母親として。そして、女性として*❤️母の日に思う
( カーネーションの鉢*庭 5/10 撮影 )
今日(5/10) のラジオ番組で
「母の日」に因んで
母親の話題を紹介していた
投稿の中で 母と子のこと、
パートナーのことなど
バラエティに富んだ話が
幾つか披露された
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私の今は亡き母は
昭和5年(1930) 生まれで
多感な青春時代は戦時中であり
戦後もしばらくは混乱期で
多くの人たちの生活は
困窮を極めていた
私の母も 例外ではなくて
終戦間もない頃 海辺の田舎町で
姉妹四人が暮らすには
余裕はなかったし
当時稼ぎ頭になるはずだった
長兄(伯父)は 戦時中に
中国南方にて戦死したので
母の一家は 少しの農地と
海苔づくり以外の収入がなくて
職がない母は 外に出て稼ぐか
他家に嫁ぐかしか 生きる術は
なかったようだ
(当時の母は 女学校への進学を
考え 密かに勉強していたが
経済的な理由から泣く泣く
断念したそうだ)
だから 私の母親は 叔母の勧めで
何と!16歳という若さで
遠い親戚の青年T(父)と結婚した
一方 これも今は亡き父親Tも
家庭的な事情から 進学を断念して 実家の農業を継いでいて
そんな中で 二人は 見合いをして
新しい暮らしを始めたとのこと
(結婚の頃 父は勤め人となる)
そして 初めて授かった長男は
当時の経済事情から栄養不良で
幼年期に他界してしまったそうだ
それから男児4人が次々に生まれ
賑やかな家庭になった
昨年の夏に 母の7回忌を
実家近くに住む弟が催したので
私ら夫婦も出向いて母を偲んだ
ps 2023.5.10 草稿
母の臨終に私ら夫婦は間に合って
母を無事に見送ることができた