哲ノート

gentle heart!! ヤサシイココロ・オトナノココロ

一粒のごはんつぶでも・・・

2021-01-12 21:40:54 | ちょっと気になる
「一粒の米」「一粒のごはんつぶ」にまつわることばから・・・。

「一粒の米であっても、天の神様からは一俵の大きさに見える。決して粗末にしてはならない。」

「一粒のお米には七人の神様がいるんだよ。」

「米一粒、汗一粒。」

米が主食である日本人の昔からの精神文化のよりどころでもある「ごはん」「お米」

 

自分のポリシーとして「ごはん粒一粒も残さず食べる(食べきる)」(こんなの当たり前でしょ)

外食でも自宅のめしでも、「ごはんつぶ」を一粒でも残すのが嫌なのである。(もったいないとか食欲旺盛とかの問題ではない)(エビのしっぽでもパセリも刺身のつまも食べます。残しません!! 魚の骨くらいでしょうか)

ましてや自分だけでなく、身近な人や赤の他人であっても、目の前の料理・めしを少しでも残すと(残す姿を目撃すると)、この人は「食べ物を残すことは気にせずに、こういう食べ方するんだ」という目で見てしまう。

最近目について多いのが飲食店で「食べ物を平気で残す人」しかもちょっとなら「しょうがないなぁ…」だけど、出された料理を半分も食べきらないで席を立つ人(せっかくの料理が・・・何様のつもりだぁ)

   

「体調が悪い」とか「よっぽど口に合わない」とか「食わず嫌い」とか「まずい」とか、その人にとってはなにか理由があるかもしれないが…。

それにしては「平気で残す(残しても平気)」その感情・気分ってなんなんだろうか…こちらはたとえ嫌いなものがあっても、料理として出された以上「残したら申し訳ない」と“がんばって”食べきるんだけどなぁ。

こんな光景見ちゃうと、その人(身近な知っている人でも)に対して、終生「嫌悪感」だけがレッテルとして残るんです。

料理を提供する人作る人が、残された料理を見てどう思うのか・・・食材を作った人までさかのぼることはないが、どうしても「残す」ということができないのである。

たとえ「ごはんつぶ」一粒でも・・・。

 

コメント
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