ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

北九州車椅子ソフトボール大会:車椅子、上手に操り熱戦 障害者、健常者一緒に /福岡

2015年02月13日 01時51分11秒 | 障害者の自立

 障害者と健常者が一緒に楽しめる「第2回北九州車椅子ソフトボール大会」が11日、八幡西区鉄竜1の穴生ドームであった。県内から集まった4チーム約60人が笑顔を交えながら、試合に臨んだ。

  北九州市立大の学生グループが企画、開催した。全員が車椅子に乗ってプレーし、外野手が4人いることなどを除けば、通常のソフトボールとほぼ同じルール。ただ、車椅子操作の技術が勝負を左右するため、健常者が必ずしも有利と言えない点も特徴だ。

 日本女子ソフトボールリーグ2部・CLUB北九州も参加したが、車椅子で走る速度が遅く、センター前ヒットと思われる当たりでも一塁でアウトに。障害者が多数交じったチーム相手に苦戦を強いられた。

 日ごろは車椅子バスケットやハンドボールに取り組んでいる小郡市の三国中1年、西田美鈴さん(12)は「すっごく楽しかった。これからも機会があったら参加したい」と話していた。

〔北九州版〕     毎日新聞 2015年02月12日


障害児と音楽を楽しみ30年 松戸の市民団体 21日ラストコンサート

2015年02月13日 01時45分32秒 | 障害者の自立

 松戸市の市民団体が三十年続けてきた障害児や父母、市民が一緒に楽しむ音楽会が二十一日、フィナーレを迎える。「本物の音楽」を生で聴かせたいと母親や教諭らが願い、共感した音楽家と作り上げてきた。格式張らず、障害児たちが気軽に楽しめる草分け的な音楽会。都内や横浜市からも訪れる恒例行事になっていたが、運営の中心メンバーの高齢化もあり、三十回の節目で区切りをつける。 

 音楽会を催してきたのは「障害者問題研究会松戸サークル」。半世紀近い前の一九六八年、近藤美弥子会長ら当時の障害児学級の教諭や、障害児施設の保育士、保護者らが、子育てや教育を一緒に学び合おうと立ち上げた。

 障害児や障害者を支えるために松戸に必要なことなどを議論する一方、学校から帰ると、そのまま家の中で過ごすことが多かった子どもたちのために、遠足や二泊三日の親子合宿、クリスマス会などを開催した。

 当時、障害に対する理解不足もあり、子どもたちが音楽ホールで演奏を聴くことは難しかった。母親や教諭らはプロの歌声、演奏を聴かせたいと願った。近藤さんたちは知人を通じ、流山市で「コンサート宅配便」と銘打った音楽活動をしていたテノール歌手高橋寛さん(58)=山形県寒河江市=と出会い、八五年に音楽会を実現させた。

 年一回ペースで続いた音楽会は、静かに座っているといった一般的なマナーは度外視し、子どもたちのよく知っている曲や母親たちが和める曲を中心に演奏。フルート、チェロなど楽器それぞれの音色を聴くコーナーもあり、終盤には子どもたちが手作りのマラカスを鳴らしながら参加者全員で大合唱して盛り上がる。曲のリズムに合わせて踊り出す子もいる。

 数回目の音楽会で、初めて静かな曲を演奏した。バイオリンによる「荒城の月」。体を常に揺らしている女子生徒が聴き入った。女子生徒の母親は涙ながらに「娘が自分で動きを止めるのを初めて見た」と感激。男性スタッフは「音楽の素晴らしさが子どもたちに伝わった。音楽の力を実感した」と振り返る。

 初めて参加した子に「先輩」たちが、静かに聴く曲の時は静かにするよう、自ら教えるようにもなった。

 子どもたちの成長を目の当たりにしてきた高橋さんは「障害のある子どもたちは反応がストレート。音楽家としての道から外れていないかを確認する機会でもあったので、とても寂しい」と惜しむ。

 サークルも三月で活動を終える。かつてサークルに関わった人たちは、市内で就学前の障害児支援などさまざまに活動。親子合宿に参加したボランティアの中には教職や福祉職に進んだ人もいる。サークルの中心メンバーは、先駆的な活動への自負とともに、仲間たちの活躍を心強く思っている。

 近藤さんは「みなさんに楽しんでもらえたら、それでいい。精いっぱい頑張ってきたし、楽しかった」と優しくほほ笑む。

 音楽会「障害児・者と共に楽しむコンサート」は午後二時~三時半、市健康福祉会館。参加無料。

問い合わせは近藤さん=電047(387)1667=へ。

2015年2月12日    東京新聞

 


問われる当事者性と専門性 精神障害のピアスタッフ急増で

2015年02月13日 01時32分10秒 | 障害者の自立

 精神障害があり、同じような障害のある人に仕事としてかかわる「ピアスタッフ」の動きが活発だ。2014年9月に発足した全国団体「日本ピアスタッフ協会」は昨年12月13・14両日、埼玉県内で集会を開き、障害当事者130人を含む250人が参加した。ピアスタッフは近年急増し、ブームだと言われることもある。同協会の原田幾世会長は初日の講演で「ピアスタッフをブームで終わらせてはいけない」と話した。

  「薬の副作用で鼻水が出るのは女性としてつらいですよね」。障害者相談支援事業所「てれんこ」(仙台市)の相談支援員、川村有紀さんは、自分の服薬体験を相談者に話したことを「体験を差し出す」と表現した。

  川村さんは10代で統合失調症を発症。「大学を中退し、人生をあきらめた」。転機が訪れたのは27歳の時。通信課程で精神保健福祉を学んだ際に訪れた「てれんこ」に誘われて就職した。

  病気に苦しんだ体験がプラスに働く喜び。体験を押し付けていないかという不安——。「体験を差し出す」という表現はそんな揺れる気持ちから生まれた。

  現在30歳。週に3日、非常勤で働く。精神保健福祉士の資格も取った。「当事者性のある専門職」でもあり「専門性のある当事者」でもある。

  「ピアスタッフ」と名乗るかどうかは場面によるという。

  「てれんこ」では当事者を雇用し始めてから5年がたつ。

  所長で精神保健福祉士の長岡千裕さんは「雇用して良かった。当事者は同じ場面を専門職と違う視点で見ることができる。単なる当事者ではなく職員だから安心できるという相談者もいる」と振り返った。

  一方、戸惑いがない訳ではない。長岡さんは働く当事者に対し、「雇用主として労務管理する」「専門職として就労を支える」——という二つの顔を持つ。

  「専門職はどうしても当事者にいい顔をしたくなるが、雇用主としてモノを言うべき時もある。日本ピアスタッフ協会は、こうした雇用主の相談にのってほしい」と話した。

ピアスタッフだからできること

 「ピアスタッフ」「ピアサポーター」と呼ばれる人は地域活動支援センター、就労継続支援B型事業所などで働いている。仕事内容は相談支援や退院支援が多いとみられる。

  政策的にもこの10年ほどの動きは急速だ。

  厚生労働省は、障害者総合支援法に基づく地域生活支援事業のメニューに「ピアサポート」を明記。

  日本社会事業大学は12年度、精神保健福祉士の通信課程に、精神疾患の治療経験者を対象とした「ピア精神保健福祉士コース」を設けた。

  「ピアサポート専門員養成研修」(南高愛隣会主催、福祉医療機構助成)も一部地域で13年度に始まった。

  「ピア流行り」「ピアブームだ」と言われることもあるが、「ピア」として働く当事者の名称や定義は定まっていない。全国に何人いるかも不明だ。職場内での立ち位置があいまいで、孤立する人もいる。

  そこで14年9月14日、前年度までの全国集会に携わっていた有志が協会を設立。情報共有や学びあいを目的として活動を始めた。

  当事者性とは何か。専門性とは何か——。対人援助の根幹にかかわる議論がさらに加速しそうだ。

 現在41歳の私は、10年前に入院した。病名は統合失調感情障害。眠れなくて幻聴もあった。入院を機に、60%程度の「ほどほどの力」で生きるようになり、少し楽になった。

  最近はピアスタッフ、ピアサポーターがブームだが、ブームで終わらせたくない。ピアだからこそできることがたくさんある。それを広く知ってもらいたい。

  当事者性を生かすには気づきと学びが必要だが、その機会は非常に乏しい。協会では学びの機会を設けたい。専門職とも「協働」したい。支部も設け、ピアの人材バンクができたら面白い。

  私は言葉にすることで多くのことを実現してきた。皆さんもぜひ思いを言葉にしてみてほしい。

 【日本ピアスタッフ協会】

 会長=原田幾世(宮城県障害者職業センター・仙台市)、副会長=引地はる奈(障がい者相談・地域活動支援センターひびき・福島市)、磯田重行(つばめ福祉会ピアつばめ・福岡市)。連絡先や入会方法などはホームページ参http://peersociety.jimdo.com/

2015年0212日     福祉新聞編集部