日本での車椅子バスケット、または障害者スポーツの認知度を上げるにあたって、井上雄彦氏の漫画『リアル』は大きな役割を果たしました。この作品は、事故や病気で体に障害を持ってしまったり、または自分の過失で人に障害を負わせてしまったりしたことで、それぞれ心に傷を持つ登場人物たちが、車椅子バスケットと関わることで生きるための新しい活力を得て、人生を前進させていく物語です。
この作品の登場人物の一人、高橋久信は高校のバスケット部でエースという立場にいた選手でしたが、出来心で盗んだ自転車に乗っている途中に交通事故で半身不随となってしまいます。
彼と同様、交通事故によってスポーツ選手から一転、障害を持つことになった人物に、ジェフユナイテッド市原で活躍した元Jリーガー、京谷和幸氏がいます。
京谷氏は、自身の結婚式の衣装合わせの朝、交通事故に遭い、下半身不随となってしまいます。普通の人でも自分の腰から下がもう二度と動かせないと宣告されたら、すぐに現実のこととして受け止めることは難しいはず。まして、京谷氏は誰よりも自分の身体を自由に、大きく使うことができたスポーツ選手です。そんな彼ですから、やはり半身不随となることを知らされた時は、サッカーがもうできなくなるという事実を受け入れられなかったといいます。
下半身不随とは、自分の排尿・排便もコントロールできなくなるということです。京谷氏は排便のリズムを作るために下剤を飲んで、時間になったらトイレに行くというリハビリを始めましたが、薬の量によってはトイレに入ってから2時間も便が出なかったり、逆に薬の量が多すぎて他のリハビリ中に漏らしてしまい、周りの人に迷惑をかけてしまうということもあり、気がおかしくなりそうなほどの精神的なストレスを感じていたといいます。
しかし、夫人をはじめ周囲の人々の支えもあり、徐々に車椅子生活に慣れていった京谷氏。一番の転機は、障害者手帳を取りに行った浦安市役所で職員をしていた、元車椅子バスケット日本代表でヘッドコーチを務めていたこともある小滝修氏との出会いでした。同氏のすすめで車椅子バスケットを始めることになった京谷氏は、それにのめり込み、自身の努力もあって日本代表入り、北京パラリンピックでは日本選手団の主将を務めるまでになったのです。
『車いすバスケで夢を駆けろ』(金の星社/刊)には、今もまだ現役選手としてロンドンパラリンピックを目指している京谷氏の歩みが記されています。
サッカー選手であった京谷氏にとって、サッカーをできなくなるという事態は、おそらくそれまでの人生で最大の試練だったはずです。その事実を受け止め、前を向いて再び歩き始めた同氏の人生は、私たちにも大いに学ぶところがあるのではないでしょうか。
下半身不随から日本代表になった元Jリーガー
新刊JPニュース 2011年12月15日 18時配信
この作品の登場人物の一人、高橋久信は高校のバスケット部でエースという立場にいた選手でしたが、出来心で盗んだ自転車に乗っている途中に交通事故で半身不随となってしまいます。
彼と同様、交通事故によってスポーツ選手から一転、障害を持つことになった人物に、ジェフユナイテッド市原で活躍した元Jリーガー、京谷和幸氏がいます。
京谷氏は、自身の結婚式の衣装合わせの朝、交通事故に遭い、下半身不随となってしまいます。普通の人でも自分の腰から下がもう二度と動かせないと宣告されたら、すぐに現実のこととして受け止めることは難しいはず。まして、京谷氏は誰よりも自分の身体を自由に、大きく使うことができたスポーツ選手です。そんな彼ですから、やはり半身不随となることを知らされた時は、サッカーがもうできなくなるという事実を受け入れられなかったといいます。
下半身不随とは、自分の排尿・排便もコントロールできなくなるということです。京谷氏は排便のリズムを作るために下剤を飲んで、時間になったらトイレに行くというリハビリを始めましたが、薬の量によってはトイレに入ってから2時間も便が出なかったり、逆に薬の量が多すぎて他のリハビリ中に漏らしてしまい、周りの人に迷惑をかけてしまうということもあり、気がおかしくなりそうなほどの精神的なストレスを感じていたといいます。
しかし、夫人をはじめ周囲の人々の支えもあり、徐々に車椅子生活に慣れていった京谷氏。一番の転機は、障害者手帳を取りに行った浦安市役所で職員をしていた、元車椅子バスケット日本代表でヘッドコーチを務めていたこともある小滝修氏との出会いでした。同氏のすすめで車椅子バスケットを始めることになった京谷氏は、それにのめり込み、自身の努力もあって日本代表入り、北京パラリンピックでは日本選手団の主将を務めるまでになったのです。
『車いすバスケで夢を駆けろ』(金の星社/刊)には、今もまだ現役選手としてロンドンパラリンピックを目指している京谷氏の歩みが記されています。
サッカー選手であった京谷氏にとって、サッカーをできなくなるという事態は、おそらくそれまでの人生で最大の試練だったはずです。その事実を受け止め、前を向いて再び歩き始めた同氏の人生は、私たちにも大いに学ぶところがあるのではないでしょうか。
下半身不随から日本代表になった元Jリーガー
新刊JPニュース 2011年12月15日 18時配信