私見・写真の修正について (1)
中国の写真コンクールで入賞作の約半数が修正されたものだったため、入賞を取り消されたというニュースがネット(2012.2.5 msn産経ニュース)で出ていました。
『中国の写真専門誌などが主催する全国規模の写真コンテスト「“影像中国”全国撮影芸術大展」のドキュメンタリー作品部門で、当初の入賞作52点のうちコンピューターで修正されていた25点を含む27点が、このほど入賞を取り消された。4日付の中国英字紙チャイナ・デーリーなどが伝えた。 1等の作品も「修正」と判断され資格を失った。高速道路工事の現場を撮影した8枚組の写真だが、実際にはない山が背景に写っていたという。…以下略…(共同)』
という内容。
食品などの偽装が問題になっている中国で、写真コンクールも…、という感じですね。入賞作の中に修正した作品が半数もあったというのは、ちょっとひどい。
ただ、記事を読んでいて、写真はどこまで修正が許されるのだろうと考えました。
◇ドキュメンタリー
先の記事で注意すべきは「ドキュメンタリー作品部門」だというところです。
現実を写すのがドキュメンタリー。工事現場の背景に実際にはない山を付け加えたのでは、賞を取り消されてもしかたがないでしょう。
これとは反対に現実には存在するものを「じゃまだから」と消してしまうのも、現実を誤認させることになり、いけないことだと考えます。
写真コンクール以外にも報道写真や記録写真(建築現場、環境調査、裁判の証拠など)の修正は基本的にないというのが前提。もし修正があれば社会問題に。
もっとも、報道写真が全く現実そのものかというと、過去には色々なことがあり、胸を張れるものではないことも事実です。
30年ぐらい前までの新聞など報道写真の世界では、画像の不鮮明さを補う意味もあって、モノクロプリントに灰色や白黒の絵の具で筆を入れる修正は日常茶飯事でした。人物の場合、輪郭を強調したり、髪の毛は黒く、背広の肩の部分は光が当たっているように明るい灰色に、という具合。これが網点の印刷物として出来上がると、なんとなく自然に見えたから不思議です。
もっと古い新聞になると、見るからに、やりすぎと思えるぐらいの修正をしている写真がいくらでもあります。
近年のカラー時代になってからは、そんな前近代的な作業はなくなり、修正は不可という意識も年々シビアになっているようです。某新聞社の「ねつ造写真」が大きな問題になったことも影響しているかもしれません。
ただ、今でも例外的に、名月の写真を「合成写真」と但し書きを付けた上で載せるとか、選挙の候補者の街頭演説の写真で、タスキなどの候補者名にモザイクをかけるとか、修正が許容される、あるいはやむを得ない場合もあると思われます。
それ以外は、無いものを加えたり、在るものを消したりが許されない厳しさが、ドキュメンタリーたるゆえんでしょう。少なくとも建前としては…
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ドキュメンタリー以外の分野の写真では、話はまた違ってきます。これについては日を改めて考えてみたいと思います。
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