ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

精神障害者を小屋に閉じ込め 闇に埋もれた「私宅監置」

2019年05月04日 18時13分54秒 | 障害者の自立

 コンクリート造りで広さは5平方メートル。

 窓はなく、小屋の中と外をつなぐのは、壁に開けられた直径10センチ程度の穴五つと、食事の出し入れ口、そして排泄物(はいせつぶつ)を流し出す溝だけだ。出入り口は鉄の扉で閉ざされていたという。

 精神障害があった富俊さんは、自宅敷地内に建てられたこの小屋に13年間閉じ込められていた。1950年代から60年代にかけてのことだ。

 当時は合法だった。「私宅監置」という制度で、日本本土では1950年まで、戦後米国統治下にあった沖縄では72年まで続いた。制度の廃止が遅かった沖縄には今も、かつて使われていた小屋が残る。

 富俊さんが閉じ込められた小屋は沖縄本島の北部にある。母屋からは10メートルほど離れ、さびた扉が小屋にもたれるように転がっていた。小屋に入ると、壁の穴を通して入る光はわずかで内部は暗い。穴から外をのぞくと見えたのは草と木だけだった。

 小屋を作った男性(92)に話を聞くことができた。富俊さんが大工をしていた頃の先輩だ。

 ある時、富俊さんが包丁を持って歩き回り、警察沙汰になった。男性は警察から依頼された通りに木製の小屋を作ったが、富俊さんが小屋を壊したため、コンクリートで作り直したという。

 富俊さんは入ることに抵抗したが、男性が「みなに迷惑がかかっている。ここで静養しなさい」と言うと従った。様子を見に行くと「寂しいから出して」と言われた。かわいそうに思ったが出せなかったという。

 富俊さんの弟(74)にも会えた。弟は、監置前は母親のえりをつかみ、揺すっていた姿を覚えていた。小屋に閉じ込めてからは話すことはなくなり、食事は母親が運んだ。母屋に叫び声が聞こえてくることもあり、「かわいそうだったが、8歳くらいの私には何もできなかった。近所にも同じような小屋があり、普通だと思うようになった」

 私宅監置は、家族が申請し行政の許可を得る仕組みだ。富俊さんもその手続きで「治安維持のために監置が必要」とされ、合法的に閉じ込められた。小屋での13年を経て、富俊さんは病院に入院。退院後は自宅や高齢者施設で暮らし、2017年に89歳で亡くなった。

 「医制八十年史」(旧厚生省発行)によると、1935年には全国で7千人超が監禁されていた。私宅監置に詳しい愛知県立大学の橋本明教授によると、申請理由の多くが治安維持や近所迷惑だったという。「ただ、監禁された人たちの具体的な様子を記録した資料はほとんどなく、語ることも避けられてきた」(橋本教授)

 こうしたなか、「何もしなければ当事者たちの尊厳が失われたままになってしまう。歴史の闇に消えてしまう」と危機感を募らせた人たちが、小屋の保存と私宅監置の歴史の継承に動き始めた。

 そのひとりが、沖縄在住でフリーランスのテレビディレクター原義和さん(49)だ。最初は県内で関係者に話を聞こうとしても、「なぜ過去の恥を」と反発されたが、徐々に口を開いてくれる人たちが現れたという。

 当事者の家族や、私宅監置に関わったことを今も悔やむ元保健所職員。そうした人たちが、かつてのことを振り返りつつ、投げかける。「障害者を排除する風潮は、過去のことなのでしょうか」

2019年5月3日 16時30分      朝日新聞デジタル                     

    


精神障害者を小屋に閉じ込め 闇に埋もれた「私宅監置」

2019年05月04日 18時03分49秒 | 障害者の自立

コンクリート造りで広さは5平方メートル。

 窓はなく、小屋の中と外をつなぐのは、壁に開けられた直径10センチ程度の穴五つと、食事の出し入れ口、そして排泄物(はいせつぶつ)を流し出す溝だけだ。出入り口は鉄の扉で閉ざされていたという。

 精神障害があった富俊さんは、自宅敷地内に建てられたこの小屋に13年間閉じ込められていた。1950年代から60年代にかけてのことだ。

 当時は合法だった。「私宅監置」という制度で、日本本土では1950年まで、戦後米国統治下にあった沖縄では72年まで続いた。制度の廃止が遅かった沖縄には今も、かつて使われていた小屋が残る。

 富俊さんが閉じ込められた小屋は沖縄本島の北部にある。母屋からは10メートルほど離れ、さびた扉が小屋にもたれるように転がっていた。小屋に入ると、壁の穴を通して入る光はわずかで内部は暗い。穴から外をのぞくと見えたのは草と木だけだった。

 小屋を作った男性(92)に話を聞くことができた。富俊さんが大工をしていた頃の先輩だ。

 ある時、富俊さんが包丁を持って歩き回り、警察沙汰になった。男性は警察から依頼された通りに木製の小屋を作ったが、富俊さんが小屋を壊したため、コンクリートで作り直したという。

 富俊さんは入ることに抵抗したが、男性が「みなに迷惑がかかっている。ここで静養しなさい」と言うと従った。様子を見に行くと「寂しいから出して」と言われた。かわいそうに思ったが出せなかったという。

 富俊さんの弟(74)にも会えた。弟は、監置前は母親のえりをつかみ、揺すっていた姿を覚えていた。小屋に閉じ込めてからは話すことはなくなり、食事は母親が運んだ。母屋に叫び声が聞こえてくることもあり、「かわいそうだったが、8歳くらいの私には何もできなかった。近所にも同じような小屋があり、普通だと思うようになった」

 私宅監置は、家族が申請し行政の許可を得る仕組みだ。富俊さんもその手続きで「治安維持のために監置が必要」とされ、合法的に閉じ込められた。小屋での13年を経て、富俊さんは病院に入院。退院後は自宅や高齢者施設で暮らし、2017年に89歳で亡くなった。

 「医制八十年史」(旧厚生省発行)によると、1935年には全国で7千人超が監禁されていた。私宅監置に詳しい愛知県立大学の橋本明教授によると、申請理由の多くが治安維持や近所迷惑だったという。「ただ、監禁された人たちの具体的な様子を記録した資料はほとんどなく、語ることも避けられてきた」(橋本教授)

 こうしたなか、「何もしなければ当事者たちの尊厳が失われたままになってしまう。歴史の闇に消えてしまう」と危機感を募らせた人たちが、小屋の保存と私宅監置の歴史の継承に動き始めた。

 そのひとりが、沖縄在住でフリーランスのテレビディレクター原義和さん(49)だ。最初は県内で関係者に話を聞こうとしても、「なぜ過去の恥を」と反発されたが、徐々に口を開いてくれる人たちが現れたという。

 当事者の家族や、私宅監置に関わったことを今も悔やむ元保健所職員。そうした人たちが、かつてのことを振り返りつつ、投げかける。「障害者を排除する風潮は、過去のことなのでしょうか」

    

           富俊さんが監置されていた小屋=沖縄県


2019年5月3日         朝日新聞デジタル                     


「ユニクロにメールしてみよう」から始まった原価「ほぼゼロ円」商品

2019年05月04日 17時15分48秒 | 障害者の自立

「らふら」で販売されている「Denihagi ミニトート」                    

「らふら」で販売されている「Denihagi ミニトート」

「ユニクロにメールしてみよう」。何気ないひらめきから生まれた材料費「ほぼゼロ」の商品があります。裾上げなどで裁断される布地を再利用。デザインはファッションの専門学校生が考案したバッグです。グローバル企業を動かしたプロジェクトには「福祉の世界も稼げる」ことを目指したメンバーの思いがありました。

商品を手にする米田さん=「らふら」店内            

商品を手にする米田さん=「らふら」店内

協力企業はクラボウ、YKK、ブラザー…

大阪市住吉区で、障害者が手作りした雑貨を扱うセレクトショップ「らふら」(社会福祉法人ライフサポート協会)では、ファーストリテイリングや繊維メーカーのクラボウ、ファスナーを手がけるYKK、デザイナーなどを育成する大阪モード学園、ミシンを扱うブラザー販売の協力を得ながら、3月からミニトートバッグを販売しています。
3月時点での制作者は、同法人が運営する生活訓練「つみき」の利用者で、軽度知的障害のある20代女性1人。もともと手芸が趣味で、「楽しい」と言いながら製作しているといいます。現在は少しずつ作り手を増やしながら商品作りをしています。

段ボールいっぱいに届いたハギレは色ごとに分別している            

段ボールいっぱいに届いたハギレは色ごとに分別している

大阪モード学園の学生がデザイン

このバッグ、何がすごいかというと、材料費をほぼかけずに製作できているという点です。 バッグのデザインは大阪モード学園ファッションデザイン学科の学生が授業で考え、布地はユニクロの店舗で発生するハギレ、クラボウのサンプル反を無償提供してもらっています。また、YKKからはファスナーを、ブラザー販売からは縫製に使うミシン3台の無償提供を受けました。
なぜ大手企業などの協力を得た商品ができたのか、プロジェクトの中心になった法人職員で「らふら」店員の米田麻希さんに聞きました。

学生時代のバイトがきっかけ

米田さんは学生時代、ユニクロでアルバイトをした経験があります。裾上げ後のハギレが廃棄されていることを知り、生かすことはできないかと考えていました。社会人になり、ライフサポート協会の法人職員となってからは、法人の独自商品を開発し、売り上げを伸ばすことで、法人内の作業所で働く利用者の工賃を上げることにつなげられるのではないかと考えるようになったといいます。

ハギレをつなぎ合わせていく過程について説明する米田さん            

ハギレをつなぎ合わせていく過程について説明する米田さん

【障害者工賃】 厚生労働省の工賃実績(平成29年度)によると、就労継続支援B型の全国平均工賃は、1万5603円。大阪府は1万1575円で、全国最低クラス。一方、府の障害者就労を支援する「エル・チャレンジ」によると、平成18年度から平成29年度までの「伸び率」は全国平均約127%なのに対し、府の伸び率は144%と、全国を大きく上回っている。 ライフサポート協会の法人内の月額支給額の平均は約2万円で、府の平均工賃より8500円ほど高い。エル・チャレンジの担当者も「大阪府には全国平均より高い平均工賃を支払っているところも決して少なくない。利用者さんの月当たりの利用日数が平均して少ない施設にとっては、1か月あたりの平均工賃という評価方法は厳しい」とし、「個人の意見になりますが、この平均工賃はひとつの評価指標に過ぎず、これのみで福祉施設の現状を考えることは限界があるかもしれない」と話す。

2017年5月、米田さんの経験と思いを法人内で共有すると、「ユニクロにメールしてみよう」と、ユニクロを運営するファーストリテイリングに早速連絡することになりました。実はファーストリテイリング、これまでも海外でハギレを使ったプロジェクトを展開してたこともあり、日本でも実施したいと考えていました。 両者の思いが合致し、その年の11月には東京のファーストリテイリング本社でプレゼンし、「プロジェクトへの想いだけでなく、目的や販売拠点を持ち、計画を立てている。是非協力させていただきたい」(ファーストリテイリング)と、とんとん拍子で事は進み、同社が以前からCSR活動に関する意見交換を定期的に行っていたブラザー販売やYKKと、らふらをつなぎ、プロジェクトの輪が広がっていきました。

仕組みを全国に広げるには…出した答えは

ここで出てきた課題が「ものはそろったけど、デザインや縫製はどうしよう」。
「ユニクロは全国で展開しているし、福祉作業所も全国にある……。そうだ!全国展開をしている服飾系の専門学校に声をかければ、このプロジェクトがいつか全国的な広がりをみせるかもしれない!」   プロジェクトに関わっている人たちの総意が固まり、2018年4月にはモード学園に話を持ち込みました。ファッションデザイン学科の学生およそ40人の前で話をすると、デザイン案がなんと90近くあがってきました。 法人職員の間では、「全部いい!」となったのですが、コスト面などでファーストリテイリングからのアドバイスを受け、一次審査で13案まで絞られました。その後、法人職員や、「らふら」とゆかりのある子育て世代の意見を聞きながら5案にまで絞り、その後二次審査を経て3案を採用することになりました。

試作品も捨てずにとっておいてある。まだ縫製がぎこちないものも。            

試作品も捨てずにとっておいてある。まだ縫製がぎこちないものも。

現在在庫切れ、でも新作の予定も

現在販売しているミニトートは、3案うちの1つで、残り2案はYKKから提供を受けているファスナーを使う予定だといいます。 今後は商品作りの担い手を増やすべく、法人内にある障害者活動センター「オガリ作業所」(生活介護・就労継続支援B型)の利用者にも関わってもらう予定です。 ファーストリテイリングの担当者は、「ユニクロの店舗から直接地域の施設の方にハギレをお届けする事で地域に貢献できれば、という思いで参加し、障害者工賃アップに今回の活動が良い影響を与えることができるのであれば、嬉しく思います」と話しています。
米田さんは「大阪は商売の町なのに障害者の工賃は低いまま。すぐに効果がでなくても、売り上げが積み上がった結果、工賃アップに繫げたい」と期待しています。

商品は1980円(税込み)で販売されていますが、現在在庫がない状態。在庫が出次第、「らふら」のSNSで告知する予定だといいます。 facebookはこちら インスタグラムはこちら 購入は社会福祉法人ライフサポート協会「らふら」(大阪市住吉区帝塚山東5ー8-7)まで。

ハギレの組み合わせでまったく違う色使いになるのも楽しい            

ハギレの組み合わせでまったく違う色使いになるのも楽しい

施設内でとどまらない動きが生んだ商品

試着室でジーンズの裾を合わせ、「あーあ。こんなに余っちゃった……」と落ち込んだ経験を持つ人が少なくないはずです。。
私は「裾上げお願いします」と店員さんにお願いするたびに、裁断される布地の多さにため息をつく一人です。
でも、余ったそれが、形を変えて障害者工賃アップにつながる可能性のある商品になっていることを知り「きれいごと」ではない、お金に向き合おうとするプロジェクトの真面目さを感じました。 写真を一目見て「かわいい!」と思い、購入させていただいたバッグは今、お弁当入れとして活躍しています。
福祉施設発で販売される商品は様々ありますが、デザインにこだわった商品は、正直、あまり多く知りません。でも、福祉のためという前提がなくても、単純に可愛いと思ってもらえるかを考えることは、福祉の現場で働く人のためになることを、あらためて感じました。
施設内で完結してしまっていたかもしれない「物作り」を、市場に引っ張り上げたこと。企業のCSR活動と結びつけるなど外に開けた動きにしたことが、デザイン性に優れた、材料費ほぼ「ゼロ」の商品を生んだのだと思います。

 

2019年05月04日         金澤 ひかり        朝日新聞記者


憲法の重み次世代へ あなたが注目の条文は

2019年05月04日 16時19分54秒 | 障害者の自立
  憲法記念日の3日、東京都江東区の有明防災公園(東京臨海広域防災公園)で開かれた護憲派の集会には「憲法を守りたい」という大勢の人たちが駆け付けた。注目している条文や、気になる改憲の動きなどについて聞いた。
 
9条・戦争放棄 赤松熊雄さん「食糧難 もう二度と」

 「戦後の食糧難を今でも覚えている。次の世代にあんな思いは絶対にさせたくない」。世田谷区の無職赤松熊雄さん(77)は、戦争放棄を掲げる九条に願いを込める。

 主に現在のあきる野市や昭島市で育った。「サツマイモのつるや草、木の芽を塩味で煮るだけ。生きていたのが不思議なぐらい」。小学校の家庭科で「成長期にはタンパク質が必要」と習ったが、日々のおかずは菜っ葉が大半で、水でおなかを膨らませていた。

 「平和憲法を守ろう」というのぼりを手に、「子どもや女性も犠牲になるのが戦争だ」と実感を語った。「ゲームと違い体も心も傷つく。若い人たちには分からないかもしれないが、実際に苦しむ時には遅い」

◆73条の2(自民案)・緊急事態条項 神谷宗孝さん「首相に権限 恐ろしい」

 「信用できない首相に権限を与えるなんて、恐ろしい」。神奈川県小田原市の知的障害者グループホーム職員の神谷宗孝さん(57)は、自民党改憲案で七三条の二として盛り込まれた、非常時に内閣の権限を強化するための「緊急事態条項」に反対する。

 ヘイトクライム(差別に基づく犯罪)とされる、二〇一六年に相模原市の障害者施設で入所者十九人が殺された事件を巡り「安倍首相は事件直後、『事件を許さない』とのメッセージを出さなかった」と指摘。ナチス・ドイツが障害者を殺害した歴史に言及し「非常時に一番弱い人が切り捨てられないか」と危ぶむ。

 自身は、利用者の意思を尊重するよう心掛けてケアしている。「あるがままを受け止めて、一緒に生きる。そんな社会でありたい」

>24条・個人の尊厳 両性の平等 工藤直生さん・工藤早苗さん「夫婦別姓導入を」

 「結婚という制度の中でも、個人の尊厳を守りたい」。千葉県松戸市の保育士工藤早苗さん(26)は、家族や婚姻について定めた二四条にある「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚」という文言を重視している。

 一年前に結婚。自身も夫直生(なお)さん(27)も名字に愛着があったが、社会制度上の不利益や子どものことを考えて事実婚は断念。「女性の方がいろいろ生きづらいから」と、直生さんが早苗さんの姓に変えたが、二人とも納得はしていない。

 家族を強調する自民党の改憲草案には反対だ。「自分たちは家族でもあり、個人でもある。今の憲法を生かしながら、夫婦別姓を導入するなど、個人の尊厳をさらに大事にする社会にしたい」と訴えた。

2019年5月4日         東京新聞

 


障害は体の可能性が広がること 差異尊重の知恵探る

2019年05月04日 16時00分15秒 | 障害者の自立

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 伊藤亜紗著 光文社新書                       

視覚障害者について書かれた本書は、いわゆる福祉関係の問題を扱った本とは全く違う。見える人と見えない人との違いを明らかにすることで、体の潜在的な可能性を探ろうとする身体論だ。

著者は、かつて生物学者を志し、現在は美学、現代アートを専門とする研究者。視覚障害のある人々との対話を通し、彼らがどのように空間を把握しているのか、どのように感覚を使っているかなどを、柔らかな文体で解き明かす。見えない人の世界を通じて知る、体の驚くほど豊かな可能性。その数々を知るうちに、私たちが抱く体の「当たり前」が揺るがされ、興奮を覚えずにはいられない。

お互いを理解し合って生きるためには、自分とは異なる体を持つ存在に対して想像力を働かせることが必要だと語る著者。障害者だけでなく、外国人やLGBTなど、多様な人々が共生する社会を見つめ直すきっかけも与えてくれる。

■要点1 見えない人には「死角」がない

見えるということは、「どこから見るか」という視点が存在すること。同じ空間でも、視点によって見えるものが全く違うし、必ず死角が出てくる。しかし、見えない人は、そもそも視点がないので、死角も生じない。視点に縛られないということは、空間を俯瞰(ふかん)的に把握したり、物体を3次元で捉えたり、内/外、表/裏といった区別なく、すべてを等価に「見る」ことができるということ。見える人に比べると情報量は限られるが、だからこそ情報に踊らされずに世界を捉えることができる。

■要点2 「どの器官を使うか」より「どう使うか」

「見るのは目」「聞くのは耳」といったように、私たちは感覚と器官の結びつきを固定しがちだ。しかし、周囲の話し声をなんとなく耳に入れるのは、「眺める」ことと同じ。また点字も、実は「触る」のではなく、一定のパターンを認識して意味として理解するという「読む」行為なのだ。大事なのはどの器官を使うかではなく、それをどのように使うか。実際、事故や病気で特定の器官を失った人は、残された器官をそれぞれの方法でつくり替え、新しい体で生きる術(すべ)を見つける。人間の器官とその集まりである体は、実は柔軟でさまざまな力を秘めているのだ。

■要点3 蔑視や特別視をせず、“違い”を面白がる

健常者は障害者に対して、サポートすべき、情報を与えるべきといった「福祉的な態度」に縛られがち。また、「見えない人の聴覚や触覚は特別に優れている」という神聖視も、無意識のうちに根底に蔑視があったり、視覚障害者の持つ多様性を覆い隠したりしかねない。好奇心、つまり「そっちの世界も面白い」という立場に立てば、お互いの違いを対等に語ることができ、より深い人間関係を築けるし、障害に新しい社会的価値を見いだすこともできるはずだ。

■要点4 ユーモアは社会を生き抜くための武器

見えない人にとって、社会は自分の体に合うようにつくられておらず、不自由さを強いられることもしばしば。そんなとき、見えない人が時として使うのがユーモア。現実を超越した視点に立ち、厳しい現実に置かれたプレッシャーを上手にかわすのだ。また、ユーモアは健常者が障害者に持つ心のバリアをほぐし、お互いの差異を尊重するコミュニケーションの入り口に立たせてくれる。

■要点5 来(きた)る超高齢社会では誰もが障害を抱える

日本は今後、どの国も経験したことのないような超高齢社会に突入する。高齢になれば、誰もが多かれ少なかれ、なんらかの障害を負うことになる。いわば、身体多様化の時代を迎えるのだ。そのなかではお互いの体の在り方を知ることが不可欠。また、障害を壁と捉えず、皆で引き受けることで、コミュニケーションを変えたり関係を深めたりする。そんな知恵がますます必要になってくる。

(嶌陽子)

[日経ウーマン 2019年3月号の記事を再構成]