ゴエモンのつぶやき

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車いすマラソン 障害者スポーツへのご関心 「勇気と感動を与え続けてきた」

2019年05月06日 14時56分34秒 | 障害者の自立

 「四半世紀近く前に感じた感激や興奮が、鮮やかによみがえりました。トップアスリートの驚異的なスピードや、重い障害がある選手が精いっぱいの力を振り絞って歩みを進める姿は、世界各国の多くの人々に、勇気と感動を与え続けてきたと思います」

 平成22年11月14日、天皇陛下は大分市で催された第30回記念大分国際車いすマラソン大会の閉会式で、こう述べられた。

 四半世紀近く前とは、昭和63年のことだ。陛下はこの年の第8回大会も観戦し、当時圧倒的な強さを誇っていたカナダのアンドレ・ヴィジェ氏(故人)に、お声をかけた。

 ヴィジェ氏は後に著した回顧録に、陛下との交流を記したという。

 ■パラの父が結ぶ

 皇室と障害者スポーツの縁は深い。結んだのは、大分県別府市出身の整形外科医で、日本パラリンピックの父と呼ばれる中村裕氏(故人)だった。

 中村氏はイギリスでスポーツを取り入れたリハビリテーションを学び、障害者スポーツを日本で広めようと決意した。

 昭和39年に予定されていた東京五輪の後に、パラリンピックを開催しようと奔走し、実現した。

 東京パラリンピックの名誉総裁を務められたのが、当時の皇太子、今の上皇さまだった。上皇ご夫妻は式典はもちろん、何度も競技を観戦された。

 閉幕後、大会関係者を招いた慰労の席で、上皇さまは「身体障害者の方々に大きな光明を与えたと思います。国内でも毎年行ってもらいたいと思いますし、身体障害者の福祉向上のためさらに、いっそう努力されることを希望します」と述べられた。

 お言葉通り、昭和40年に全国身体障害者スポーツ大会が始まった。上皇さまは毎年のように出席された。

 上皇さまは、中村氏が別府市で創設した社会福祉法人「太陽の家」の活動にも、ご理解を示された。

 太陽の家は、障害者に自立を促し「保護より、(働く)機会を」との中村氏の理念が結実したものだった。昭和41年10月の昭和天皇、皇后を皮切りに、同年11月の上皇ご夫妻、43年11月の常陸宮ご夫妻など、皇族が何度も足を運ばれた。

 上皇さまは、平成27年10月にあった太陽の家創立50周年記念式典にも、出席された。

 この時、上皇さまは「ちょっとやりましょうか」とお声をかけた。相手は両手両足に先天性のまひがある卓球選手の宿野部(しゅくのべ)拓海氏(27)だった。

 ラケットを握られた上皇さまは、卓球台の隅を狙ってボールを打った。

 現場に居合わせた県生活環境部審議監の高橋基典氏(58)は「上皇さまは、全く手加減なしで打たれているように見えた。相手を一人のアスリートとしてとらえる。そのお姿に、感動した」と話した。

 2人のラリーは長時間続いたという。

■「必ず見せたい」

 大分国際車いすマラソン大会を発案したのも、中村氏だった。同大会は昭和56年、世界でも初の車いす単独国際マラソン大会として始まった。

 中村氏は、障害者が一人のアスリートとして限界に挑戦する姿を追い求めた。上皇ご夫妻は、中村氏の思いを理解し、次代につなごうとされた。

 元県庁職員で、大会運営に携わった池永哲二氏(62)は、先輩に聞いた話として、こう打ち明けた。

 「昭和60年の第5回大会に、上皇ご夫妻にご臨席いただいた。この時、上皇后さまが『息子たちに必ず見せたいと思っています』とおっしゃった」

 お言葉通り、天皇陛下だけでなく秋篠宮さま、黒田清子さんの3人全員が、大会を観戦されている。

 陛下は平成30年6月、東京でリオデジャネイロ・パラリンピック女子マラソン(視覚障害)銀メダリストの道下美里選手の伴走を務められた。

 29年11月の園遊会で道下氏が提案したものだった。陛下は「私自身も理解する良い機会」として快諾された。

 

 陛下は31年2月の記者会見で、伴走を振り返り「自然な形でパラリンピックの競技を体験できたことは、本当に自分にとっても良かった」と述べられた。

 国内では、令和2年の東京パラリンピックに向け、障害者スポーツへの関心が高まる。大会では、皇室の方々も大きな役割を果たされるだろう。

 同じ年、大分の車いすマラソンは40回を迎える。池永氏は「節目の年に皇族の方に出席いただければ、大会や障害者スポーツに光が当たる。これほどの幸せはない」と語った。

2019.5.5         産経ニュース


「発達障害は、人それぞれが持っている個性の一つ」 当事者の若者は訴える

2019年05月06日 14時34分04秒 | 障害者の自立

発達障害を社会に発信する若者の団体、BeU。発達障害の当事者でもあるメンバーが語る「発達障害の人がより生きやすい社会とは」

発達障害を社会に発信する若者の団体がある。発達障害やその特性を持つ首都圏の大学生や卒業生の10名ほどで活動する「BeU」だ。

「自分らしく生きる人を増やしたい」というビジョンのもと、当事者コミュニティーとしての内輪の活動だけではなく、イベントや講演会、リーフレットの作成を通して社会に発達障害への理解を深めてもらうための活動もしている。

発達障害の人がより生きやすい社会とは」。そんな問いを、BeUの設立者で代表を務める名田憲史さんとメンバーの小林暉さんに投げかけてみた。

環境が「障がい」を決める

 そもそも発達障害とは何か。

 発達障害は「生まれつきの脳機能の発達のかたよりによる障がい」と定義されている。一方で、社会生活に困難が生じるかどうかは「その人が過ごす環境や周囲の人とのかかわり」が大きいとされている。

 ADHD(注意欠如・多動性障害)の当事者である名田さんも、自らの経験を踏まえて、「周囲の環境によって、発達障がいが『障がい』となるか『個性』となるかどうかが決まるんです」と話す。名田さんによると、発達障害を持つ人が生きやすい環境を作るためには「当事者とその周りの人の『歩み寄り』が大切」だという。

 名田さんは、新卒でIT企業に入社し2年目で、現在は営業として働いている。会社には障害者枠ではなく一般枠で入社したが、自分の障がいのことは周囲にオープンにしている。職場の人も理解を示してくれて、困ったことがあった時は話を聞いてくれたり、気遣ってくれたりするという。名田さんは、ADHDの特性から、プレッシャーをかけられるとミスを起こしがちだ。しかし、こうした職場環境のおかげで、プレッシャーも最小限に抑えられている。

「職場では心理的安全性がある程度担保されているので、自分の特性によって起こる『困りごと』はそこまで多くありません」と名田さんは言う。

 一方で、大学時代の飲食店でのアルバイトでは苦い経験をしたという。当時、名田さんは自分がADHDであることを知らなかった。

 アルバイト先では接客業務を任せられたが、オーダーを正確に取ることができず、レジ打ちをすると金額が合わなくなるなどのミスを連発した。「不注意」はADHDの特性の1つだ。

 「気合いが足りない」、「なんで何度言っても分からないんだよ」。そんな上司や同僚からの言葉がさらにプレッシャーとなり、ミスも増えた。「仕事が増えるから、早くあいつ辞めないかな」と聞こえるように陰口を言われたこともある。結局アルバイト先を6回も変えたという。単純なマニュアル業務をこなせない自分を責める一方で、「人間性を否定されるほどのきつい言い方や態度」に深く傷ついたという。

 こうした経験を経て名田さんは、「当事者とその周りの人が互いに歩み寄り、バランスを取ることが必要」と話す。当事者と周りの人、どちらかだけが「頑張る」のでは片方が生きづらさを感じてしまう

 当事者は自分の特性についてきちんと理解し、特性に合った環境を選ぶことが大切だ。また、環境に適応する努力をしたり、周囲に自分の障がいについてきちんと伝えることも必要だという。一方で、「周りの人も、その言葉をきちんと聞いてあげることが必要だし、できる範囲でサポートもして欲しいです」と名田さんは言う。

 「発達障害は人それぞれが持っている個性の一つに過ぎない」

また、名田さんや小林さんは「発達障害は人それぞれが持っている個性の一つに過ぎない」と捉えている。

 「発達障害かそうでないかは、白か黒かに明確に区分されるものではなく、あくまでも傾向の問題」と小林さんは話す。どんな人でも、「物を無くす」「道を間違える」などのミスはするし、「コミュニケーションが苦手」などの不得意はある。その頻度や程度が極端なために、生活で「困る」回数が多いのが「障がい」となるという。

小林さんは、 「運動が不得意だと『運動神経ない』って言うじゃないですか。歌が下手だと『音痴』だし。みんな、人より苦手なこととか不得意なことがある。発達障害だって、それと同じようなものなんです」 と話す。

一方で、「発達障害」の「障がい」という強い言葉の印象に引きづられ、社会における発達障害への正しい理解は必ずしも浸透していないと名田さんは考えている。それゆえに、当事者が発達障害であることを周りに公表する「ハードル」も高くなっているという。

 だからこそBeUでは、社会に発達障害についての理解を深めてもらうための講演活動に力を入れている。

発達障害という概念の捉え方を変え、発達障害へのハードルを下げたい

名田さんは、言葉に力を込めた。

ハフポスト日本版      2019年05月05日

 


狙われる弱さ/上 障害者、性暴力の標的 いじめ、孤立…居場所なく風俗へ

2019年05月06日 13時38分18秒 | 障害者の自立

 暴力は最も弱い人に向けられる。しかも性暴力は見えにくい。知的障害や発達障害を持つ女性は、障害の特性につけ込まれて男性の性的な欲求のはけ口にされたり、風俗産業の食い物にされたりする上、被害をうまく訴えられず認められないこともある。最も弱いゆえに狙われる障害者の性暴力被害の実態と課題を、2回に分けて報告する。


「一緒のユニホームで試合したい」富谷の障害者フットサルチームがCFで支援呼び掛け

2019年05月06日 13時23分51秒 | 障害者の自立

 宮城県富谷市を拠点に活動する障害者のフットサルチームが、インターネットのクラウドファンディング(CF)でユニホームなどの購入資金を募っている。手弁当の運営に財政的な余裕はなく、幅広い支援を呼び掛けている。  「おそろいのユニホームを着て試合に出たい」。CFのサイトに載せた集合写真で、メンバーが笑顔でアピールする。チーム名は「ロス・エンカンタドーレス」。スペイン語で「すてきな人たち」を意味する。「アヴァンサ」の名称で昨年4月に活動をスタートさせ、秋に名称を変更した。  メンバーは小学生から40代の約40人。月1回、富谷市内で練習会を継続して開く。4月21日はFリーグ・ヴォスクオーレ仙台の千葉泰伸さんが指導した。  会場や用具はヴォスクオーレの支援を受けている。現状について、保護者代表の富谷市の山下咲子さん(75)は「障害のある子の家は親がかりで、多くは裕福でない」と説明。息の長い活動を願い「ユニホームで一体感を得たい」と話す。  CFを機に、ユニホーム一式、ボールなど用具の購入を予定する。目標は60万円で、期限は今月30日。4日現在で13万円余りが集まったが、達成にはより多くの協力を必要としている。  障害者がスポーツを楽しむ場は少ない。山下さんの息子で知的障害がある会社員の英騎さん(45)は「体を動かせる場は貴重。そろいのユニホームで他のチームと交流できたらうれしい」と期待を寄せる。  チーム運営に携わる介護・福祉施設経営の「東北福祉ビジネス」(仙台市太白区)の佐藤吉永さん(51)は「CF挑戦を通じ、障害者が生き生きと活躍できる居場所をつくりたい」と言う。ユニホームをそろえ、今秋にも交流試合を開催して披露したい考えだ。

  復興庁のCF支援事業の対象。募金のホームページはロス・エンカンタドーレスのフェイスブックページからアクセスできる。連絡先は022(739)7791。

そろいのユニホームで試合する日を楽しみに練習に励むメンバーら

2019年05月05日         河北新報


狙われる弱さ/下 性被害、立証の壁 障害者、難しい日時記憶 誘導されやすく

2019年05月06日 13時04分18秒 | 障害者の自立

 軽度の知的障害がある吉田えみさん(23)=仮名・神奈川県在住=は、特別支援学校高等部に通っていた時、男性教諭(当時20代)から性的な被害に遭った。

      男性教諭は「背が高くてかっこいい先生」。バレンタインデーにチョコを贈ったのを機に手紙のやりとりが始まった。部活の帰りに男性教諭に「送っていくよ」と言われ車に乗せられた。「家に来ない?」。誘われるままについて行くと関係を持たされた。関係は数カ月間続いたが、ある時男性教諭のアパートに2人で入るところを知人に見られ、発覚した。

     えみさんは誘われると断るのが苦手だ。「私のことを好きでいてくれると思っていたのに……。