新約聖書 ヨハネ伝
ここに記されている事は、
一見すれば、非科学的な事ばかり。
だからと言って、その内容が 荒唐無稽なお話とは言えません。
・・・・・・・・・・・・ヨハネ伝 第1章1~15 節に記されたお話・・・・・・・・・・・
イエス・キリストの前に、5千人もの大勢の人が集まった。
彼らは、なかなかそこを立ち去ろうとはしない。
そのうち、その人々はお腹がすいて来た。
キリスト弟子が、パン売りの子供を見つけ出した。
でも、その パン売り はパンを5個しか持っていない。
そのとき、キリストは言った・・・
「 その5千人をそこに座らせなさい 」
キリストは5個のパンを取り、感謝の思いを捧げた。
そなあと、キリストは座っている人々全員にそのパンを分け与えた。
彼らが十分、食べたあと、
余ったパン集めた、
人々が食べたあと、パンは、まだ残っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
????? どうやって5個のパンを 5千人の人に分け与えたの ?????
????? 5個のパンを5千人で分けたあと、パンは余っていた ?????
こんなお話、支離滅裂すぎる・・・非科学的だ・・・・
だから・・事実ではない・・・
そんなふうに解釈したら、身もフタもありません。
このお話は、「 事実 」 を書いたものではなく、
「 真実 」 書いたお話なのです。
問い・・・ 「 事実 と 真実 ・・・ どう違う ??? 」
問い・・・・・ 「 事実 = 真実 じゃないか!!! 」
事実 と 真実 は別物です・・・
事実 とは 目に見える世界 ( 現象 ・ 科学 )
真実 とは 目に見えない本質 ( 本当の姿 ・ 本質 )
科学的に観たら、こんなお話はあり得ません。
でも、このお話の背後にには、
真実 が秘められているのです。
事実 と 真実 を混同すると、いつかは限界がやって来ます。
これが、 科学の限界 と言うのでしょう・・・・
この世の中 ( 現象世界 ) には ‘ 事実 ‘ だけで語る事が出来ない
大きな背景 ‘ 真実 ‘( 目には見えない、本当の世界 ) があるからです。
ヨハネ伝 の物語は、 霊感 で書かれた記述です。
ここで、キリスト様が言いたかった 「 真実 」 とは・・・・
「 与えれば与えるほど、 増える 」 と云うことだと思います。
与えると、‘ 返って来る ‘ ‘ 集まって来る ‘ のではありません。
「 増える 」 のです。
日本仏教の言葉に、
無一物中無尽蔵
むいち もつ ちゅう むじんぞう
という善語があります。
無一物 ・・・・ 何も持っていない ( 事実 )
無尽蔵 ・・・・ 富を無限に蓄えている。( 真実 )
無尽蔵 ( むじんぞう ) とは、
「 既に、持っている・・・内在している・・ 」 というニュアンスがあります。
‘ 返って来る ‘ のではなく、
既に持っているモノが 増える のです。
キリスト様が仰る事も、
大乗仏教が教える教義も、
「 真実の世界を語る 」 という意味に於いて、
目指す頂上は同じです。
ここに記されている事は、
一見すれば、非科学的な事ばかり。
だからと言って、その内容が 荒唐無稽なお話とは言えません。
・・・・・・・・・・・・ヨハネ伝 第1章1~15 節に記されたお話・・・・・・・・・・・
イエス・キリストの前に、5千人もの大勢の人が集まった。
彼らは、なかなかそこを立ち去ろうとはしない。
そのうち、その人々はお腹がすいて来た。
キリスト弟子が、パン売りの子供を見つけ出した。
でも、その パン売り はパンを5個しか持っていない。
そのとき、キリストは言った・・・
「 その5千人をそこに座らせなさい 」
キリストは5個のパンを取り、感謝の思いを捧げた。
そなあと、キリストは座っている人々全員にそのパンを分け与えた。
彼らが十分、食べたあと、
余ったパン集めた、
人々が食べたあと、パンは、まだ残っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
????? どうやって5個のパンを 5千人の人に分け与えたの ?????
????? 5個のパンを5千人で分けたあと、パンは余っていた ?????
こんなお話、支離滅裂すぎる・・・非科学的だ・・・・
だから・・事実ではない・・・
そんなふうに解釈したら、身もフタもありません。
このお話は、「 事実 」 を書いたものではなく、
「 真実 」 書いたお話なのです。
問い・・・ 「 事実 と 真実 ・・・ どう違う ??? 」
問い・・・・・ 「 事実 = 真実 じゃないか!!! 」
事実 と 真実 は別物です・・・
事実 とは 目に見える世界 ( 現象 ・ 科学 )
真実 とは 目に見えない本質 ( 本当の姿 ・ 本質 )
科学的に観たら、こんなお話はあり得ません。
でも、このお話の背後にには、
真実 が秘められているのです。
事実 と 真実 を混同すると、いつかは限界がやって来ます。
これが、 科学の限界 と言うのでしょう・・・・
この世の中 ( 現象世界 ) には ‘ 事実 ‘ だけで語る事が出来ない
大きな背景 ‘ 真実 ‘( 目には見えない、本当の世界 ) があるからです。
ヨハネ伝 の物語は、 霊感 で書かれた記述です。
ここで、キリスト様が言いたかった 「 真実 」 とは・・・・
「 与えれば与えるほど、 増える 」 と云うことだと思います。
与えると、‘ 返って来る ‘ ‘ 集まって来る ‘ のではありません。
「 増える 」 のです。
日本仏教の言葉に、
無一物中無尽蔵
むいち もつ ちゅう むじんぞう
という善語があります。
無一物 ・・・・ 何も持っていない ( 事実 )
無尽蔵 ・・・・ 富を無限に蓄えている。( 真実 )
無尽蔵 ( むじんぞう ) とは、
「 既に、持っている・・・内在している・・ 」 というニュアンスがあります。
‘ 返って来る ‘ のではなく、
既に持っているモノが 増える のです。
キリスト様が仰る事も、
大乗仏教が教える教義も、
「 真実の世界を語る 」 という意味に於いて、
目指す頂上は同じです。