読者の皆さんに、とても重大な御報告があります。
私、立石芳樹は本日2月16日をもちまして……27歳になりました!
誕生日といっても、この年になると高揚感も何もありませんね。むしろ、(またひとつオジサンに近づいちゃったなあ)という感じです。誰かが誕生日パーティを開いてくれるわけでもないし、プレゼントをくれるような素敵な彼女もいないし……。
バレンタインデーを過ぎたばかりということで、今週のテーマは(恋愛)です。30歳が目前に迫ってくると、恋愛へのあこがれが強くなってくるというか、何だか急にさみしくなるんですよね。
実は、この(恋愛)というテーマ。ずっと避けてきたテーマでもあるんです。気が進まない以前に、そもそも書くことがないのですから。こういう華のある話題は樋口彩夏さんあたりにお任せしたいところですが、いい加減に覚悟を決めて、恋愛について思っていることを素直に書いてみたいと思います。
初恋は、小学校の時でした。5年生から6年生で同じクラスになったIさんという女の子で、どんなときにも明るいところが魅力的でした。結局片想いで終わってしまいましたが、あの頃の気持ちは今でも忘れられません。
今となっては誰ひとりとして信じてくれませんが、思春期まではけっこうシャイだったんですよ。
忘れもしない、中学1年の自然教室。キャンプファイヤーの最後に、男女交互に輪になってゲームを行う場面がありました。ゲームのルール上、両どなりの女子の手を握らなければいけなかったのですが、当時の僕にはそれがどうしても恥ずかしくて、ゲームに参加することができませんでした。
担任の先生に頼んで輪の中から抜けさせてもらったのですが、どうしてあの時あんなに尻込みしたのか、いまだに自分でもわかりません。
はじめて彼女ができたのは、高校1年の冬。となりのクラスのMさんでした(その頃にはもう、シャイな性格は改善していました)。
きっかけは、体育の授業。マンツーマン授業になるのは5月からで、4月いっぱいはクラスと一緒の空間で授業を受けていたのです。体育は3つのクラスが合同で行われるので、すごくにぎやかで楽しい授業でした。
オリエンテーションをかねたレクリエーションゲームで、僕とMさんはペアになりました。ゲームの中には、どうしても僕には参加できないゲームもあります。(できなかったら2人で話してていいよ)と先生が言ったので、僕はMさんと体育館の壁際でいろいろと雑談をしていました。
(どこに住んでるの?)
(好きな音楽は?)
(高校に入ってどうだった?)
Mさんは僕に、とても気さくに質問をしてくれました。僕も彼女からたくさんのことを聞きました。好きな科目のこと、入りたい部活のこと、将来の夢について……。ゲームよりも雑談の内容のほうがはっきり記憶に残っているのですから不思議なものです。
それから、授業の合間や昼休みにとなりのクラスに遊びに行くようになりました。彼女はちょうど廊下側の最前列の席だったので、話しかけやすかったのです。
その後、5月に開かれた障害者の陸上競技大会の運営を手伝ってくれたり、夏休み前の球技大会で1日付き添ってくれたり……と、いつの間にか2人で話す時間が多くなって、その年の冬にお付き合いすることになるのですが、まあ、個人的な話はもういいですよね。ちなみに、気持ちを伝えたのは僕のほうです。
告白しようと思った決め手は、彼女が僕を(こわがっていなかった)からです。クラスメイトの中には、あからさまに顔には出さないもの、障害者である僕をどこかこわがったり、遠巻きに見たりしている人もいました。けれど彼女は、(障害)というキーワードに不安を抱く様子もなく、かといって好奇心で接するでもなく、対等な視点で僕を見てくれました。50分の体育の授業で彼女とうちとけられたのは、彼女の大らかさのおかげだったのでしょう。
障害者が健常者と恋愛をする場合、どうしても、(障害をどうやって理解してもらうか)という問題が出てきます。障害があるがゆえの制約(デートの場所など)が生じるのはある程度やむを得ないわけで、恋人になる相手にその部分をどうわかってもらうか。まずそこから始めなければならないのです。
Mさんとの関係では、僕もその点で悩みました。第一に、デートの行き先の問題。車椅子のバッテリーの関係であまり遠出ができず、現地のバリアフリー状況も気にしなければいけません。車椅子への対応がきちんと整っていて、なおかつ片道30分以内で行ける場所となると、どうしてもかぎられてしまいます。
結局、デートといっても日曜日に学校で時間を過ごすか、たまに川崎まで行って映画を観るかという決まりきったパターンになっていました。(一緒に過ごせるなら場所はどこでもいいよ)と彼女は言ってくれていたのですが、本当はオシャレな街を歩きたかったんじゃないのかなと、今でも申し訳ない気持ちです。
行動範囲が広がった今なら、遊園地とか水族館とかディズニーランドとか(発想が古くてすみません!)、ワンパターンにならないデートプランを考えてあげられるのになという思いもあります。すべては遅すぎる後悔ですけれど。
障害をいかにして理解してもらうか、というよりもまず、(障害を理解してくれそうな人を恋愛相手として選ぶ)ということが大事になってきます。でも、これが難しいんですよね。
友達として付き合っている分にはすごくフランクに、心を開いて接してくれていたのに、こっちが一歩踏み込んだ瞬間に、「障害がある人はちょっと……」と、引いた態度になってしまう人もいる(あくまで一般論ですよ、一般論)。
障害という部分に引っかかりを感じる気持ちを否定することは、僕にはできません。障害者との恋愛にリスクがともなうのは事実ですから。それに、制約のないデートを望むのはある意味で当然のことです。高校生の恋愛なら(一緒に過ごせるなら……)ですみますが、大人同士となるとそうはいきませんからね。
だから、どういう人が障害を受け入れてくれやすいかなんて、ふられてみるまでわかりません。専門知識のあるヘルパーさんや看護師さんならハードルが低いかというとそうでもないし、逆に渋谷のギャルが全員うちとけにくいというわけでもないでしょう。
とりあえず、告白してみましょう。(障害者だから……)と奥手にならずに、まずは気持ちを伝えてみるのです。ふられて当然、お付き合いできたらもうけものぐらいの心構えでいると失恋のショックも少ないかもしれません。
これは賛否両論あるところでしょうけれど、僕自身としては、障害を理由にふられたほうが気が楽なんです。だって、あきらめがつくじゃないですか。こっちの性格や相手側の状況を理由にふられたら、(性格や環境が変わればもしかしたら可能性があるのかな)と変に期待してしまいますが、「障害者はムリ!」ときっぱり言われれば、こっちもいさぎよく気持ちを切り替えることができる。本音をストレートに伝えるのも優しさなのではないかと、僕は思うのです。
デートにヘルパーを同行させるカップルも多いと、テレビ番組で知りました。1対1だと健常者のほうがどうしても介助者に徹してしまうから、恋人らしいムードが味わえない、ということのようです。僕自身はやっぱり、デートであれば彼女と2人の時間を楽しみたいと考えるタイプなのですが、世の中にはいろいろな恋愛観があるんだなと、また少し視野が広がりました。
障害者と健常者の恋愛には、いくつかの越えるべきハードルがある。では障害者同士の恋愛ならうまくいくかというと、そう単純なものではありません。双方が障害を持っているということは、向き合わなければならない問題が増えることを意味しますから、それ相応の工夫と努力が必要になるのです。
実際に障害者同士の御夫婦を知っていますが、周囲からの批判や予期せぬトラブルに見舞われたりと、つらい思いも多かったようです。そうした逆風にめげず、自分の思う道を一心に貫いている方々には、心から頭が下がります。
世の中のすべての男性を(モテる・モテない)という基準で分けるとしたら、僕は間違いなく(モテない側)にいる人間です。でも、そんな僕にも、人間関係をつくるうえでお手本にしている人がいます。
それは、田村淳さん(ロンドンブーツ1号2号)です。
持ち前のコミュニケーション能力を活かし、多方面なメディアで活躍する田村さんは、僕にとって、(本当はなりたかったもうひとりの自分)なのです。「つねに相手の本質を引き出す」という彼のコミュニケーションスタイルは、恋愛という関係だけでなく、いろいろな局面で役に立ちます。
たとえば、ビジネスで。「相手が何を一番望んでいるか」をまず先に考えるクセをつけておくと、差し迫った交渉もスムーズに運ぶのではないでしょうか。上司の指示をきちんと理解し、そのうえでそれ以上の成果を出す。このような(先読み社員)はどの会社でも大切にされます。
あるいは家族関係でも、お互いの気持ちを優先して考えるようにすれば、極端なボタンのかけ違いもふせげると思うのですが、それは理想論でしょうか。
相手の立場になって考えることの大切さを、田村淳という(モテ男)は教えてくれました。彼の言動には賛否両論ありますが、コミュニケーションへの鋭い洞察は参考にすべきものが多いと思います。
障害の有無にかかわらず、最近は恋愛に関心を持たない人が多いと聞きます。(どうせモテないから……)というあきらめの姿勢ではなく、そもそも恋愛そのものに興味がないのだそうです。
それもまた個人の価値観だといえばそれまでですが、僕としてはやっぱり寂しい気がします。面倒くさいなんて言わずに、どんどん恋をしてほしい。
僕がどうして恋愛を強くすすめるのか。それは、恋愛が(ままならぬもの)であるからです。
勉強や仕事であれば、自分自身が努力をすればそれなりの結果がついてきます。望んだ水準までたどり着けなかったとしても、積み重ねた分が無駄になることはないでしょう。
けれど、恋愛だけは違います。自分がいくら相手のことを好きになって、必死に気持ちを伝えたとしても、相手がそれを受け入れてくれなければ、すべてはゼロに戻ってしまいます。自分の努力だけではどうにもならないのです。
だからこそ、面白いのです。恋愛は、自分を見つめなおすチャンスでもあります。どうやったらあの人を振り向かせることができるか。その作戦をあれこれと考えるプロセスで今まで知らなかった自分に気づき、思わぬ自己発見につながる。恋多き人が若々しく映るのは、つねに新しい自分を見つけているからではないでしょうか。
片想いで終わってもいいから、恋愛はどんどんしたほうがいい――それが、数少ない恋愛経験からたどり着いたひとつの結論です。
2015年2月16日 朝日新聞