観・環・感

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下呂温泉その3 水明館と野鳥2

2010年07月23日 | 日記
下呂温泉のホテル水明館で見た川端龍子の「鳥籠」という絵に描かれている野鳥をハマヒバリと同定したが、果たしてこの絵が描かれた当時、ハマヒバリが飼い鳥とされていたかどうか気になりネットで検索することにした。
すると、大正15年に大文館から出版された「趣味と実益 飼ひ方秘訣 小鳥の講座」という本の中にハマヒバリの項目があるらしいということが分かった。
検索ついでに調べを進めると、
川端龍子(1885年~1966年)は最初は洋画だったらしいが、留学したアメリカで失意の中、立ち寄ったボストン美術館で鎌倉期の名作「平治物語絵巻」を見て感動したことがきっかけとなり、日本画に転向したらしい。
興味が湧いてさらに検索をしていくと、異母弟は、「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人だった。
ホトトギスといえば、正岡 子規(本名は、正岡常規)
彼の雅号の「子規」は、ホトトギスの異称の一つ。
ちなみに、ホトトギスを表す漢字は、杜鵑、時鳥、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑、霍公鳥、
霍公、郭公、杜魂、布谷、無常鳥、黄昏鳥、夕影鳥、菖蒲鳥、初時鳥、山時鳥、沓手鳥、山郭公と多い。(もっとあるようだ。)
万葉集では153首も読まれていることから、いかに古くから親しまれている野鳥であるか分かるが、最近は、野鳥ファンでも実物はなかなかお目にかかれない。
ホトトギスついでにホトトギス派の創始者でもある正岡子規は、22歳にして、当時不治の病とされる肺結核に罹り、彼は自分の命を残り10年と考え、「子規」と名乗った。ホトトギスの激しく鳴く様子が、結核患者の血を吐く
様子に重なり、当時、ホトトギスは肺結核の代名詞だったらしい。
ついでに、川端龍子は和歌山市の呉服商「俵屋」の長男として生まれている。偶然だろうが実家の屋号が俵屋、さらに川端龍子が居宅で使用していた襖絵「桜芥子図襖」が俵屋宗達の工房作である。このことから、
あたためて日本画の天才俵屋宗達との因縁を感じた。
なお、水明館の「鳥籠」は、小さな画だが、彼は、大作主義による「会場芸術主義」を掲げ、自ら日本画団体「青龍社」を創設している。
徳島の野鳥ファンとしては、豪放な作品として知られる鳴門海峡の激しさを表した「鳴門」に海鵜(ウミウ)が書かれてていることが嬉しい。また、同じく大作の愛染に鴛鴦(オシドリ)のつがいが描かれているのも気に入っている。
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