効力を持つ付審判を決定した佐賀地裁の別の裁判官は、取り押さえと死亡の因果関係は認めなかった。そのため、今回の裁判で致死責任は争点になっていない。

朝日新聞

取り押さえ死 警官無罪 佐賀地裁判決

2011年03月30日 01時32分49秒 | 障害者の自立
 佐賀市の路上で2007年9月、知的障害者の安永健太さん=当時(25)=が警察官に取り押さえられた直後に死亡した事件で、遺族の付審判請求による特別公務員暴行陵虐致傷罪に問われた佐賀県警巡査長、松雪大地被告(30)に対する判決公判が29日、佐賀地裁であった。若宮利信裁判長は無罪(求刑懲役1年)を言い渡した。

 公判では、松雪巡査長による殴打行為の有無が争われた。松雪巡査長らが健太さんを取り押さえた現場を目撃した市民ら13人、司法解剖した医師などが証人出廷。検察側は「目撃者の一部は『左腕を振り下ろして殴ったようにみえた』と証言している」などと主張したが、判決で若宮裁判長は「取り押さえ行為を見間違えた可能性は否定できない」と退けた。

 公判で弁護側は「適切な保護行為」と暴行を否定。松雪巡査長も最終陳述で「暴行、傷害を負わせたことは全くない」と無罪を主張していた。

 付審判決定書などによると、松雪巡査長は同僚警察官とともに07年9月25日午後6時ごろ、佐賀市の路上で、自転車で蛇行運転しミニバイクと衝突した健太さんを取り押さえた。健太さんは直後に意識不明となり、搬送先の病院で死亡した。

 遺族は08年1月、健太さんが胸などを殴られるなどの暴行を受け死亡したとして、現場に居合わせた警察官数人を特別公務員職権乱用等致死容疑で佐賀地検に告訴。不起訴処分となったため、同年4月に付審判請求。佐賀地裁は09年3月、特別公務員暴行陵虐罪で松雪巡査長の付審判を決定した(後日、訴因変更)。

=2011/03/29付 西日本新聞夕刊=

取り押さえ直後死亡、付審判の警官無罪

2011年03月30日 01時29分40秒 | 障害者の自立
 佐賀市内で2007年9月、知的障害者の安永健太さん(当時25歳)が警察官に取り押さえられた直後に死亡した問題で、特別公務員暴行陵虐致傷罪に問われた佐賀県警の松雪大地巡査長(30)に対する審判の判決が29日、佐賀地裁であった。

 若宮利信裁判長は、懲役1年の求刑に対し、「暴行を確信を持って認定できない」として無罪を言い渡した。

 起訴状に当たる付審判決定書などでは、松雪被告は07年9月25日夕、佐賀市内の歩道で安永さんを取り押さえようとした際、胸などを数回殴って約1週間のけがを負わせた、とされたが、判決は、「(松雪被告が)手を3回振り下ろし、たたいているように見えた」とする女性の目撃証言などについて、「ほかの証言者と内容が矛盾し、見誤ったことは払拭できず、十分な信用性は認めがたい」と指摘した。

 また、安永さんの胸の打撲痕に関して司法解剖を担当した医師が「拳が当たったとしても矛盾しない」とした点についても、「取り押さえた際、指による圧迫などの可能性が考えられ、拳によるものとは推認できない」と判断した。

 松雪被告は審判で「精神錯乱状態と感じて保護行為をした。暴行を加えていない」などと一貫して無罪を主張していた。

 この問題を巡っては、巡回中の松雪被告らが、自転車で車道を蛇行するなどしていた安永さんを取り押さえたが、安永さんは約1時間後に死亡。死因は心臓性急死で、遺族は特別公務員暴行陵虐致死罪での審判を求めたが、地裁は適用せず、同致傷罪で審理された。審判には現場を通りかかった人や一緒に取り押さえた警察官ら計23人が証人として出廷した。

(2011年3月29日 読売新聞)

76歳の中橋さん 4月から支援学校へ入学

2011年03月30日 01時27分43秒 | 障害者の自立
 体に障害があるため、76歳になった現在まで学校に通ったことがなく、支援学校への入学を要望していた美浜町の中橋健さんが4月から、地元のみはま支援学校に通うことになった。支援者が7000人以上の署名を提出した結果、県教委が中学部3年生への編入を許可。言葉が不自由な中橋さんは文字盤を1字ずつ指し示しながら、「皆さんのご支援のおかげ。とてもうれしいです」と笑顔ながら、4年間の学校生活を乗り切れるかという年齢的な不安ものぞかせる。
 中橋さんは知的障害はないが、子どものころの高熱の後遺症で手足が不自由となり、思うようにしゃべることもできない。会話は主に文字盤を使って行い、現在は美浜町の養護老人ホームときわ寮に入所している。体が不自由で、学校でいじめられることを心配した祖母が就学免除の措置をとったため、小中学校には通うことができなかった。和歌山病院の重症心身障害児者病棟に入院中にみはま養護学校が開設されたときも、40歳を過ぎていたため、「学齢期を超えている」という理由で入学はかなわなかった。しかし、「みんなと同じように学校で学びたい」という思いは消えることがなく、昨年、障害者の生活と権利を守る御坊日高連絡協議会(山田慈子会長)などの支援者が署名活動を展開し、県教委に対して7000人以上の署名を提出。今回、みはま支援学校中学部3年生への編入という形で就学が認められた。
 中橋さんは「(障日協の)川口先生らに署名を集めていただいた結果、県教委が認めてくれ、喜んでいます。学校ではすべての教科を習いたい」と笑顔。しかし、76歳という年齢から不安もあり、「うれしいことはうれしいけど、いつ認知症になるかもわからず、高校卒業までの4年間、頑張れるともこの場では約束できないと思います」という。
 障日協の山田会長は「今回の運動では、障害者や年齢に関係なく、だれもが教育を受ける権利を有しているということ、その大切さがあらためて確認されたと思います。私たちの要求を真摯に受け止めて下さった県教委、学校関係者に対しても深く感謝しています」と話している。

日高新報