ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

辰」置物作りピーク日南・知的障害者施設

2011年12月08日 02時20分54秒 | 障害者の自立
 来年のえと「辰(たつ)」をモチーフにした置物作りが、日南市吉野方の知的障害者入所更生施設「つよし寮」で最盛期を迎えている。

 白と薄黄、薄緑の3種類で、大きさは高さ9センチ、幅7センチ、奥行き10・5センチ。30~60歳の寮生5人が施設の窯業棟で素焼きし、筆で絵付けした後、釉薬をかけて約1200度の高温で再び焼いている。

 辰の胴の部分を丸くデザインしたのは、物事が一回りして元通りになる様子を表現したという。指導する支援員の稲田良平さん(33)は「東日本大震災の被災地が復興するよう、願いを込めました」と話している。

 700個を作り、1個750円(税込み)で販売する。問い合わせは、つよし寮(0987・25・3911)へ。


えとの辰をモチーフにした置物

(2011年12月7日 読売新聞)

ウイングル――幼児教育から就労支援まで、ワンストップサービス

2011年12月08日 01時59分42秒 | 障害者の自立
 「障害者支援」に特化した斬新なビジネスモデルを生み出し、ダイナミックに事業展開を図っている急成長ベンチャーがある。東京・三田に本社を置く創業6年目のウイングルだ。

 同社の中核事業は、障害者自立支援法に基づく「就労移行支援事業所」のチェーン展開という前例のないニュービジネス。従来は社会福祉法人などが運営していた「福祉施設」を、同社はビジネス手法を持ち込んで「就職支援サービス」に変身させた。12月1日現在で東京、仙台、名古屋、大阪、福岡など全国32カ所に直営拠点を開設。今年度上半期だけで既に209人の障害者を企業などに送り出し、「年間500人の就職実現」という目標達成も確実になっているという。

 さらに、今年6月には「発達障害のある子供のための生活・学習指導塾」という新規事業を立ち上げ、「幼児教育から就労支援までのワンストップサービス」を提供する独創的なトータル・ソリューション・システムへと発展させようとしている。

 同社を率いる長谷川敦弥社長は弱冠26歳。「自分たちの力で、社会を変えよう」。この若きリーダーの呼びかけに呼応して、同社には国内外の一流大学・大学院を卒業したエリート人材が続々と集結し、急展開を支える。東京本社にも、地方の事業拠点にも“渋谷系ITベンチャー”と見まごうばかりの活気と自由な空気がみなぎっている。わが国ではまだ数少ない本格的なソーシャルエンタープライズ(社会貢献型企業)が今、誕生しつつある。

「発達障害児のための学習塾」を開設
 東急東横線の中目黒駅から歩いて5分ほど。メインストリートである山手通りに面した小さなテナントビルの4階に、ウイングルが開設した発達障害児のための学習塾「Leaf(リーフ)」の“第1号店”がある。リーフ事業は、今後の成長を託す第2の柱として今年6月に立ち上げた戦略事業部門だ。

 発達障害には、自閉症やアスペルガー障害に代表される広汎性発達障害(PDD)、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)など多様な障害があり、障害の現れ方も程度も人によって様々。知的障害や精神障害を伴う人もいれば、そうでない人もいる。判別がしにくい場合も多い障害だけに、その実態は正確に把握されていないのが現状だ。

 「そのため、多くの発達障害児が普通校に通っているのですが、勉強に遅れが出たり、友達とうまく付き合えなかったりして、クラスに溶け込めない子供も多い。ところが、そうした子供たちの生活訓練や学習支援を行う公的な専門施設は非常に少なく、親御さんたちの悩みに十分に答えることができていないんです」。リーフ事業の統括責任者である教育事業本部の野地翔マネージャーは、教育ビジネスに参入した社会的背景をこう説明する。ウイングルはそこにビジネスチャンスを見いだした。「既に就労支援事業で実績がある当社の教育ノウハウを生かして、福祉施策と親・保護者のニーズとのすき間を埋める新サービスを展開できるのではないかと着想したわけです」。

 中に入ると、そこは2つの異なるサービス施設が同居するユニークな形態になっていた。6月に先行オープンした、小・中・高校生を対象に学習指導サービスを提供する「学習塾Leaf中目黒」と、10月にスタートした未就学児向けの療育施設「発達支援センターLeafジュニア中目黒」である。

 前者には児童・生徒と指導スタッフが向かい合って勉強する個室スタイルの学習ルーム、後者には6歳未満の幼児が元気に遊び回れる板張りのプレールームがそれぞれ設備されている。ちょうど個別指導の学習塾と保育所を併設したようなイメージだ。

 学習塾では、国語や算数など学校の授業の補習を始め、社会生活に必要なソーシャルスキルの指導・訓練、進学や就職準備のための勉強など、一人ひとりの子供に合わせた個別プログラムによる学習指導を行っている。子供たちが集中できるように、授業中は学習ルームの扉を閉めるのだが、中の様子はカメラでいつでも映せるように配慮。希望する親・保護者は隣の応接コーナーでiPadを使って、我が子の勉強ぶりを“ライブ中継”で見守ることができる仕組みになっている。

 一方の発達支援センターでは、日常生活に必要な生活スキルトレーニング、集団活動の基本的なルールを覚えるための教育訓練など、ゲームや遊びを通じた集団指導と個別プログラムを組み合わせた療育サービスを提供している。

異なる事業モデルを融合した新しい教育サービス
 指導に当たるスタッフは現在5人。いずれも臨床心理士や福祉・教育の専門スキルを持つ専任スタッフで、個別の教育プログラムはすべて、無料の体験授業と子供本人や親・保護者との面談をした上で手作りで作成している。教材や遊具類は現在は市販のものを活用しているが、オリジナル教材の開発にも着手しているという。

 発達障害児を持つ親・保護者からの反響は予想以上。「学習塾の利用者は既に70人を超え、始めたばかりのLeaf ジュニアのほうも10人の定員はほぼ埋まってしまいました。都内だけでなく、埼玉県から通って来る子供もいます。親御さんの照会もひっきりなしで、関西やハワイ在住の方からの問い合わせも寄せられています」と、野地マネージャーは確かな手応えを感じている様子だ。

 「就学前から就学後までの一貫教育」を行う点がリーフ事業の最大のセールスポイントなのだが、注目すべきはソーシャルベンチャーならではのその経営手法。実はこの2つの施設、ビジネスモデルが全く異なるのだ。

 学習塾は純然たる民間経営の教育サービス施設、一方の発達支援センターは障害者自立支援法に基づいて「児童デイサービス」を提供する厚生労働省所管の障害者福祉サービス事業所(いわゆる通所施設)として運営しているのである。

 このため、料金体系にも大きな開きがある。学習塾は月4回の利用で個別指導コースが月額3万5000円、集団指導コースが同2万3000円。これに対して、発達支援センターは1回当たり1500円程度。自立支援法による公的補助が受けられるので、原則1割の自己負担で利用できる。これは同社の主力事業である就労移行支援事業と同じ仕組みで、「公的制度に基づく福祉サービスを株式会社が提供する」というビジネスモデルを応用展開したものと言える。

 ただ問題は、料金が高くならざるを得ない民間サービスの学習塾をどうやって軌道に乗せるか。そこで強く意識したのが立地戦略だ。「Leafジュニア中目黒」をオープンした10月に、同じ東横線沿線に「Leafジュニア自由が丘」を同時オープンした。つまり、ドミナント出店である。東横線沿線は都内でも有数の高級住宅地。しかも、高学歴で高感度な富裕層に人気の高い地域だ。ウイングルでは「教育熱心で、収入面でも比較的余裕のあるこの地域の人々の情報発信力に期待しているのは確かです」(広報グループ)と明言する。

 「あえて目立つ場所に立地する」という戦略は、後述するように、同社にとっては重要なコーポレートメッセージにもなっている。

創業6年目で全国35拠点、年商17億円に
 ウイングルは2005年12月に仙台市で創業。設立当初から「障害者の雇用拡大」という事業ドメインを明快に掲げ、試行錯誤を重ねながら独自のビジネスモデルを作り上げてきた。

 特に力を注いできたのが「地方での需給ギャップの解消」だ。障害者側は「地方には働く場所がない」と言い、一方の企業側は「使える人材がいない」と言う。そこで、「障害者のスキルアップを支援しながら、自宅から通勤できる地域コミュニティーの中に就職先を開拓していく」という基本戦略を打ち出し、東京など大都市圏の企業から委託を受けて、障害者が働くサテライトオフィスを代行運営する「遠隔地雇用サービス」といった独自のニュービジネスを展開してきた。

 同社が成長軌道に乗るようになったのは、現在の中核事業である「就労移行支援事業所」の全国展開が始まってから。2008年3月に仙台市に最初の事業所を立ち上げ、それ以降、教育・訓練および事業所運営のノウハウを磨きながら、全国各地にチェーンビジネスの手法で次々と事業所兼営業拠点を開設していった。「就労移行支援事業所」とは、障害者自立支援法に基づき、企業・自治体などへの就職を希望する障害者にパソコン操作を始めとする職業訓練を公費助成で行う福祉施設。従来は社会福祉法人やNPO法人が地域ごとに運営する小規模施設がほとんどで、1つの法人が複数の事業所を運営すること自体が極めて珍しいのが実情なのだ。

 拠点展開のスピードは、ここへきて一段と加速している。昨年末には全国15拠点だったものが、今月1日に浜松、名古屋、大阪に3つの新拠点を同時オープンし、合計32拠点となった。さらに来年3月末までに35拠点に拡張する計画だ。

 肝心の支援実績も着実に伸ばしている。今年度上半期(4~9月)の就職者数は209人で、既に昨年度の年間実績201人を上回っており、長谷川敦弥社長は「年間では当初目標の500人を大きく上回る見通し」としている。

 ちなみに、就職者の障害別の内訳は精神障害が63%と最も多く、身体障害25%、知的障害13%となっている。また、同事業所の利用期限は2年間と法律で定められているが、就職者の44%が利用開始から3カ月以内に就職先が見つかっており、期限がきて退所した人は11%にとどまる。さらに就職できた人の定着率も高く、2010年度実績では就職から6カ月時点での継続就労率は79%に達している。ウイングルでは「ガラス張り経営」や「システムの見える化」の一環として、これら就労支援実績に関するテータも包み隠さず情報開示しており、障害者雇用に詳しいある専門家は「従来の常識では考えられない数字」と驚嘆の声を上げている。

 企業規模も急ピッチで拡大している。2年前の2010年3月期には約6億3000万円だった年間売上高は、来年3月期には3倍近い約17億円に達する見通し。従業員数も12月1日現在で375人と前年比ほぼ倍増し、来年度には450人以上に増強する予定という。これがIT(情報技術)やバイオなどの先端分野のベンチャー企業ならばよく聞く成長話だが、そもそも企業活動の領域とは考えられていなかった「障害者の就労支援」での経営実績となれば、まさに“驚異的”と言っても過言ではあるまい。

入社1年半で社長就任、26歳の若きリーダー
 「世界を代表する社会変革カンパニー」を目指す――。1985年生まれで、今年26歳の長谷川敦弥社長はこんな大きな企業理念を掲げ、全力疾走を続けている。

 「私たちが目指しているのは、福祉の新しいスタンダードを創り出すこと。そのことによって、障害がある人に対する社会の見方、障害者を取り巻く文化さえも変えたいと考えているんです」。そんな野心的な言葉を、若者らしい情熱的な口調で語る長谷川社長だが、実は同社の創業者ではない。名古屋大学理学部を卒業して2008年5月に新卒入社。営業本部で主に拠点開発に腕をふるい、営業本部チャレンジドソリューション部長だった09年8月、入社わずか1年半で社長に就任した。創業者の佐藤崇弘前社長が新たな分野に転身することを決意したのに伴い、長谷川氏のリーダーシップと経営手腕を見込んで後継社長に指名したのである。

 岐阜県多治見市出身。「前から起業家志望だったというわけでも、障害者に関わる仕事をやろうと考えていたわけでもないんです、実は」という長谷川社長が、企業経営の面白さに目覚めたのは学生時代。老夫婦が経営する小さな焼き肉店でアルバイトを始め、この店を大繁盛させたのがきっかけだった。店長(といってもバイトのリーダーだが)に任命された長谷川さんは、経営者夫婦に後継者がいないことを知り「是非、後を継がせてほしい」と申し入れる。

 ところが、返ってきたのは「馬鹿を言うな。田舎の大将で終わるつもりか!」という叱責だった。「君には日本のリーダー、いや世界のリーダーになってほしい。君にはそれだけの素質がある」とまで言ってくれたのだ。「ここまで褒めてもらえたのは初めて。この言葉にすっかりその気になってしまったんです」と、長谷川社長は屈託のない笑顔で当時を振り返る。

 こうして一念発起。名古屋大を一時休学して上京し、「ITが社会を変える」と確信して渋谷にある有名ITベンチャーに入社、ここで3年間ビジネスのスキルを磨き、経験を積む。「ITの仕事は面白くて仕方なかった」が、自分の将来については疑問を持つようになった。「IT業界には既にたくさんの天才が活躍しているし、ビジネスの仕組みも出来上がりつつある。自分の出番はむしろ、ほかの場所にあるのではないか。ITを使って、まだ誰もやっていない新しいビジネス、それもより社会に役立つビジネスを創り出したい」。こう考え、いったん大学に戻ってからウイングルに入社したのである。

 同社の成長路線が、エネルギッシュな長谷川社長の就任後のリーダーシップによって実現したことは疑いない。特に目につくのは、他業界の既存のビジネススキームを、「障害者支援」という地味で難しい領域に大胆かつ巧みに落とし込む構想力やセンスの良さだ。その一例が、前述した「あえて目立つ場所に出る」という立地戦略。就労移行支援事業所も、発達支援センターも「できるだけ駅の目の前の一等地に開設しています」と長谷川社長。そこには「障害のある利用者が通所しやすいように」という配慮だけでなく、「障害者を取り巻く文化そのものを変えたい」という自らの理想への挑戦という意味が込められている。「そのうちに、六本木にも作りますよ」と冗談っぽく語った言葉は、かなり“マジ”な本心だと感じた。

同じ志を抱くエリート人材が続々と集結
 この若きリーダーが率いるウイングルには、同じような熱い想いや志を抱いたエリート人材が続々と集結している。社員の平均年齢も30歳弱と若い。

 こうして一念発起。名古屋大を一時休学して上京し、「ITが社会を変える」と確信して渋谷にある有名ITベンチャーに入社、ここで3年間ビジネスのスキルを磨き、経験を積む。「ITの仕事は面白くて仕方なかった」が、自分の将来については疑問を持つようになった。「IT業界には既にたくさんの天才が活躍しているし、ビジネスの仕組みも出来上がりつつある。自分の出番はむしろ、ほかの場所にあるのではないか。ITを使って、まだ誰もやっていない新しいビジネス、それもより社会に役立つビジネスを創り出したい」。こう考え、いったん大学に戻ってからウイングルに入社したのである。

 同社の成長路線が、エネルギッシュな長谷川社長の就任後のリーダーシップによって実現したことは疑いない。特に目につくのは、他業界の既存のビジネススキームを、「障害者支援」という地味で難しい領域に大胆かつ巧みに落とし込む構想力やセンスの良さだ。その一例が、前述した「あえて目立つ場所に出る」という立地戦略。就労移行支援事業所も、発達支援センターも「できるだけ駅の目の前の一等地に開設しています」と長谷川社長。そこには「障害のある利用者が通所しやすいように」という配慮だけでなく、「障害者を取り巻く文化そのものを変えたい」という自らの理想への挑戦という意味が込められている。「そのうちに、六本木にも作りますよ」と冗談っぽく語った言葉は、かなり“マジ”な本心だと感じた。

同じ志を抱くエリート人材が続々と集結
 この若きリーダーが率いるウイングルには、同じような熱い想いや志を抱いたエリート人材が続々と集結している。社員の平均年齢も30歳弱と若い。
 リーフ事業を担当する野地翔マネージャーも、そんな“熱い社員”の1人だ。今年24歳。東大経済学部を卒業して2010年に新卒で入社し、すぐに同社が運営する発達障害児を持つ親・保護者向けのウェブサイト「ふぁみえーる」の運営管理を任され、その実績からリーフ事業の責任者に抜擢された。子供の頃は都合9年間米国で暮らした経験を持つ野地さんは、就職先にウイングルを選んだ理由を「通りいっぺんのエリート人生は歩きたくなかった。ベンチャーの方が責任を持って仕事ができると考えました」とこともなげに言い切る。


 「就職先探しのキーワードは成長です。自分が成長し、そのことが会社の成長に貢献し、社会の発展にも役立つ仕事をしたい。そんな基準で選びました」。今の仕事については「日々楽しく、でも品質の高い教育サービスを提供することに全力で取り組んでいます」といい、「東大卒の自分がベンチャーでうまくやれれば、もっと多くの優秀な人材が集まって来てくれる。そう信じています」と語っている。

 同社が作成した来年度用の学生向けリクルートブックには、同じように一流大学・大学院を卒業してウイングルに入社した先輩たちからの熱いメッセージが、「これでもか」と言わんばかりに多数掲載されている。出身校をざっと挙げただけでも、東北大学大学院情報科学研究科、同法学研究科、筑波大学大学院教育研究科、慶應義塾大学環境情報学部、上智大学総合人間科学部、さらには英国カーディフ大学大学院公衆衛生学専攻、米国ウィリアムウッズ大学ソーシャル・ワーク学部などなど。経営部門でも、障害のある人たちと直接相対する現業部門でも、大手企業さえもうらやむようなハイキャリアな人材が活躍しているのだ。

 彼らが共通に語っているのが、「自分の専門スキルを社会に役立てたい」「世の中をより良い方向に変えていきたい」といった志望動機だ。新卒社員ばかりでなく、他社からの転職組にも同様の想いをたぎらせて合流した人が多い。例えば、「Leafジュニア中目黒」グループ担当の熊瀬哲正マネージャーは帝京大学卒業後、子供服メーカーに就職し、新店舗開発などで実績を上げた後、「もう1度、志のある仕事に挑戦したい」とウイングルに入社した。転職組の中には、「利益優先の経営に疑問を感じて」、某有名ITベンチャーの幹部候補生の座を捨て、大幅な減収を承知で転職してきた社員もいるという。

 もう1点、共通する特徴は、そうした高い理想、強い使命感を抱きながらも、立ち振る舞いに気負いや悲壮感といったストックなところが全く見受けられないことだ。人材開発を担当しているあるマネージャーが明かしてくれた志望理由が振るっていて、強く印象に残っている。いわく、「私の場合は、完全に動機不純ですね(笑)。障害のある人を支える仕事に従事したくて転職したんですが、ウイングルのサイトを見つけた時には『本当に就労支援のような仕事で、会社が成り立つんだろうか』と思ったんです。だったらいっそのこと、自分の目で確かめてやろう。そう考えて、飛び込んでしまったんですよ(笑)」。

 いかにも当世の若者らしい、いい意味でのこの“軽やかさ”こそが、障害者福祉に新風を吹き込むウイングルの原動力になっているのかもしれない。

急成長ベンチャーの「壁」をどう突破するか
 もちろん、ウイングルの今後にはまだまだ多くの課題が横たわっていることは言うまでもない。

 当面する最大の経営課題は、急成長を支え切る「人材の育成」であろう。急激な業容拡大に見合うだけの有能で意欲のある人材をどれだけ確保し、育てることができるか。人材の質に依存するサービス業、それも障害のある人と向き合う同社の事業には、高い専門スキルと強い意志、さらには優しい思いやりや忍耐力を兼ね備えた「分厚い人材力」が欠かせないからだ。

 ただ、現下の雇用情勢を考えると、「人材集め」の点はさほど心配しなくてもいいかもしれない。福祉分野では専門教育を受けた人たちが希望する職種や待遇、やりがいを用意してくれる“いい就職先”が恒常的に不足している現状があるからだ。「働く意欲も能力もあるのに、希望するような職場がなかなか見つからない」という点は、同社の顧客である障害者が置かれた就職事情ともよく似ている。有り体に言えば、今はまだ“買い手市場”ということである。

 それ以上に懸念すべき材料があるとすれば、それは次の2点だろう。1つは、社員たちの“成長疲れ”。もう1つは、既成社会とのあつれきだ。いずれも、あらゆる業種の急成長ベンチャーが最初の発展ステージで必ず1度は直面する「成長への壁」である。

 会社の中では、せっかく集まった志のある優秀な社員たちがめまぐるしく変わる日常業務の忙しさに追いまくられて、いつの間にか原点を忘れ、モラールダウンに陥っていく。他方、会社の外では、イノベーターの出現で業界秩序や既得権益を脅かされる人々が陰に陽に前途に立ちはだかることもあれば、反対に甘言を弄して接近してくる輩も現れる。それらは皆、ベンチャー企業にとって宿命というべき通過点。

 こうした内外の高いハードルをどうやって突破するか。社会起業家としての経営手腕が問われるのは、むしろこれからだ。

 長谷川社長もそのことはよく認識しているようだ。例えば、ある現場マネージャーは次のように証言する。「会社が大きくなってきた最近は、以前よりも本社からの連絡は密になっていると思います。本社が今どんなことに力を入れているのか、あるいは各営業拠点ではどんな問題が発生しているかなど、情報の共有にはことのほか気を遣っている印象ですね」。

 いずれにせよ、一番大事なのは、長谷川社長と若い経営陣が「障害のある人たちを支える」という創業の理念をぶれることなく貫き通すこと、そして、正攻法で目指す理想の経営を一歩一歩着実に前に進めていくことである。筆者の心配を見透かすように、長谷川社長はにっこり笑って、さりげなくこう“決意表明”してくれた。

 「この世界から『障害者雇用』という言葉をなくしたい。そして、いつの日にか『障害者』という定義をもなくしたい。それが、私とウイングルがずっと抱いている夢なんです」

2011年12月8日(木)ウイングル

ナイスハートバザール:障害者手作り製品を販売 10日、JR岡山駅 /岡山

2011年12月08日 01時54分56秒 | 障害者の自立
 県内の福祉施設などで働く身体、知的、精神障害者の手作り製品を集めた「第1回ナイスハートバザール1nおかやま」(NPO法人県社会就労センター協議会など主催)が10日、JR岡山駅2階西口広場で開かれる。

 景気の低迷で企業などからの製品の受注が大幅に減り、運営が厳しい各施設は共同で製品開発などにも取り組んでいる。バザールでは、クッキーやパンなどの食品、玩具などの木工品、バッグなどの縫製品、花苗など県内20施設の店舗が並び、2施設の製品を委託販売する。また東日本大震災で被災した施設の製品も販売される。

 バザーの運営に携わる県セルプセンター事務局は「製品の良さを知っていただき、販路拡大に結びつけて障害者の賃金アップを実現したい」と話している。

毎日新聞 2011年12月7日 地方版

野球:世界身体障害者大会 優勝の松元剛さん講演--一宮の小学校 /愛知

2011年12月08日 01時48分39秒 | 障害者の自立
 一宮市大赤見の市立赤見小学校で6日、10年の世界身体障害者野球大会で優勝した日本代表メンバーの松元剛さん(37)=一宮市音羽=が「世界一への道」と題して講演し、「感謝の気持ちと仲間の大切さを知ってほしい」と訴えた。

 松元さんはキャッチボールや素振りを披露し、「けがをする前と後では野球や人に対する思いが違う。野球を通して感謝と仲間の大切さを知った。みんなも何事にも感謝し、一つのチームとして頑張ってほしい」と述べた。

 松元さんは幼いころから野球が好きで、社会人になっても続けていた。しかし、24歳の時、作業事故で左腕と右手の人差し指、中指を切断した。一時は野球をあきらめかけたが、身障者の野球チームが名古屋市にあるのを知り、チームに入った。実力が認められ、日本代表のメンバーに選ばれると、世界大会の1回戦で勝ち越し打を放つなど活躍した。

 同小が人権週間(4~10日)の一環として開いた。

毎日新聞 2011年12月7日 地方版

障害者の画家 個性再競演

2011年12月08日 01時41分02秒 | 障害者の自立
ダウン症の井上美穂さん(25)(春日市ちくし台)と自閉症の太田宏介さん(30)(太宰府市長浦台)の絵画を集めたジョイント展が6日から、福岡市・天神のギャラリー「セル」で始まった。7年前にも一緒に開き、「25歳と30歳になったら、また一緒に開催しよう」との約束を実現した。11日まで。

 ともに、大野城市南ヶ丘の松沢(雅号・城戸)佐和子さんの指導を約20年にわたって受けている。個展を開いたり画集を出したりするまでに成長し、画家としての評価も得られるようになってきた。

 今回は、はがき2枚大から50号まで22点ずつ計44点を披露。井上さんは柔らかなタッチのピエロや天使のアクリル画や繊細な切り絵、太田さんはダイナミックな線と鮮やかな色彩の魚や花の大作を並べた。異なる個性の競演が温かなムードを醸し出している。

 「心のままの伸びやかな表現。7年前の約束が実現できた持続力を喜びたい」と松沢さん。

 開場は午前11時~午後7時(最終日は午後5時まで)。問い合わせはセル(092・741・4890)へ。


それぞれの代表作の前でジョイント展の開催を喜ぶ井上さん(右)と太田さん

(2011年12月7日 読売新聞)