名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

小林幸子

2012-12-10 | 思う事


小林幸子 がとうとう紅白 落選したらしい

余計なお世話だが、小林さん、心の方向性 をここで修正したほうが良いと思う

小林さん、今から33年前、
1979年に

おもいで酒 を大ヒットさせた

当時、彼女はテレビに出ると
常に 泣いていた

「 今まで自分は大変な苦労をして来た。
大ヒットを出すまでの人生は 苦労の連続であった 」

そういった、浪花節 をひけらかすのが彼女の芸風であった
わたしは当時、15歳 まだ幼かったが、幼ながらに思った

この人、一生苦労するだろうな・・・・・

そんな彼女の芸を観るたびに、不愉快な思いがした
いつしか、彼女がテレビに映ると不快を感じるようになった
紅白 を見ていても彼女が出てくるとチャンネルを変えた
貧乏神 が寄ってくるような気がして、なんだか嫌な気分になるからだ

演歌歌手という立場もよく判る
演歌歌手はある程度 影 がなければサマにならない
でも、
小林さんの場合、度が過ぎる
それは 芸 ではなく 「 歪んだ心の習慣 」であるような気がする 

2007年に起きた 新潟県中越沖地震 のときは
新潟県が自分の故郷だということで、新潟の被災者の方々の事を同情して
お得意の 泣き芸 を頻繁に行った

唯一の持ち芸である 紅白の ド派手な衣装を取りやめるとか言い出して

お涙ポロポロ

ド派手な衣装を止めたいという願望の口実としか思えない

被災された方々の苦しみや悲しみを思うと、確かにお気の毒で涙が出る
でも、それに同情して涙を流し、哀れんでいるばかりいる事が 真心 なのか?
テレビに映るだびに、同情の お涙ポロポロ では情けない
かえって被災者に対して失礼ではないだろうか

こんな 芸 ばかりしていては現代の若者に笑われる
最近の若者は 賢く 優秀 である
一節太郎の時代は終わった
こういう 化石のような人に遭遇すると、現代の若者は

「 ドン引き しちゃう !!! 」

と表現する

慈悲と知恵 のみが人を幸福にする手段であり
同情からは何も生まれない


もし、私が人から同情されたら、嫌な気分になる。
哀しい気分になる
嬉しいとは思わない
もし、同情される事が 嬉しい感じたら、その時点で 私も終わり だろう 
未来がないだろう・・・・

懸命に努力し、前を見つめ、前進する意欲のある人に対して
同情するのは 失礼な行為 と思える
そういう彼女の 心の習慣 が、自分自身に対しても、 
「 同情されるような運命を 」
引き寄せてしまうのだろう

未来のみを意識して
希望のみを語るのが
真の慈善ではなかろうか

泣き言ばかり言っている人、
過去にすがってばかりいる人
人に同情されたいと願っている人

どうぞ御自由に ・・・・・と思ってしまう

普通の演歌歌手なら、一度、大ヒットを出せば不動の地位が築けるはず
演歌歌手は息が長い。

でも、彼女の場合、イロイロな報道を見聞きする限り、大ピンチの様子、
いま、彼女が今すべき事は、これを期に

自分の中から 貧乏神 を追い払うことだと思う。

そういう意味では ピンチがチャンス、果たして、彼女はこのチャンスを活かす事が
出来るだろうか・・・

ビンボウ神 は人の心のなかにいる

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