観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

ソアラとレクサスSC

2005年11月16日 | 日記
レクサスSCは、販売開始後わずか1ヶ月で600台も売れた。車自体は、ソアラのマイナーチェンジモデルなので、本来なら、よく売れてもソアラの時の1ヶ月30台を少し上回る程度であっただろう。しかし、レクサスブランドの威光は大したものだ。それにつけても、ハードの力よりソフトの力が強いということをまざまざと見せつけられた。この車の購入層は、勝ち組の一歩手前のクラスだろうか。ソアラじゃちょっと……思ってた人たちが、レクサスという響きに後押しされ購入に踏み切ったのだろう。
ところで、スバルの富士重工もトヨタの傘下になったが、早速1,000人のリストラとかで大変なようだ。しかし、同じ水平対向エンジンのポルシェがフォルクスワーゲンの筆頭株主になったように、いつかは………とトヨタのいいところを吸収し、辛抱して頑張ってもらいたい。しかし、スバルスピリットは、消さないで欲しい。

渡り鳥と鳥インフルエンザ

2005年11月15日 | 日記
この冬、鳥インフルエンザが猛威を振るうとの予測があり、渡り鳥に全部罪を押しつけられている観がある。
紀宮様が非常勤研究員を務められていた山科鳥類研究所の所長コメントを読めば、誤解であることが分かる。
鳥インフルエンザがそのまま人の間で流行する可能性は低いものの、豚または人の体内で鳥インフルエンザと人インフルエンザが交雑し、て新型インフルエンザが生まれると大流行する可能性がある。
20世紀に世界的に大流行したインフルエンザは、いずれもA型インフルエンザウイルスによるもので、多くは豚の体内で人インフルエンザと鳥類のインフルエンザが交雑(ウイルス同士で遺伝子が組み換わること)して生まれた新型インフルエンザが人に広がったものと推定されている。
インフルエンザウイルスは、元来カモなどの水鳥に広く存在し、(カモ等は無症状でウイルスを糞中に排泄する)、鶏などの家禽類、豚など家畜類に感染する。人に流行するインフルエンザ(人インフルエンザ)も鳥インフルエンザも同じインフルエンザウイルスだが、インフルエンザウイルスの種類により動物種ごとの感染性は大きく異なるので、鳥インフルエンザは人にほとんど感染しない。
しかし、病気の鶏に濃密に接したり、鶏糞などを吸い込んだ場合や野生の水鳥と家禽を一緒に扱ってる東南アジアなどでは直接感染することもある。また、飛行機の利用による国際旅行も多いので、感染地から旅行者などの身体や靴などに付着して、直接運ばれることもある可能性もある。
(写真は、1987年 渡辺貞夫のBIRDS OF PASSAGE(渡り鳥)というタイトルのレコードジャケット)

バルトの楽園 「武士の情け」

2005年11月13日 | 映画・テレビ
映画「バルトの楽園」のストーリー
1914年。第一次世界大戦で日本軍は、3万の大軍を送り込み、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。ドイツ兵4700人が捕虜として送還され、日本各地にある俘虜収容所に収められる事となる。厳しい待遇が当然な俘虜収容所の中で奇跡の様な収容所が徳島県の板東に存在した。板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、ハーグ条約に則りドイツ人捕虜達の人権を遵守し、ドイツ人俘虜収容所としては例のない寛容な待遇をさせた。ドイツ人の捕虜達は、言語・習慣・文化の異なる地域住民と民族を超えた素朴な人間愛を育みながら収容所での生活を送る。そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めて『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。(東映の映画紹介から)
この俘虜収容所長の松江大佐の徳島での住居跡に建立したのが、写真の顕彰碑(背後は新町川と眉山)
話は変わり、この碑の中に書かれている「武士の情け」という言葉で有名なのは、浅野内匠頭の江戸城における刃傷騒動「武士の情けで御座る、お離しくだされ、梶川殿」だが、武士の情けとは、新渡戸稲造の「武士道」によると力ある者の慈悲でとある。
所長の松江大佐は、朝敵とされた旧会津藩士の長男として両親が追いやられた青森県の不毛の地といわれた斗南で明治6年に生まれている。旧会津藩士が辛酸を嘗めたことを知っているからこそ、ドイツ人の捕虜の気持ちも理解できたのであろう。
退役後、大正11年から14年まで若松市(現会津若松市)の市長を務めたりし、昭和31年に83歳で死去。

那賀川のナカちゃん1

2005年11月10日 | ナカちゃん
11月2日に那賀川で見つかったアゴヒゲアザラシ。どうしても逆光になってしまう。

REPEATでローランド・ハナ

2005年11月08日 | 日記
先週の土曜、高校の同級生のY代議士を囲んで同級生達との飲み会があった。そこで、Tさんがあなたに誘われて初めて行ったピアノバーREPEATのママが俺のことを覚えていたと感心してた。という話を聞いたので、帰り道で一緒になった友達と寄ってみた。店では、マスターの三海さんがローランド・ハナの曲を若いベーシストと演奏していた。一緒に行った友達は、偶然マスターと同じ碁会所に通ってる事が分かった。
写真は、1977年に買ったレコードジャケット

上機嫌の土曜日

2005年11月06日 | 野鳥
この日も3日と同じく蒲生田へ日の出頃に到着。
前回と違って灯台へ着く手前で圃場の二番穂を啄むナベヅル2羽を観察できるという幸先のいいスタート。灯台では1羽のタカも逃すまいと7人の侍が。おかげで十分、タカを堪能することができた。そして、残念な思いもするが、4日に初認したナベヅル2羽の和歌山方面への旅立も見ることができた。

雨に煙る伊島

2005年11月04日 | 日記
徳島県を通過するタカの渡りは、白樺峠→岐阜→京都→大阪、神戸→淡路島→鳴門→高知の北コ-スと伊良湖→三重、奈良、和歌山→徳島県南部・阿南海岸部→高知の南コースと2つある。
昨日は、南のコースの蒲生田岬へでかけた。家から、南へ行くに従って雨の降りが強くなってきた。しかし、せっかくの休み、この機会にと岬の灯台まで行くことにした。条件が良くないので、ハイタカ、オオタカの写真撮影はあきらめたが、せっかく来たのにと思い、風景写真でも撮ることにした。写真は灯台から真東の伊島、の9時頃の様子。この時間、熱心な鳥キチ5人がこの島に着いて雨宿りをしていたらしい。