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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

戦後75年の記憶、戦争放棄(過去ログ)

2020-08-11 12:00:00 | 学問

もう直ぐ、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。

昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。

 

昭和22年、日本が無条件降伏したときに受け入れた、ポツダム宣言により、それまでの、大日本帝国憲

法に代わり、日本国憲法が施行されることになる。

当時小学4年生だったmcnjに、その詳しい内容の理解は難しかったが、おおよそ、日本は今後戦争をしな

い(戦争放棄)、国民の基本的人権は保護される、主権は、天皇ではなく、国民にある(主権在民)、こんな

内容で有ることを教えられた事をおぼえている。

新聞にも、その内容が、大々的に報じられていた。

特に、衝撃的だったのは、戦争放棄だったようである。

1面にでかでかと載っていた。

サザエさんだったかと思うが、カツオ君達が、箒をかついで、戦争ごっこをしているマンガが掲載されて

いた。


2ニャんの近況報告

2020-08-10 12:00:00 | 学問

みかんで~す。

耳にできものが出来たので、お医者さんへ行って、お薬塗ってもらったよ~。

ついでに、体重測ったら、4.5kgだったよ~。

今年中に、満5歳だよ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暑いにゃあ。

寝るのが一番じゃニャア。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦後75年の記憶、日本国憲法(過去ログ)

2020-08-09 12:00:01 | 学問

もう直ぐ、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。

昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。

 

日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布、半年後の昭和22年5月3日に施行された。

この経緯は、当時小学3年生のmcnjにわかるはずもなく、まったく、記憶は無い。

後に調べたことであるが、それまでの、天皇主権から、国民主権に変わったこと、基本的人権を尊重する

こと、平和主義に徹することが、3大原則であると教えられた。

この際、皆さんも、ぜひ、wikipediaなどで、お調べになられたらいかがかと思う。

昭和20年8月15日、日本は、ポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏をした。

ポツダム宣言に織り込まれた条文を遵守する法的義務があり、その一つが、大日本帝国憲法に変わる、ポ

ツダム宣言の精神に則ったた、新憲法の制定義務であった。

内容は、GHQ(連合国軍総司令部)がポツダム宣言の主旨に沿って定めたものであったが、最後の、帝国議

会で、若干の修正の後、昭和21年11月3日公布され、翌22年5月3日施行された。

 

当ブログ↓のポツダム宣言のところでも述べたが、あの忌まわしい戦争が、大日本帝国憲法の、天皇に主

権を与え、国民は、それに絶対的に従わせられて、政治をおこなうと言う考え方に、要因があったと判断

して、宣言は提言していた。

進駐してきた、GHQ(連合軍総司令部)は、まず初めにこれに基づいて、新しい日本国憲法を制定

させた。

憲法改正の基本理念として、三大理念が基本とされた。

 1、人権の尊重。

 2、国民主義(民主主義)

 3、平和主義(戦争放棄)

この要点は、

1、主権在民

  天皇から主権を取り上げて、国民に与える。

2、戦争放棄

  武器を持たず、戦闘行為も禁止する。

3、言論の自由

4.信仰の自由

5、個人的人権の尊重

6、三権分立

である。

昨今の、自衛隊の国際貢献の観点から、憲法第9条の見直しが叫ばれている。

現在は、国際協力の観点から、議会の承認のもとで、自衛隊の海外派遣は、認められており、

国際貢献は、可能となっている。

これ以上の改憲の必要性は、どこにあるのか。

恐らく、改憲を叫ぶ勢力は、自衛隊に海外派遣を、議会の承認なしで、出来る様にしたいのであろう。

防衛省の判断で、派遣を可能にしたいものと思われる。

すなわち、戦闘行為の容認に繋がるではなかろうか。

日本国民は、良く見ていかねばならない。

 

 

 

 

 

 

本稿は、バックナンバーでは、もっと、後日の投稿予定であったが、本日の憲法記念日に合わせて、前倒しで投稿した。

 


畑の様子、2020.8.上旬、嬉しい贈り物

2020-08-08 12:00:04 | 学問

毎日暑いですね。

畑も、喜んでいる野菜と、青息吐息の野菜があります。

 

 

大きくて伸びた里芋。

人の背丈よりも高いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナスの出来はまあまあです。

 

 

 

お隣さんの畑の奥さんからの頂き物です。

お化けと迄はいきませんが、長いナスです。

 

 

ズッキーニは、まだまだ、頑張りそうです。

 

 

お向かいの畑の収穫です。

 

 

 

 

畑のわきの百日草。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家の収穫です

 

 

松本の親戚から、嬉しい贈り物です。

 

 

 

楽しんでいただきます。

 


戦後75年の記憶、(過去ログ)、玉音放送

2020-08-07 12:00:00 | 学問

もう直ぐ、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
した。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。

昭和の戦争の語り部の一人としての使命だと思っている。

 

 

昭和20年8月15日、日本は負けた。
もう、戦争は終わった。
そんな意味のことを、兄たちから聞いた。
mcnjが小2の時である。
午前中だったと思うが、学校は無かったのだろう。
一番上の兄が、父親の自転車を引っ張り出して来て、後へ乗れと言った。
なんのことか、理解できないまま、自転車でどこかへ連れていかれた。
大勢の大人たちが集まって来ていた。
兄は、その中に混じって、じっとラジオを聞いている様だった。
ひどい雑音で、耳を澄まして聞き入っても、よく聞き取れなかった。
仮に、聞き取れたとしても、mcnjには、その意味する所は理解できなかったであろう。
やがて、また、自転車に乗せられて、家へ戻った。

父は、仕事に行っていたのだろうか、夕方帰って来て、3人の兄達と、ボソボソ語り合っていた。
これからどうなるのか、予測は着かなかったが、4人の、深刻そうな顔から、何か、大変な事態が起こりそうだと言うことは分かった。

それからあとのことは、良く覚えていない。
翌日、学校で、どんな話があったのか、不思議なことに、あまり記憶が無い。
実際、何も無かったのだろうか。
敗戦と言うものに対する、小学2年生の記憶と言うものは、その程度のものだったのかもしれない。

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本シリーズの戦中に関する記憶も、本稿が最後となった。

信州の山の中の田舎の出来事を、小学一年生が見聞した、幼い記憶である。

本来なら、降りかかる焼夷弾の中を逃げ惑う母子の記憶、火を引いて飛んで行く艦砲射撃の記憶、焼け跡に呆然と佇んで、周りを見渡している記憶などを書ければよかったのだが。

願わくば、mcnjより年長な方、都会で経験された方々の、語り部としての記憶を書き残していただきたいものである。

次稿より、もうしばらく、戦後の記憶を書き残しておきたい。