名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

事実 と 真実 ・・・ 1

2014-06-08 | 思う事


事実 と 真実 

この2つの違いを、ハッキリ区別しないことには、
いつか行き詰まるときがやって来る。


事実 と 真実 は別物である。


事実 ・ 真実 といっても、それには色々な単位がある。

個人レベル での 真実

家系レベル での 真実

国家レベル での 真実

人類レベル での 真実


私がまだ幼い頃・・・

私が高校に入学した時の事だった・・・


母方の祖母が、「 入学祝いだよ 」 と言って、

私に、一万円くらいのお金を与えてくれた。


私は当時、ラジカセがどうしても欲しかった・・・


父親に 「 このお金でラジカセ買って良いですか? 」


と尋ねた。

このとき、父親は言った。

「  このお金は、親戚同士の付き合いで貰えたお金だ、
   普段、我が家も先方に祝い金など贈っているから貰えるお金だ、
      だから、そのお金はお前のモノじゃない、
     それを、お前の金にしたいと言うなら、
              それは 泥棒 だ  !! 」

このとき、私は、幼いながらに思った・・・

「 理屈は分かる・・・ でも・・・泥棒 はないだろう!!!
           共産主義みたいだ・・・最低な発想だ!!! 」

私は、強い怒りを覚えた、そして父親を強く軽蔑した。

でも・・・

自分が大人になり、年を重ねるごとに、その気持ちは変わって行った・・・

「 泥棒だ !!! 」 

と父親が言ったことは 事実

このこ言葉は今になっても、絶対にオカシイと思える。


でも・・・その事実だけに焦点を当てている限り、

父親の 真実 は見えてこない。

そう思うようになったのです。


自分が生まれて来られたのは、親がいたからです。

自分が今生きているのは親がいたからです。

親なくしては、自分は存在しない。

その親を根底から否定することは、即ち、自分自身の存在を否定している事になる。


親の苦労なくしては、無一物の赤ちゃんが、育ってゆくことは出来ない。

自分の存在は、全て親の恩恵である。


これは、個人レベルにおいて、

紛れも無い 親の真実 ( 本当の姿 )

その 真実 を見ずに、

表面に現われた 親の事実 ( 仮の姿 )

を、重箱の隅を突くように・・・・あれやこれやと論評し、

批判し続ける限り、 真実は永遠に姿を現さない。


親の 真実 を見たとき・・・・

自分の 真実 が初めて見えてくる。

自分の 「 真実 」 を見ない者は、死ぬまで自分で自分を 
処罰 し続ける。

私は、いままで、
そんなそんな ‘ どうでも良い事 ‘ に呪縛され、
その結果、
自分の一生を暗黒化した人間を多く見てきた。


目に見える 現象 ( 事実 )など、
笑い飛ばす程度のことに過ぎない。



で、納まることだ・・・・





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