名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

たかが金、されど金

2012-12-28 | 思う事


世の中、金だけじゃない

今までこの言葉を よく耳にしました

たしかにその通り
生命は 金では買えない
信用は 金では買えない
人情は 金では買えない
思い出は 金では買えない
悟りは 金では買えない
死んだ後、天国は 金では買えない

世の中、金だけじゃないなどと言う事は
普通の人間なら誰しも心の奥底で
価値観の大前提として分かっている。

それは、
人間が生まれながらにして既に持っている自然な感覚であり
教育されて持つようになったものではない

もっとも、例外的に異常な人もいることは確かである
金のために、人を殺したり、騙したり、異常な利己主義に傾いたり・・・
そんな事を平気でする人間もごく稀ではあるが存在する

こういう人は、たぶん育った環境とか、霊的な因縁 に支配されているのだろう

こういった 異常な人格者 は例外として、ごく普通の人間は

「 世の中 金だけじゃない 」

などと言う事は言われるまでもなく、当然な事として分かっている


にも関わらず

「 世の中 金だけじゃない 」

などという正論を頻繁に、軽々しく、偉そうに口にする人が時々いる。

私は今までの経験のなかで
この言葉を恥ずかしげもなく頻繁に発せられるお方を
何人か見てきた
残念な事に、こういう人の多くは
金にルーズ であった

「 世の中 金だけではない 」 という言葉の裏側には、

「 金を甘く見ている心 」

が潜んでいるような気がする
金の怖さ  金の重要性  金の性質が分からない人ほど、

「 金だけじゃない 」

などと立派そうな事をおっしゃる

私が20代の頃、会社の大先輩 に
5万円貸して欲しいと言われた事がある。

その人は当時50歳、家庭もシッカリしていて
仕事も真面目、責任感も強く社会的信用もある。
全ての面で信頼の置ける人だった。
30歳も年下の私にあえて頭を下げるのだから、余程の事情があっての事と思い
5万円を貸してしまった。

30年前の5万円は、若い私にとって大金であった。

貸した金帰らない

これが 「この世 の摂理」結局、この金は返ってこなかった

この人が普段、口癖のように言っていた言葉は、

「 世の中 金だけじゃないよ 」である。

5万円損したけれど、いい勉強になった。

それ以来、絶対に人に金を貸してはいけない という教訓を身に付けた。

もし、この経験が無ければその後、もっとヒドイ目に
遭っていたかも知れない
そういう意味でその人に感謝している。

金は、貸すぐらいなら 差し上げたほうがよっぽどマシであると思う


この事があって、それ以来
「 世の中 金だけじゃないよ 」
という言葉を発する人と接すると、少し警戒するようになった

もちろん、この言葉を発する人すべてが疑わしい訳ではない。
話の前後や、趣旨 によっては
深い意味で言ってい場合もある

ただ、この言葉を軽々しく連発する人間は、信用できない

よくよく観察してみると、こういう人の多くは、

やはり、金に対する認識が甘い

借金を踏み倒す とまでは言わなくても
些細なこと、
たとえば、何かの代金を払うとき
一緒にいた知人が偶然小銭をもっていなかった場合
100~200円くらいの金額なら立て替えてあげる。

でも、そのあと 一向に返す気配がない
こういう場合、催促するのも気が咎める
こういう人は催促されなければ結局返さない

目くじら立てるようなことではないが
たとえ、小額でも気分が悪い
同時に、その人を少し疑うようになる

残念ながら、「 世の中 金だけじゃないよ 」と頻繁に言うひとほど
こういうタイプの人が多いような気がする
要するに、金の怖さ が分かっていないのだ

わたしは、変わり者なので、あえて
 
「 世の中 金だ !! 」

と言うようにしている
それをどう受け取るかはその人の自由です

この言葉の裏には、

「 たかが金、されど金 」

という意味を含みます

これが、私流の 美学 です


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