ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

知的障害者ら製造 非常食を被災者へ

2011年03月27日 01時36分52秒 | 障害者の自立
 県内の8社会福祉法人でつくるNPO法人「チャレンジおおいた福祉共同事業協議会」(丹羽和美理事長)は知的障害者らが、防災意識の高揚を図ろうと作っている災害時の非常食「いのちのクッキー」を東日本大震災の被災地へ義援物資として送った。協議会はクッキーの普及を図っており、「災害弱者とされる障害者が防災を啓発することで、大分県民の防災意識も高めたい」としている。
 協議会は昨年11月、東南海・南海地震の発生を想定し、防災を呼び掛けようとクッキーの製造と販売を始めた。個別の包装に県の応援団“鳥”「めじろん」のイラストを描き「あわてずゆっくりね」「みんなで協力」などと、施設利用者の言葉を載せている。
 被災地へのクッキー作りは22、23の両日、暁雲福祉会「ウィンド」「八風・be」(大分市)、庄内厚生館「緑の家」(由布市)、県南福祉会「さつき園中江」(佐伯市)の4施設で実施。8枚ずつ300袋に入れ、23日に発送。日本財団(東京都)を通じて宮城県に届けられる。
 ウィンドでは15人がクッキー作りを担当。「クッキーを食べて、少しでもほっとする時間をつくってほしい」と一枚一枚に励ましの気持ちを込めた。他の利用者らも「できることをしよう」と被災者へ励ましの手紙を書いた。
 茨城県に妹が住む利用者の永瀬優美子さん(27)は「希望を持って頑張ってください。心と心はつながっているよ」とつづった。丹羽理事長は「避難所の厳しい生活を少しでも和ませることができれば」と話している。

大分合同新聞

【田野畑】障害者や外国人受け入れ 福祉施設

2011年03月27日 01時35分46秒 | 障害者の自立
 田野畑村のNPO法人ハックの家(竹下美恵子理事長)が運営する同村菅窪の福祉施設「ハックの家」で、被災した障害者や中国人従業員が避難し、共同生活を送っている。

 通所型福祉作業所の同施設には、住居を流されるなどした約20人が身を寄せる。水産加工場で働く中国人、障害者やその家族なども寝泊まりする。

 物資は満足とは言えず、野菜や雑炊などで食いつないできた。しかし、施設の中は明るさで満ちている。

 中国・吉林省出身の李虹(リコウ)さん(20)は「みんなといて楽しい。職員の人にお世話になり元気」と笑顔。23日は矢巾町のいわて食品(久慈レイ子会長)から食料品などが届けられ、避難者を喜ばせた。

 障害者や外国人は団体生活の面から、一般の避難所に身を寄せづらいのが現実。避難生活も長引き、竹下理事長は「精神不安定が一番の心配」と話す。

 身体に障害があり、津波で家が流失した同村羅賀の田子内トシヨさん(80)は「何十年と住んだ家がなくなるとは思わなかった。病後の支えだった趣味の短歌と庭いじりも奪われた」とうなだれる。

 それでも、竹下理事長の孫の高校合格祝いを避難者全員でするなど、一体感は強まっている。田子内さんは「食事もにぎやか。生きている幸せを感じる」としみじみ語る。

岩手日報

富士河口湖町がバリアフリーのモニターツアー

2011年03月27日 01時29分57秒 | 障害者の自立
 「宿の風情をそのままに味わいたい」「アクティブに活動している障害者の声を取り入れて」──。10、11の両日、山梨県富士河口湖町で、車いす利用者や視覚障害者らが宿泊施設や観光施設のバリアフリー化状況を検証した。参加者からは河口湖周辺のバリアフリー化状況について問題点の指摘があった一方、積極的な取り組み姿勢や障害者にやさしい観光地となりうる潜在的可能性を評価する声も聞かれた。

 検証は、同町内の観光活性化などに取り組む、富士山地域創造(小佐野常夫代表理事)が山梨県地域活性化促進事業の補助を受け実施したモニターツアーの一環として行ったもの。

 首都圏在住の電動車いす利用者4人、手動車いす利用者2人、全盲、弱視の視覚障害者3人が参加。3グループに分かれて町内各施設を移動、見学したほか、バリアフリールームを持つ旅館・ホテルに宿泊し、利用しやすさや問題点などをチェックした。

 このうち山梨宝石博物館や河口湖ハーブ館を回ったグループは、各施設の見学を楽しみながらも、施設内のスロープの危険性や多目的トイレの使いやすさ、展示方法などを、実際に利用する立場から確認。また介助に付いた町のボランティア参加者に、介助のコツなどを伝える姿も見られた。

 11日に行った意見交換会では、視覚障害者から「ルームキーや大浴場の表示が浮き彫りなどになっているだけでも非常に助かる」「視覚障害者は、触ったり臭いをかいだりして楽しむ。ハーブ館は香りで楽しめるのが良かった」、車いす利用者からは「スロープに手すりがあれば、車いす利用者だけでなく足の不自由な人の補助にもなる」「和室の床を椅子ぐらいの高さにした方が利用しやすい」などの意見が出た。そのほか「障害者は『特別扱いでない』のが一番うれしい。まずは障害者に慣れて、どんどん声掛けしてもらいたい」「河口湖は首都圏から近いし、泊りがけで来ても楽しめる観光地だと分かった。知人にも河口湖の魅力を伝えたいし、また来てみたい」などという声も聞かれた。

 小佐野代表理事は、「ハード、ソフト面で課題点もあったが、評価もいただいた。指摘を受けた人的なサポート体制の充実を含め1歩1歩バリアフリーの取り組みを進め、いずれは他の観光地に広めていけるようにしたい」と意欲を語った。

 4月以降は人的なサポート体制の充実を図るため、介助を行うトラベルヘルパーの養成などを進めていく考えだ。


旅館内のスロープの危険性を指摘する参加者ら

観光経済新聞

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2011年03月27日 01時27分07秒 | 障害者の自立
 都市と農山漁村の交流活性化事業を進めるオーライニッポン会議は9日、東京都内で全国大会を開き、先進的な取り組みを行った団体を顕彰するオーライニッポン大賞の受賞団体を表彰した。グランプリを受賞したのは、岩手県久慈市のふるさと体験学習協会。森の一部を丸ごと学校に貸し出し、林業体験などを行うなど、オリジナリティあふれる活動を10年以上継続的に展開してきた点などを評価した。

 冒頭あいさつした審査委員会長の安田喜憲・国際日本文化研究センター教授は、「非常に実力が伯仲しており、どの団体がグランプリを受賞してもおかしくなかった」と述べ、各団体の取り組みの充実を評価した。

 グランプリを受賞したふるさと体験学習協会は、旧山形村の教育旅行受け入れ事業が前身。旧久慈村との合併を機に06年に協会化し、今年度までの6年間に約2万5千人を教育旅行で受け入れており、「行政と連携しながらも民間が中心となった取り組み態勢や、首都圏の消費者グループとの交流事業を行っている点など、他地域の参考になる点が多い」(オーライニッポン会議)。

 このほかIターンなどで農山漁村に定住するなどして魅力的なライフスタイルを実現、都市農山漁村の交流拡大に寄与しているとして、農と食の文化発信を行う中村成子氏(島根県奥出雲町)と農家民泊をベースに交流事業に取り組む白松博之氏(山口県阿武町)には、オーライニッポンライフスタイル賞を贈った。

 全国大会ではふるさと体験学習協会などが代表して取り組み事例の発表事例紹介を行ったほか、山形県の山伏で宿坊を営む星野文紘氏の基調講演や着地型旅行の事例紹介などを行った。

 その他の受賞団体は以下の通り。

 オーライニッポン大賞=【農山漁村イキイキ実践部門】塩谷町旧熊ノ木小学校管理組合(栃木県塩谷町)▽紀和町ふるさと公社(三重県熊野市)【学生・若者カツヤク部門】東京農業大学多摩川源流大学(東京都世田谷区)【都市のチカラ部門】いこま棚田クラブ(奈良県生駒市)

 オーライニッポン大賞審査委員会長賞=【農山漁村イキイキ実践部門】砥山農業クラブ(北海道札幌市)▽しずおか体験教育旅行(静岡県静岡市)▽いなべ市農業公園(三重県いなべ市)▽いえしま(兵庫県姫路市)【学生・若者カツヤク部門】いなかインターンシップ(高知県高知市)【都市のチカラ部門】豊田・加茂 菜の花プロジェクト(愛知県豊田市)

 オーライニッポン フレンドシップ大賞=【農山漁村イキイキ実践部門】かみえちご山里ファン倶楽部(新潟県上越市)▽信州せいしゅん村(長野県上田市)   


各賞を受賞した団体

観光経済新聞

ふんばる 3.11大震災/障害児と地域再生へ

2011年03月27日 01時18分47秒 | 障害者の自立
◎「恩返し」誓い活動再開
ネットワークオレンジ代表理事・小野寺美厚さん(41)=気仙沼市

 「元気にしてた?」。12日ぶりの再会。若い男性スタッフが、駆け寄ってきた子どもと笑顔でハイタッチを交わした。
 障害者の自立支援に取り組む気仙沼市のNPO法人「ネットワークオレンジ」。代表理事の小野寺美厚(みこ)さん(41)は23日、障害のある子ども向けのデイサービスと、18歳以上を対象にした就労体験事業を再開した。
 場所は津波を逃れた自宅の居間と和室。27人の利用者のうち15人が集まり、再会を喜んだ。
 活動拠点だった二つの施設は津波に襲われ、見る影もない。
 利用者の中には家が倒壊し、避難生活を送る子が少なくない。自閉傾向の強い子どもにとって、自宅と違う環境の避難所生活は過度のストレスとなり、逃げ出して戻ってこないこともある。
 親は子どもを案じながらも、他の避難者に迷惑を掛けないかどうかを心配する。壊れた家の片付け、ガソリンの確保など、生活再建のためにも奔走しなくてはならない。
 小野寺さんは「子どもたちの不安を取り除き、親の負担を軽くするためにも1日も早く再開したかった」と語る。

 18歳になる双子の息子は、ともに重い知的障害と身体障害がある。
 「自分がいなくなっても、この子たちが安心して暮らせる地域をつくりたい」
 普通の主婦だった小野寺さんは8年前に一念発起。手作りアクセサリーをフリーマーケットで売って資金をため、市中心部の空き店舗で障害者が働く駄菓子屋を始めた。
 商店街の催しに参加して地域に解け込み、2006年に児童デイサービスと就労体験事業を始めた。10年にそれぞれの活動拠点を独立させ、二つの施設に。今年6月には障害者が働くコミュニティーカフェも開く予定だった。
 その矢先、地震と津波が襲った。

 ぼろぼろになった施設を見て言葉を失った。何より利用者と家族が心配だった。シャッターに連絡先を書いた紙を張り、無事だった13人のスタッフと避難所を捜し歩いた。
 全員の無事を確認できたのは震災から約1週間後。「人が元気なら必ず再生できる」。自分とスタッフに言い聞かせた。
 スタッフの中に家族を失ったメンバーが2人いる。悲しみを表に出さず、笑顔で活動している。
 活動を応援してくれた地域住民にも、津波で亡くなったり、家をなくしたりした人がいる。
 「お世話になった地域のためにできる恩返しは、活動を再開すること。使命があるから負けられない」
 携帯電話が通じるようになると、宮城県内外のNPO仲間から激励のメールが200件以上、届いた。活動を通じて知り合った企業関係者はインターネットで義援金を募ってくれていた。
 小野寺さんは義援金で基金をつくり、気仙沼の新たなまちづくりに生かそうとも考えている。
 「震災でまちの大部分はなくなったが、人と人のつながりの強さを教わった。もう一度、このまちを元気にしたい」
 そう。めげる暇はない。

河北新報