ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

埼玉県で障がい者まつりなどのイベントが相次いで中止に

2011年03月22日 01時52分39秒 | 障害者の自立
バザー品の捻出不可能に
東日本大震災の影響により、埼玉県内で開催される予定であった各イベントが相次いで中止、もしくは延期となっている。20日に埼玉県障害者交流センターで行われる予定だった誰もが参加できる県民の祭り「第31回埼玉障害者まつり」は、バザー品の確保が難しくなったことを理由に中止。

その他のイベントも相次いで中止に
また、幸手市観光協会は、今月27日から4月10日まで行う予定だった「第81回幸手桜まつり」の中止を発表した。ただし公園への出入りは通常通りに可能だという。

また、「第20回幸手さくらマラソン大会」も中止する。さらに朝霞市の中央公民館で行われる予定だった演劇公演「塩狩峠」も延期が決まったほか、3月2日から始まる「第22回小江戸川越春まつり」のオープニングイベントなども中止となった。

障がい者の働く場ニュース

東日本大震災:被災者575人受け入れ、福島出身が多く高齢者は半数近く/神奈川

2011年03月22日 01時37分40秒 | 障害者の自立
 県は21日、同日までに県内の一時避難所や社会福祉施設に身を寄せた被災者が575人に上ると発表した。東京電力福島第1原発の事故の影響で福島県出身者が多く、高齢者が半数近くに上っている。

 障害者施設、高齢者関係施設計13カ所で274人。このうち228人は19日、横浜市旭区の施設に福島県から到着した。運営する愛優会によると、21日までに家族が引き取ったり、入院したりして約40人が施設を離れたという。

 また県と10市町が体育館や福祉会館などに設置した一時避難所では、川崎市が同市中原区のとどろきアリーナに県内最多の106人を受け入れた。続いて綾瀬市69人、横浜市48人、開成町22人など、それぞれ対応している。

 県と神奈川新聞社の集計によると、一時避難所として提供可能な施設240カ所では最大6万5400人(18日時点)が収容可能で、十分空きがある状態。今後、県内12市町が新たに設置する見通し。大磯町が22日から、藤沢市が23日から開設。山北町は4月10日以降、3月に廃校となる小学校を開放する

都営住宅600戸は半年間提供 4月から被災者に

2011年03月22日 01時34分28秒 | 障害者の自立

 東京都は21日、東日本大震災の被災者らに無償で提供すると発表していた都営住宅など計600戸について、入居期間を当面4月1日からの半年間にすると発表した。うち300戸分は福島第1原発事故で避難した人に提供する。都内に避難している人が対象。入居世帯は抽選で決定し、乳幼児や妊婦、障害者、難病患者、65歳以上の高齢者がいる世帯を優先する。

 申し込みは23~25日の午前9時から午後7時まで都庁第2本庁舎2階で受け付け、28日に抽選する。問い合わせは東京都、電話03(5321)1111。

2011/03/21 21:19 【共同通信】

被災の知的障害者33人が避難 実習船で神奈川に

2011年03月22日 01時32分36秒 | 障害者の自立

 東日本大震災で被災した福島県の知的障害者33人が21日、高校の実習船2隻で神奈川県三浦市の三崎港に到着した。当面の間、横浜市や同県横須賀市の福祉施設などで受け入れる。

 神奈川県によると、2隻の実習船は、同県立海洋科学高校の湘南丸(646トン)と、福島県立いわき海星高校の福島丸(499トン)。19日に水や食料などの救援物資を小名浜港(福島県いわき市)に運び、帰路は、いわき市などで生活していた福島県の障害者33人と支援者4人を乗せ、20日午前に出港した。

 重度の障害者3人を受け入れた横須賀市長沢の福祉施設「三浦しらとり園」の小野田正幸園長は「まずお風呂に入って体を温め、ゆっくり過ごしてほしい」と気遣った。

2011/03/21 15:58 【共同通信】

犠牲者悼む調べ

2011年03月22日 01時30分51秒 | 障害者の自立
芦屋で慈善コンサート

 東日本巨大地震の犠牲者を悼む「チャリティー・コンサート」が20日、芦屋市船戸町の音楽ホール「山村サロン」で開かれ、約140人が思いのこもったサックスやピアノの調べに耳を傾けた。阪神大震災での体験を契機に、障害者への音楽療法に取り組んできたサックス奏者の野田燎(りょう)さん(62)が「音楽による支援を」と企画した。会場では、涙ぐむ市民の姿も見られた。

 野田さんは大阪音大卒業後、ヨーロッパで活躍。2000人収容の大ホールで演奏するなど、順調に音楽家の道を歩んだ。しかし、帰国後の1995年に西宮市で被災。半壊した自宅を脱出し、近所で救出作業に当たったが、がれきから引き出した男児はすでに亡くなっていた。

 「自分は人1人も救えないのか」

 無力感にさいなまれ、1週間ぼう然としていたが、サックスを手に取り、ジャズの名曲「サマータイム」を演奏すると「悲しみや憤りが涙とともに、体から抜けていった」と感じた。それ以降、重度の意識障害の患者らに向け、演奏し、意識の回復を目指す音楽療法に取り組んできた。

 コンサートでは野田さんが「被災された方に、僕たちみんなが一緒にいることを伝えたい」とあいさつ。黙とうの後、サックスとピアノでバッハの「G線上のアリア」などクラシック、シャンソン計24曲を演奏した。ダンスや歌も披露され、参加者は涙を流したり、軽快なリズムに手拍子を送ったりしていた。

 会場には、募金箱も置かれ、この日だけで約40万円が集まった。全額を日本赤十字社へ寄付するという。

 野田さんは「音楽は、言葉で伝えられない気持ちを伝えることができる。現地が落ちついたら、演奏に行きたい」と話していた。

(2011年3月21日 読売新聞)