ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

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2011年12月23日 02時23分35秒 | 障害者の自立
 脳性まひで手足が不自由ながら、小児科医として外来診療に携わる一方、発達障害研究にも取り組む東京大学先端科学技術研究センター(東京・目黒区)特任講師の熊谷晋一郎さん(34)に、今に至る道のりを聞いた。

熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)

 1977年、山口県生まれ。出生時の酸欠で脳性まひに。東京大医学部卒。病院勤務を経て、同大先端科学技術研究センター特任講師。著書「リハビリの夜」(医学書院)で新潮ドキュメント賞。共著に「発達障害当事者研究」(同)。

 ――子どものころ、自分の障害についてどのように感じていましたか。


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 もともとそういうものという感覚で、特につらいと思ったことはありません。生活はすべて、母が上げ膳据え膳でやってくれました。

 でもリハビリは大変でした。ふだんは自宅で毎日行い、定期的に施設に通っては専門家からの指導を受けました。親もリハビリに対しては厳しかったのでストレスはありました。

 当時は「電動車椅子を使うとリハビリをさぼるからよくない」という専門家の助言もあり、小学生の間は移動手段を与えてもらえず、自分ひとりで外出はできませんでした。

 室内では、腹ばいになって移動できるスケートボードのような乗り物を父が作ってくれたので、それは楽しかったのですが。


 ――学校生活はどのように送ったのでしょうか。


 リハビリばかりの生活から抜け出せるので、学校は好きでした。小学校と中学校は実家から近かったので、母が車で送り迎えしてくれて、休み時間ごとに「トイレだいじょうぶ?」と聞きに来てくれました。高校は遠かったので、母は私を学校に送ると、そのまま校内に待機して、家事をする時だけ帰っていました。

 最近は下手になってしまいましたが、絵を描くのが好きで、小学校では漫画クラブ、中学校では美術クラブに入っていました。高校に入ると勉強が面白くなり、生きていく中心軸がリハビリから勉強に変わってきました。リハビリの時間を削って勉強時間を増やしたので、リハビリのトレーナーに注意されることもありました。


 ――自分の将来は、どのように考えていましたか。


 小学生になったころから、もしも親がいなくなったら、自分はどうやって生きればいいのだろうか、という不安は感じていました。だからずっと、自分にできるものは何だろうかと考えていました。

 学校の教科では特に好きだったのが数学です。頭の中で自由に考えることができて、遊園地のような楽しさを感じました。それで高校時代は、数学者になろうと思っていました。今はパソコンばかりつかっているので、手で書くのはなかなか大変ですが、当時は暇さえあれば広告チラシの裏などに数式を書いていました。



(2011年12月22日 読売新聞)

幼児期の亜鉛欠乏:自閉症スペクトラム障害との関連

2011年12月23日 02時19分27秒 | 障害者の自立
自閉症スペクトラム障害の発症機序の解明と有効な治療は、今日における挑戦的課題の1つである。本研究では、自閉症の子ども1,967人(男児1,553人、女児414人)を対象に頭髪の亜鉛濃度を調査し、亜鉛欠乏との間に注目すべき関連性があることを示す。頭髪の亜鉛濃度のヒストグラムは、低濃度域に裾をのばす非対称型の分布を示し、584人の被検者は、基準範囲(86.3~193 ppm)のマイナス2標準偏差値よりも低い亜鉛濃度を示した。0~3歳の幼児群での亜鉛欠乏の発生率は、男児でおよそ43.5%、女児でおよそ52.5%だった。最低亜鉛濃度の10.7 ppmは2歳の男児で見られ、これは基準平均値の約1/12に相当する。以上の知見は、幼児期の亜鉛欠乏が、自閉症の発症にエピジェネティックに関与する可能性と、栄養学的な取り組みによって、その治療と予防に対して新たな希望がもたらされる可能性を示唆している。



Nature Asia - 11 時間前

山梨なでしこー市川三郷町職員 丹沢昌世さん

2011年12月23日 02時08分03秒 | 障害者の自立
  ■女性ばかりの消防隊が誕生 初代隊長


 市川三郷町消防団に今年の4月、女性消防隊ができ、初代の隊長に就きました。私を含め隊員は20代、30代の12人。全員が町職員です。


 県内の女性消防団員は全部で46人になりましたが、隊が発足した時、この町にはひとりもいなかったんです。団員の確保が難しくなっており、女性にも消防団への関心を持ってもらおうというのが、設立した目的です。


 町役場では福祉支援課にいて、高齢者の生活支援全般を担当しています。これから寒さが本格化すると、被災地の仮設住宅で暮らしているお年寄りにはこたえるのを心配しています。


 3月11日は六郷庁舎におり、資料をまとめていました。大きな揺れに、震源は山梨だと思いました。机の下に隠れましたが、あまりに長く続くので外に出ました。今思い返すと、何か落ちてくるかもしれないのに頭を守っていなくて、うかつでした。


 震災が起きて、まず気になったのは、やはり、高齢者や障害者の避難の問題です。6年前の数字ですが、市川三郷町内の高齢者のひとり暮らしは752世帯。20年間で3倍に増えてます。


 いかに早く避難所に誘導するか、対策の必要があります。そして避難所での食事も課題なんです。ごはんやおかずを細かく刻まないと食べられない人も、少なくありませんから。


 消防隊で取り組んでいる主な仕事は、火災予防の広報です。火災報知機の設置を呼びかけたり、ひとり暮らしの高齢者を訪ねたりします。


 10月には横浜市で全国女性消防操法大会があり、県代表として出場しました。ポンプにつないだホースからふたつの標的に放水し、正確に消火できるかどうか、そしてタイムも競います。峡南消防本部の方から指導を受け、大会までの半年間、練習に取り組みました。


 最初は週2回。あとになって私たちから申し出て、3回に増やしたんです。仕事のあとの2、3時間でしたが、体力的にもきつく、同僚の業務カバーや家族の協力なしには、やりとげられませんでした。仲間と一丸となる大切さも、あらためて感じました。


 震災では、多くの消防団の方々が避難誘導や水門の閉鎖作業をしている最中に津波で亡くなりました。自治体の首長や職員たちも家族や自宅をなくし、被災者でありながら避難所の運営や復興にあたってきました。


 いつか山梨も、大地震に見舞われるかもしれません。消防団員として、また町職員として、自分の責任の重さを痛感しています。

《略歴》

 たんざわ・まさよ 県立増穂商高卒。会社勤務を経て、1992年4月に旧六郷町職員に。建設や広報、障害者福祉などを担当。今年4月から福祉支援課で勤務。町のキャラクター「市川三郷レンジャー」の着ぐるみに、他の職員たちと交代で入っている。



消防団の制服姿の丹沢昌世さん(38)=市川三郷町市川大門

朝日新聞   2011年12月22日

東日本大震災:福島第1原発事故 自主避難者、賠償請求で仲介申請 飲食業者と社員ら5家族 /京都

2011年12月23日 02時02分51秒 | 障害者の自立
東京電力福島第1原発の事故で京都市に自主避難している福島県の飲食業の法人と、その従業員ら5家族計15人が21日、避難生活にかかる費用や、精神的苦痛などに対する賠償金として総額1億1000万円の支払いを求めて「原子力損害賠償紛争解決センター」へ仲介を申し立てた。

 この日記者会見した家族らによると、飲食業者の男性は事故当時、自らが社長として福島県内の店舗で営業していたが、事故後に社長を退いた。妊娠中の妻や子がおり、子供や社員らへの放射能の影響も懸念し、5月から京都市に住み始めた。

 京都での生活後、男性は言葉数が減り、心労による心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。福島県の店舗は県内に残る従業員が現在も営業を続けているが、客は激減するなどし、避難生活に伴う費用や精神的苦痛による損害を被ったとしている。

 今月開催された国の原子力損害賠償紛争審査会では、男性らが住んでいた市の住民への賠償額を、1人あたり8万円、子供と妊婦には40万円を目安として定めた。申立代理人の井関佳法弁護士は「被害の実態とかけ離れている」と業者らに同センターへの申し立てを勧めたという。センターによると21日現在、全国で430件申し立てがされている。

 ◇気力失い疲労極限

 男性は04年に身一つで飲食業などを営む会社を設立し、年商2億円を超えるまでに成長させた。仕事と子供が大好きで、3人目の子供を妊娠した妻と子と、購入したばかりのマンションで幸せな生活を送っていた中での震災と原発事故だった。

 3月13日、知人を通じ原発事故を知った男性は「とにかく逃げた方がいい」と地元を出て、社員とその家族らと共に福島県会津地方や金沢市で集団生活。社長業から離れ、家賃や宿泊代を預金から提供した。

 京都市に住み始めた5月以降、男性に変化が現れた。無気力状態になり、子供とも遊ばなくなった。

 PTSDと診断された男性に代わり、妻らが東電補償相談室に電話。当初は仮払いの対象と言われていたが、十分な説明がないまま仮払いできない旨の通知を受け、疲労が極限に達した。「私たちでは無理」と弁護士に相談したという。

 妻は8月、京都で待望の第三子を出産したが、男性の病状は変わらない。賠償が支払われたら、どんな形でも仕事を再開したい、と考えている。妻は「夫にとって生きがいだった仕事をもう一度始められるような賠償をしてもらいたい」と訴えた。

毎日新聞 2011年12月22日 地方版

電通、可読性高い書体開発に着手

2011年12月23日 01時58分44秒 | 障害者の自立
電通は22日、高齢者や老眼、白内障を患う人など、年齢や障害の有無に影響されずに読みやすい書体の開発に取り組むと発表した。

同社内の横断プロジェクト「電通ダイバーシティ・ラボ」が一般社団法人ユニバーサルコミュニケーション デザイン協会(理事長=福田泰弘トッパン・フォームズ相談役)の協力を得て実施する。消費者の多様性に配慮した広告主のコミュニケーション活動や商品・サービス開発でのコンサルテーションも視野に入れる。

可読性の高い書体の設計では、博報堂が2009年に専門組織「博報堂ユニバーサルデザイン」を立ち上げ、タイプバンク、慶應義塾大学と共同で「つたわるフォント」を設計するなど先行している。

AdverTimes(アドタイ)2011年12月22日 掲載