今度は「ドーハの歓喜」
☆対スペイン戦 12/2
( バルセロナのマグカップなど12/2 )
強い国だろうと
そうでなかろうと
名の知れた国だろうと
そうでなかろうと
戦績凄い国だろうと
まだまだの国だろうと
そんな諸々のことは
いっさい条件にしない
ジャイアントキリングさえ
成立することがある
サッカーは
たった一個のボールと
たった1組のゴールで
「45分×2 +AT」を
ボールの奪い合いと
ゴールシュートと
その阻止にひたすら費やす
( AT=アディショナルタイム)
各11 人のチームが
ゲームもルールも実にシンプルで
各地域を勝ち抜けて
代表チームとなれば
その他の条件は問われない
誰もがウェルカムされるという
実に平等なスポーツゲームだ
走る瞬発力 ボールの保持能力
ボールをコントロールする力
ボールをパスする(渡す)力
ボールを蹴る(シュート)力
相手チームメンバーを避けつつ
あるいはぶつかりながらも進み
攻撃し かつ 守りもする
しかして 見ている限りでは
すこぶる単純そうだが
攻める時も 守る時も
実に目まぐるしく頭を
駆使しているそうだ
リアルタイムで
味方チームと相手チームの動きや
状況を把握して
常に自己判断と自己決定を
求められるゲームだ
試合の節目節目では
監督の采配や味方のアイデアも
大事にするが 最終的には
総合的な要素をもとに
自己判断と自己決定を
試合中 ずっと続けることになる
さながら
走りながら闘うAI アスリートか?
いいや、AI 以上の総合的な能力が
個々に求められるだろう
しかも 個々人のプレーが
重んじられながらも
しかしてチームワークなくしては
勝利は得られないという
一見単純そうだが
奥の深いスポーツでもある
サッカーは たった一点に泣き
たった一点に歓喜し
たった一点の重みを
多くの人が噛み締める
対ドイツ戦は 2-1
対コスタリカ戦は 0-1
そして 対スペイン戦は 2-1
全てが「1点差」となっている
恐るべし「1点」
たかが一点、されど一点だ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
現在のコロナ禍の中で
スポーツは 一時期
不要不急の営みとして扱われ
アスリートや競技者や愛好家は
肩身の狭い思いを抱いていた
だけど そんなスポーツは
傷つけあう戦争よりも
いがみあう紛争や
他国に威張り散らすことよりも
ずっとずっと平和的で
子供や若者たちにも
夢や希望を与える役割を持っている
他者と接したり 自由に
面と向かって(マスク無しで)
話せないというコロナ禍の中で
私たちは 改めて
スポーツの良さや意義について
再認識した
ps 2022.12.2 &12.3 草稿
私は スペインチームのメンバーは
一人も知ってなくて でも
「スペインチーム」という
歴史と輝かしい戦績を持つ
「スペイン」というブランドに
恐れ慄(おのの)く思いがした😅
今回は 色んな要素が絡み
もしかして
「奇跡的に」?勝利したかも知れず
やはり リスペクトする気持ちは
抱き続けたいと思う
「スペイン」と言えば 私は
バルセロナとマドリッドを想起する
本記事の写真には 実は
バルセロナ土産のマグカップが
写っている
十数年前頃 カミさんが
熊本市主催の友好交流旅行とかで
ドイツやスペインを訪ねた時に
記念として買って来てくれたものだ
その時 妻たちの訪問旅行団が
FC バルセロナチームのバスを
使ったため 地元の子どもたちが
選手がいるものと勘違いをして
バスに乗り込みブーイングしたと
いう(笑い)話を聞いた
ラテン系のイタリアやスペインは
親しみやすくて 明るくて
ポジティブで 素敵な国だと思う
それに 最近のスポーツ選手は
欧米などの国々に居住して
その国のチームの一員として
活動し 素晴らしい功績を
あげている人が 多くなった
スポーツのグローバル化は
民族を超えてお互いを理解し
多様性を認め合う好機を作ると思う
(もう「〇〇国」や「〇〇人」に
拘りすぎるのは 世界の潮流に
取り残される?かも知れない)
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