札幌市の精神障害者自立支援施設で昨年2月にあった殺人事件で、犠牲となった同市中央区の精神保健福祉士、木村弘宣(ひろのぶ)さん(当時35歳)の父邦弘さん(69)が、精神障害者らを支援する基金を設置した。殺人容疑で逮捕されたのは入所者の男性だが、弘宣さんは精神障害者の自立支援に情熱を注いでいた。事件から27日で1年。邦弘さんは「加害者を恨むより、障害者も職員も安心して生きられる社会を息子と作りたい」と望む。
同市白石区の「援護寮」。弘宣さんは昨年2月27日、週1回の定期面談で部屋を訪れた際、入所男性に首を刃物で切りつけられた。男性は「自分も死ぬつもりだった」と供述したが、札幌地検は昨年5月、心神喪失状態で責任能力は問えないとして不起訴処分とし、鑑定入院の措置を取った。
事件の2年前、弘宣さんは「心の病がある人のために働きたい」と、援護寮を運営する法人に転職した。かつて勤めた関東のIT企業で過労などからうつ状態となり、退職した過去があったからだ。
事件後、邦弘さんは「なぜ息子が死なないといけなかったのか」と苦しんだ。入所男性の不起訴に、事件の原因や背景は分からないままになるとの不安もあった。
四十九日の法要を終え、同級生や同僚、親族らからメッセージを集めた追悼集の編集を始めた。すると、福祉の現場で笑顔を絶やさず精いっぱい利用者に向き合っている弘宣さんの姿が見えてきた。入所者と面談する時は机を挟んで正座し「よろしくお願いします」と同じ目線で丁寧に頭を下げていた。事件の日も、あいさつの時に襲われたと知った。
「誇りを持って人生をかけて働く職場を安全にできないか」との思いにかられた。事件を機に、精神障害者やその家族らへの偏見や差別が広がることも懸念した。そんな時、国から労災保険の遺族給付金が支払われた。「息子の命の代償。息子がしたかった仕事を手伝いたい」と、基金を思いついた。
市民の寄付で作る札幌市の基金制度を活用。「木村弘宣メモリアル基金『ひまわり』」と名付けた。精神障害者の自立支援や若年性認知症のサポートをする団体などを支援するつもりだ。
邦弘さんも福祉の現場にいる。妻が若年性認知症と診断されたことをきっかけに、患者や家族を支えるNPOを2012年に設立。昨年7月には「精神障害者の自立支援を考える会」も発足させた。「障害者の自立支援にやりがいを感じていた息子は、厳罰化も規制強化も望んでいない」と邦弘さん。患者や家族、施設従事者らと交流し、福祉の現場で悲劇を繰り返さないための防止策や入所者支援のあり方などを共に考えたいと願っている。
毎日新聞 2015年02月25日