<おおさか発・プラスアルファ>
◇主は非正規「解雇」横行
鉄道会社に大手保険会社、教科書出版社……。難病と闘う大阪市内の堀井孝則さん(29)の勤務履歴には名だたる企業が並ぶ。障害者雇用枠で採用されながら、「健常者より仕事が遅い」と唐突に解雇されたり、意に染まぬ転職を余儀なくされてもきた。堀井さんの半生をたどると、統計では分からない障害者雇用の実態が見えてくる。
■サポートなく
堀井さんは生まれて間もなく、先天性の難病「ムコ多糖症2型」と診断された。代謝がうまくできず臓器や組織の働きが失われる病気で、重症だと命にも関わる。そのため堀井さんには心臓に疾患があり、両耳に補聴器を付け、細かい字を読む時はルーペを使う。手足の関節も不自由だ。
国は従業員が56人以上いる企業などに、堀井さんのようにハンディキャップを抱える人を一定数雇うよう法律で義務付けている。会社によっては専用の採用過程を設けており、堀井さんも障害者枠で企業や自治体の採用面接を受けてきた。
09年10月に入社した大手保険会社でも、障害者枠で1年契約の嘱託社員になった。求人票には「障がい者の方にも働きやすい環境づくりを目指しています」と書かれていた。「細かい作業には、どうしても時間がかかります。それでもいいですか」。堀井さんが尋ねると、採用担当者は「大丈夫」と答えた。
しかし「看板倒れ」は働き始めた日に痛感させられた。堀井さんは目が不自由で、初めての職場で席やトイレ、業務に必要な物を自力で探すのは難しい。ところが案内されたのは自席だけだった。トイレの場所を聞こうと見回すと、近くの社員はさりげなく顔を背けた。仕方なく、会社を去る日までトイレは近くの駅で借りた。それでも書類整理の仕事に打ち込んだ。
ところが1カ月半たった、ある日の朝だった。「健常者よりも仕事が遅いから」との理由で解雇を言い渡された。試用期間すら満了していなかった。「障害者と分かってたんじゃないんですか」と言うと、人事担当者は「予想以上にスピードが違うと分かり、勉強になりました」と突き放した。
「それまで注意は一切なくいきなりの解雇です。健常者でそんなことがありますか」
■派遣に置き換え
理解してもらえなかったのは、この会社に限らない。就労を巡る堀井さんの闘いは、病状が落ち着いた03年ごろから続いている。選考を通った後、健康診断で落とされることが続いた。くじけず40社以上の面接を受けた。
努力が実って04年に契約社員の職を得た鉄道会社では、大規模工事の会計も担当し、やりがいがあった。しかし06年に事務部門で派遣の受け入れが始まると風向きが変わってきた。従来の堀井さんの仕事は徐々に派遣に回された。06年秋には閑職に回され、仕事は一切なくなった。
データ整理などの仕事を自力で探したが、1年たっても好転しなかった。契約満了前の07年末、耐えきれずに辞表を出した。祖父や父と同じ鉄道マンは幼い頃からの夢だっただけに悔しかった。次の契約先でも社員から無視されたり体の特徴を笑われ、8カ月で辞職に追い込まれた。
堀井さんがこれまでに受けた会社のほとんどで提示された雇用形態は契約・嘱託だった。「将来を考え不安に思ったこともあるが、最近は先のことを心配するより働ける一日一日を大事にしています」と複雑な心境を吐露する。
厚生労働省は昨年10月、障害者雇用率が1・68%(昨年6月現在)で過去最高だったと発表した。しかし実態は堀井さんの体験が物語るように十分ではない。長引く不況の影響で、解雇される障害者の数も高止まり傾向だ。
厚労省によると、09年度に解雇されたのは2354人。非正規労働者の雇い止めや辞職に追い込まれた例も含めると実数はもっと多いといわれる。10年7月の法改正で、雇用率未達成の場合、納付金を課せられる企業の範囲が広がったが、効果は未知数だ。
■「数合わせ」の側面
障害者の人権問題に取り組む「働く障害者の弁護団」代表の清水建夫弁護士(東京弁護士会)は、こう指摘する。
「多くの企業が法定雇用率の“数合わせ”のため、切りやすい非正規で障害者を雇っている。退職金もなく契約期間も限られた非正規では、労働者の権利を守りきれない。欧州などでは障害のある人がない人と共に社会で暮らすことが当然になっている。そのため雇用機会均等を保障する法制度や環境整備が進んでいるが、日本ではそもそも障害者が社会で働くことへの認識が十分に広まっていない。障害者が不安定な雇用形態を強いられる背景に、企業が労働者全般を大切に考えなくなっていることも挙げられる」
堀井さんは介護ヘルパーの母と一緒に家計を支え、8歳離れた弟の学費も工面した。闘病のため一度は大学進学を諦めたが、就職してから法政大(東京都)の通信教育部に入学し、全国に学友ができた。日本史に造詣が深く、史跡巡りの旅行記を同人誌に寄せては「小説家になれれば」と目を輝かせる。
幸い、現在の職場は仕事内容も人間関係も充実し、生まれて初めて名刺も支給された。ミスした時は「自立できるように頑張れ」と上司に叱られ、期待される喜びを知った。福利厚生も正社員並みで、年度をまたいだ仕事の指示も受ける。「非正規、正規雇用の垣根を越えて従業員を大切にしているから、安心して働ける」と話す。
前向きに生きる堀井さんならではだと思う。ここまでの道のりは並大抵ではなかったはずだ。
障害者の雇用率や解雇者などの数に潜む一人一人に、堀井さんのように家族がいて、生活があり、夢がある。貴重な人生に対して、偏見があってはならないと思う。
毎日新聞 2011年3月9日 大阪朝刊
◇主は非正規「解雇」横行
鉄道会社に大手保険会社、教科書出版社……。難病と闘う大阪市内の堀井孝則さん(29)の勤務履歴には名だたる企業が並ぶ。障害者雇用枠で採用されながら、「健常者より仕事が遅い」と唐突に解雇されたり、意に染まぬ転職を余儀なくされてもきた。堀井さんの半生をたどると、統計では分からない障害者雇用の実態が見えてくる。
■サポートなく
堀井さんは生まれて間もなく、先天性の難病「ムコ多糖症2型」と診断された。代謝がうまくできず臓器や組織の働きが失われる病気で、重症だと命にも関わる。そのため堀井さんには心臓に疾患があり、両耳に補聴器を付け、細かい字を読む時はルーペを使う。手足の関節も不自由だ。
国は従業員が56人以上いる企業などに、堀井さんのようにハンディキャップを抱える人を一定数雇うよう法律で義務付けている。会社によっては専用の採用過程を設けており、堀井さんも障害者枠で企業や自治体の採用面接を受けてきた。
09年10月に入社した大手保険会社でも、障害者枠で1年契約の嘱託社員になった。求人票には「障がい者の方にも働きやすい環境づくりを目指しています」と書かれていた。「細かい作業には、どうしても時間がかかります。それでもいいですか」。堀井さんが尋ねると、採用担当者は「大丈夫」と答えた。
しかし「看板倒れ」は働き始めた日に痛感させられた。堀井さんは目が不自由で、初めての職場で席やトイレ、業務に必要な物を自力で探すのは難しい。ところが案内されたのは自席だけだった。トイレの場所を聞こうと見回すと、近くの社員はさりげなく顔を背けた。仕方なく、会社を去る日までトイレは近くの駅で借りた。それでも書類整理の仕事に打ち込んだ。
ところが1カ月半たった、ある日の朝だった。「健常者よりも仕事が遅いから」との理由で解雇を言い渡された。試用期間すら満了していなかった。「障害者と分かってたんじゃないんですか」と言うと、人事担当者は「予想以上にスピードが違うと分かり、勉強になりました」と突き放した。
「それまで注意は一切なくいきなりの解雇です。健常者でそんなことがありますか」
■派遣に置き換え
理解してもらえなかったのは、この会社に限らない。就労を巡る堀井さんの闘いは、病状が落ち着いた03年ごろから続いている。選考を通った後、健康診断で落とされることが続いた。くじけず40社以上の面接を受けた。
努力が実って04年に契約社員の職を得た鉄道会社では、大規模工事の会計も担当し、やりがいがあった。しかし06年に事務部門で派遣の受け入れが始まると風向きが変わってきた。従来の堀井さんの仕事は徐々に派遣に回された。06年秋には閑職に回され、仕事は一切なくなった。
データ整理などの仕事を自力で探したが、1年たっても好転しなかった。契約満了前の07年末、耐えきれずに辞表を出した。祖父や父と同じ鉄道マンは幼い頃からの夢だっただけに悔しかった。次の契約先でも社員から無視されたり体の特徴を笑われ、8カ月で辞職に追い込まれた。
堀井さんがこれまでに受けた会社のほとんどで提示された雇用形態は契約・嘱託だった。「将来を考え不安に思ったこともあるが、最近は先のことを心配するより働ける一日一日を大事にしています」と複雑な心境を吐露する。
厚生労働省は昨年10月、障害者雇用率が1・68%(昨年6月現在)で過去最高だったと発表した。しかし実態は堀井さんの体験が物語るように十分ではない。長引く不況の影響で、解雇される障害者の数も高止まり傾向だ。
厚労省によると、09年度に解雇されたのは2354人。非正規労働者の雇い止めや辞職に追い込まれた例も含めると実数はもっと多いといわれる。10年7月の法改正で、雇用率未達成の場合、納付金を課せられる企業の範囲が広がったが、効果は未知数だ。
■「数合わせ」の側面
障害者の人権問題に取り組む「働く障害者の弁護団」代表の清水建夫弁護士(東京弁護士会)は、こう指摘する。
「多くの企業が法定雇用率の“数合わせ”のため、切りやすい非正規で障害者を雇っている。退職金もなく契約期間も限られた非正規では、労働者の権利を守りきれない。欧州などでは障害のある人がない人と共に社会で暮らすことが当然になっている。そのため雇用機会均等を保障する法制度や環境整備が進んでいるが、日本ではそもそも障害者が社会で働くことへの認識が十分に広まっていない。障害者が不安定な雇用形態を強いられる背景に、企業が労働者全般を大切に考えなくなっていることも挙げられる」
堀井さんは介護ヘルパーの母と一緒に家計を支え、8歳離れた弟の学費も工面した。闘病のため一度は大学進学を諦めたが、就職してから法政大(東京都)の通信教育部に入学し、全国に学友ができた。日本史に造詣が深く、史跡巡りの旅行記を同人誌に寄せては「小説家になれれば」と目を輝かせる。
幸い、現在の職場は仕事内容も人間関係も充実し、生まれて初めて名刺も支給された。ミスした時は「自立できるように頑張れ」と上司に叱られ、期待される喜びを知った。福利厚生も正社員並みで、年度をまたいだ仕事の指示も受ける。「非正規、正規雇用の垣根を越えて従業員を大切にしているから、安心して働ける」と話す。
前向きに生きる堀井さんならではだと思う。ここまでの道のりは並大抵ではなかったはずだ。
障害者の雇用率や解雇者などの数に潜む一人一人に、堀井さんのように家族がいて、生活があり、夢がある。貴重な人生に対して、偏見があってはならないと思う。
毎日新聞 2011年3月9日 大阪朝刊