東日本大震災で被災した福島県の重度心身障害者7人が、県内の施設に身を寄せている。受け入れ側も計画停電や物資の不足に頭を痛めるなか、家族と離れた障害者たちが笑顔で暮らせるようケアに励んでいる。
「お肉だよ。食べる?」
重度の心身障害児が暮らす高崎市足門町の「群馬整肢療護園」の食堂で、車いすの女児(12)が看護師の運ぶスプーンをほおばっていた。
少し間があくと、女児は看護師の体をぽんぽんとたたいた。無邪気な催促に、周りの大人から笑顔がこぼれる。
そばにいるもう1人の女児(11)の車いすには「おちついたらまた会おう!! いってらっしゃい!!」と書かれた花の折り紙が飾られていた。
2人は福島県いわき市の福島整肢療護園から来た。四肢のまひや知的障害があり、11歳の女児は目が見えない。施設は福島第一原発から30キロ圏のすぐ外にある。暖房は使えず、水が出ないため職員が3キロほど離れた浄水場に通う。
2人をいわき市まで車で迎えに行った群馬整肢療護園の石川正克事務長は「家族は落ち着いたら会いに行くと言っていたが、いつ来られるか……。施設の近くの店は全部閉まっていたし、本当に大変だろう」と思いやる。
群馬でも一部の医薬品が手に入りづらくなっており、停電で職員が通勤できなくなるときもある。それでも、清水信三園長は「安心して任せてもらえるようスタッフは張り切っている」という。
渋川市の障害者支援施設「誠光荘」も、福島県相馬市から50代~60代の重度心身障害者4人を受け入れた。停電の間は非常灯しかつかず、水も止まる。自家発電機ではたんの吸引機を動かすのが精いっぱい。職員は階段で食事を運び上げ、懐中電灯を頼りに食事のケアをする。
真下宗司施設長は「職員には負担がかかるが、仲間が大変な思いをしている今、できることはやりたい」と話した。
重度の障害者40人を群馬や長野、静岡などが受け入れた。桐生市の両毛整肢療護園も障害児を1人迎えている。

福島の施設から来た女児は、看護師の介助で元気に食事をとっていた=高崎市足門町
朝日新聞
「お肉だよ。食べる?」
重度の心身障害児が暮らす高崎市足門町の「群馬整肢療護園」の食堂で、車いすの女児(12)が看護師の運ぶスプーンをほおばっていた。
少し間があくと、女児は看護師の体をぽんぽんとたたいた。無邪気な催促に、周りの大人から笑顔がこぼれる。
そばにいるもう1人の女児(11)の車いすには「おちついたらまた会おう!! いってらっしゃい!!」と書かれた花の折り紙が飾られていた。
2人は福島県いわき市の福島整肢療護園から来た。四肢のまひや知的障害があり、11歳の女児は目が見えない。施設は福島第一原発から30キロ圏のすぐ外にある。暖房は使えず、水が出ないため職員が3キロほど離れた浄水場に通う。
2人をいわき市まで車で迎えに行った群馬整肢療護園の石川正克事務長は「家族は落ち着いたら会いに行くと言っていたが、いつ来られるか……。施設の近くの店は全部閉まっていたし、本当に大変だろう」と思いやる。
群馬でも一部の医薬品が手に入りづらくなっており、停電で職員が通勤できなくなるときもある。それでも、清水信三園長は「安心して任せてもらえるようスタッフは張り切っている」という。
渋川市の障害者支援施設「誠光荘」も、福島県相馬市から50代~60代の重度心身障害者4人を受け入れた。停電の間は非常灯しかつかず、水も止まる。自家発電機ではたんの吸引機を動かすのが精いっぱい。職員は階段で食事を運び上げ、懐中電灯を頼りに食事のケアをする。
真下宗司施設長は「職員には負担がかかるが、仲間が大変な思いをしている今、できることはやりたい」と話した。
重度の障害者40人を群馬や長野、静岡などが受け入れた。桐生市の両毛整肢療護園も障害児を1人迎えている。

福島の施設から来た女児は、看護師の介助で元気に食事をとっていた=高崎市足門町
朝日新聞