民主主義・自由主義とアジア
(あくまでもカエルの主観で)
民主主義と自由主義を
標榜する欧米の諸国は
独裁的な共産主義国家のソ連が
民主主義の浸透により
瓦解したのを間近に見て
その成功感と達成感に浸り
満足したのではないか
そして
その手法が
アジアの真ん中で
急速に再成長して来た
あの中国でも通用するとみたか
覇権主義の台頭などに
危惧しながらも
ソ連(現・ロシア)や旧・東ドイツの
西側自由主義社会になだれ込んだ
その成功感から 中国も
きっと内側から
自由や民主主義を掲げる集団が
独裁的な政権を倒してくれるという
甘い未来予想を夢見ていた
しかし 現実は
中々そう上手くは
ことが進まないようだ
それは きっと
思想的かつ民族的な特性が
深く絡まっているからではないか
一つは 儒教の浸透だ
儒教は
目上や立場の上の人を尊重して
その人に楯つくことがない
(三国志や水戸黄門をみても
余程のことがない限り、
被支配者は
支配者に楯突くことはない)
もしかすると
年長者や為政者は
普通品格ある大人の振る舞いをするものだ
という 暗黙の性善説を
多くの人が 信じているふしがある
(信じることをベースにしている)
二つ目は 儒教に絡むことではあるが
アジアの一般民衆は
民主主義とか自由主義とかが
心身に深くは浸透していないということだ
あるいは 根付いていないともいえよう
自由に物事を考え
誰に対しても 自由に考えを述べる
そんな風土が アジアの国々では
育っていないのではないか
また 「(平)和」を尊び
争いを好まない民族性が
自由に論争し 自由に振舞うことを
躊躇わせているのかもしれない
ギリギリまで「和」を
尊重するがために
国体が維持されていれば
少々の弊害や
為政者などの暴走を
見逃してしまう そんな気がする
民主主義や自由主義とは
なんと厄介なものだ
物事が決まるまで
膨大な時間と労力と知恵が
国や国民に要求され
あるいは 事によれば
多大の犠牲も強いられよう
だから そうでない
独裁的な(お上)政権の社会は
物事を決めるのも
諸政策を進めるのもめっぽう早い
また 社会のルールや約束事も
政権や一部の者の思惑で
恣意的に決められ
実行されていくことが多い
ある意味 スピーディーだし
かなり効率的でもある
では 私たちは
どのコースを選ぶべきか?
それは
個々人の判断に委ねられるだろう
ただ
少なくとも この私は
窮屈な「お上政権」よりも
自由で民主的な社会が好きだ
水戸黄門などは
見ている分には面白そうだが
私が 下位の武士やら 職人やら
農業や漁業などの従事者だったとしたら
一部の階級の独占的な政治社会は
御免被りたいと思う
たとえ どんな立場であろうと
一人の意見も 原則尊重される
そんなこの国の社会は
とても住みやすいし
気に入っている
ps2019.1.18 ※期間限定版です
近年 世界の潮流が
大きく変わって来ている
他国との軋轢も増えて来た
そんな時 民主主義を標榜する
我が国は 舵取りが大変だ
法治国家、議会主義だから
何しろ 小回りが効かないのだ
とてももどかしいが
急な舵取りは困難だろう
だから 今こそ私たちは
無い知恵?を絞って
事に当たらなければならない
本音を言えば こうなることは
ある程度予測できていただろうから
政府やいわゆる有識者たちは
二、三十年前から対策を
じっくりと練っていて欲しかった!
(少子高齢化社会、国家財政の危機、
高度産業の空洞化、覇権主義の勃興、
近隣諸国との軋轢、諸格差社会、
地球環境の汚染、地球資源の枯渇、
高度通信網の普及と弊害など)
(あくまでもカエルの主観で)
民主主義と自由主義を
標榜する欧米の諸国は
独裁的な共産主義国家のソ連が
民主主義の浸透により
瓦解したのを間近に見て
その成功感と達成感に浸り
満足したのではないか
そして
その手法が
アジアの真ん中で
急速に再成長して来た
あの中国でも通用するとみたか
覇権主義の台頭などに
危惧しながらも
ソ連(現・ロシア)や旧・東ドイツの
西側自由主義社会になだれ込んだ
その成功感から 中国も
きっと内側から
自由や民主主義を掲げる集団が
独裁的な政権を倒してくれるという
甘い未来予想を夢見ていた
しかし 現実は
中々そう上手くは
ことが進まないようだ
それは きっと
思想的かつ民族的な特性が
深く絡まっているからではないか
一つは 儒教の浸透だ
儒教は
目上や立場の上の人を尊重して
その人に楯つくことがない
(三国志や水戸黄門をみても
余程のことがない限り、
被支配者は
支配者に楯突くことはない)
もしかすると
年長者や為政者は
普通品格ある大人の振る舞いをするものだ
という 暗黙の性善説を
多くの人が 信じているふしがある
(信じることをベースにしている)
二つ目は 儒教に絡むことではあるが
アジアの一般民衆は
民主主義とか自由主義とかが
心身に深くは浸透していないということだ
あるいは 根付いていないともいえよう
自由に物事を考え
誰に対しても 自由に考えを述べる
そんな風土が アジアの国々では
育っていないのではないか
また 「(平)和」を尊び
争いを好まない民族性が
自由に論争し 自由に振舞うことを
躊躇わせているのかもしれない
ギリギリまで「和」を
尊重するがために
国体が維持されていれば
少々の弊害や
為政者などの暴走を
見逃してしまう そんな気がする
民主主義や自由主義とは
なんと厄介なものだ
物事が決まるまで
膨大な時間と労力と知恵が
国や国民に要求され
あるいは 事によれば
多大の犠牲も強いられよう
だから そうでない
独裁的な(お上)政権の社会は
物事を決めるのも
諸政策を進めるのもめっぽう早い
また 社会のルールや約束事も
政権や一部の者の思惑で
恣意的に決められ
実行されていくことが多い
ある意味 スピーディーだし
かなり効率的でもある
では 私たちは
どのコースを選ぶべきか?
それは
個々人の判断に委ねられるだろう
ただ
少なくとも この私は
窮屈な「お上政権」よりも
自由で民主的な社会が好きだ
水戸黄門などは
見ている分には面白そうだが
私が 下位の武士やら 職人やら
農業や漁業などの従事者だったとしたら
一部の階級の独占的な政治社会は
御免被りたいと思う
たとえ どんな立場であろうと
一人の意見も 原則尊重される
そんなこの国の社会は
とても住みやすいし
気に入っている
ps2019.1.18 ※期間限定版です
近年 世界の潮流が
大きく変わって来ている
他国との軋轢も増えて来た
そんな時 民主主義を標榜する
我が国は 舵取りが大変だ
法治国家、議会主義だから
何しろ 小回りが効かないのだ
とてももどかしいが
急な舵取りは困難だろう
だから 今こそ私たちは
無い知恵?を絞って
事に当たらなければならない
本音を言えば こうなることは
ある程度予測できていただろうから
政府やいわゆる有識者たちは
二、三十年前から対策を
じっくりと練っていて欲しかった!
(少子高齢化社会、国家財政の危機、
高度産業の空洞化、覇権主義の勃興、
近隣諸国との軋轢、諸格差社会、
地球環境の汚染、地球資源の枯渇、
高度通信網の普及と弊害など)