阪神淡路大震災 24周年 2019.1.17
1995.1.17
忘れもしない
阪神淡路大震災
あの立ち昇る煙
ひしゃげた高速道路
傾いたビルや 壊された家々
ヘリコプターの羽の音と共に
見えてくる壊され焼けた街並み
そのヘリコプターの音を
よもや 二十一年後の
当地熊本で聞こうなんて
想像だにしていなかった
ああ 二十一年前は
被害に遭った人たちが
被災地で
この音を聞いていたんだな
と ある種
共感のような思いを抱いた
被災から 二十四年
随分 復旧や復興は
進んだかもしれないが
住みなれた土地を離れた人や
かけがえのない家族や知人を
なくした人は
まだ生活の復旧や心の修復は
できないでいるのではないか
私ら熊本で暮らす者も
もう三年 いいや まだ三年
という思いが重なっている
阪神淡路大震災の後
東日本大震災や西日本大水害など
大きな地震や水害が
次々と起こり その度に
阪神淡路大震災を経験した人たちが
日本全国の被災地を訪れ
的確で気持ちのこもった
支援をしているのを見て
自分も被災者だったりするのに
その行動力や意思に感嘆する
私らは
住居が半壊後 解体され
今の住居に引っ越したが
年齢や持病のこともあって
気持ちはあれど
残念ながら
何らかの行動までには
至っていない
ただ 阪神淡路大震災の次の日
仕事上の事情で
阪神のある女の子を
二、三ヶ月預かったのを
今でも思い出す
帰るとき
その一年生の女の子が
元気そうだったので
ひとまずホッとした
彼女は 今頃は
きっと元気に働いているだろうなあ
ps2019.1.17 木曜
1995.1.17
忘れもしない
阪神淡路大震災
あの立ち昇る煙
ひしゃげた高速道路
傾いたビルや 壊された家々
ヘリコプターの羽の音と共に
見えてくる壊され焼けた街並み
そのヘリコプターの音を
よもや 二十一年後の
当地熊本で聞こうなんて
想像だにしていなかった
ああ 二十一年前は
被害に遭った人たちが
被災地で
この音を聞いていたんだな
と ある種
共感のような思いを抱いた
被災から 二十四年
随分 復旧や復興は
進んだかもしれないが
住みなれた土地を離れた人や
かけがえのない家族や知人を
なくした人は
まだ生活の復旧や心の修復は
できないでいるのではないか
私ら熊本で暮らす者も
もう三年 いいや まだ三年
という思いが重なっている
阪神淡路大震災の後
東日本大震災や西日本大水害など
大きな地震や水害が
次々と起こり その度に
阪神淡路大震災を経験した人たちが
日本全国の被災地を訪れ
的確で気持ちのこもった
支援をしているのを見て
自分も被災者だったりするのに
その行動力や意思に感嘆する
私らは
住居が半壊後 解体され
今の住居に引っ越したが
年齢や持病のこともあって
気持ちはあれど
残念ながら
何らかの行動までには
至っていない
ただ 阪神淡路大震災の次の日
仕事上の事情で
阪神のある女の子を
二、三ヶ月預かったのを
今でも思い出す
帰るとき
その一年生の女の子が
元気そうだったので
ひとまずホッとした
彼女は 今頃は
きっと元気に働いているだろうなあ
ps2019.1.17 木曜