ひさびさの電車、偶然座席に座れてラッキー!!
周りを見渡すと“いつもの光景”で、み~んな「スマホガン見」
人の息づかいも感じられない、寒々しい無機質な時間だけが流れる。駅に着いて人の出入りがあるのですが、また元のシラ~とした空間に戻ります。
こちらはそんな人間観察をしたり、車窓をぼ~と見ていたり・・・こんな時にちょっとした発想・ひらめき・考えが思い浮かぶことがあって、実は貴重な時間としてとらえています。
ある駅で背を丸くした“見た目”高齢のおばあさんが乗ってきて、席が埋まっているもんだからドアそばの手すりにつかまります。
ちょっと遠いんだけど「(席を)ゆずりたいなぁ・・・」とすぐに思い立ったんだけど、席が遠くて声もかけられない(どうしよう・・・)
・・・と、思ったら近くの女性がすぐさま声をかけたようで席をゆずってあげてます。
あ~よかった、自分以外にも気が付いて、気が効く人がいて・・・でも声をかけらえなかった自分には反省。
こういうのって、席をゆずる勇気、赤の他人に声をかける勇気、そんなちいさな勇気を持ちつつ人としてあたりまえのおこないとして行動するわけでしょう。
お互いの遠慮とか譲り合いとか、声を掛け合うといった、人として持ち合わせた感情を常に持ち合わせていて、それが自発的に動くわけですよね。
これはこれで丸く収まるんですが、この場では周りの状況も見えない人、わざと無関心を装う人が目の前にいるのも確かです。(この行為が良いとか悪いとかではなく)
大多数の「スマホガン見」の乗客が、目の前のこんな親切心に富んだ行動さえ見ずに、ただの無機質な空間・自分だけしか認識できない空間、そんな寒々しい空間だけが過ぎてゆく電車内の光景。
ほんの数年前に人間が造った「スマホ」という道具が、人間が持ちうる本能を変えていってしまうような社会を作り出し、そしてそれが社会を席巻するような事態になってきているように思えます。
これでは将来「スマホという道具」に「人間」が逆に使われることになるのかもしれません・・・電車の中での光景にそんな事を危惧しなきゃいけないような場面を見た思いがしました。
私も電車で自分が立っている時に、座らせてあげたい人が乗ってきたら
「誰か譲ってあげられませんか」と言いたくてウズウズしますが声にできず…勇気が出ません。
譲る譲らないはお互いの気持ちの持ちようですが、見てみぬふりはできませんものね。むずかしいものです。